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第50話 カオス・ライフ

 シルヴィの魅了が解けてから、数週間後のある日。

 姿を消していた大婆様は杖を地面につきながら、ゲッソリとした表情で館に帰ってきた。


 あれからテオドラは割とすぐに大婆様を見つけ出して、捕まえていたらしい。

 捕まった大婆様はテオドラに100万回ぐらい切り刻まれたところで一応、解放されたという。比喩表現かと思ったら大婆様は転生特典で貰った不老不死という固有能力があるため、実際にそれぐらい切り刻まれたとか。


 大婆様は痛みを感じなくする魔法を覚えておらず、コッソリ服用していた痛覚麻痺の薬も途中からは効果が切れて、しかも自動で回復する魔法を肉体に掛けていたこともあり、地獄の苦しみを味わったとのこと。

 想像するだに恐ろしい話だ。よく廃人にならなかったなと思う。


 リリアの母であるミリアさんは大婆様が帰ってきてからすぐに、故郷の村であるノートルディアへと帰っていった。

 元々ミリアさんは新薬に必要な素材を集めるため旅に出ており、帝都にはその一環として一時的に寄っていただけらしい。


 もう用が済んだとはいえ、娘が大好きなイメージがあったので割とあっさり故郷に帰るのは意外だなと思った。しかしよくよく考えたら元からリリアをノートルディアに残して一人旅をしていたぐらいなので、娘に愛情はあれど執着はしないタイプなのだろう。しばらく館で一緒に生活して思ったが、かなりマイペースな人だし。

 去り際に、俺がリリアと結婚するときにまた来ると言っていたが……あれは反応に困った。


 シルヴィとリリアはこれまで通り大婆様の館に滞在しており、帝都で冒険者をしている。更にミリアさんが帰ってからは、なぜかテオドラとクラリスさんまで館に押しかけて住むようになった。

 シルヴィはあれからリリア、テオドラの二人と俺について話し合ったらしい。その内容がどういうものかは知らないが、結果的には荒野での戦いはなかったことになり、『三人でこれから一年間、正々堂々と第一夫人の座を懸けて勝負』することになったとのこと。ちなみに暴力はなし、だそうな。

 あと当たり前のように話してたけど俺が一年後、三人と結婚すること自体は確定しているような言い方だった。


 俺はというと、しばらくの間シルヴィやリリアと一緒に冒険者として活動していたのだが、つい先日帝都にアンファングさん夫妻がきてから様々な出来事があった結果、今は帝国警備隊という組織でいち警備隊員をしている。


 そこに至る事情や経緯に関しては長くなるのだが、核心部分だけ簡単に言うと、アンファングさん夫妻の魅了を大婆様に解除してもらう代わりに、最低でも一年間は帝国警備隊で働くことになった感じだ。


 最初はしてやられた感があってあまり乗り気ではなかったのだが、実際に仕事をするにつれ警備隊の良さを感じるようになり、ひと月もする頃には一年間と言わず、それ以上続けても良いかもと思うようになっていた。

 帝国警備隊はテオドラが新たに作った前世でいう警察に似た組織で、仕事内容は多岐に渡るのだが、人に頼られたり感謝されることも多く、非常にやりがいがあるのだ。

 国家公務員扱いで信頼性があり、給料も良く安定していて、休みもしっかりあるので、この世界的にはかなり恵まれた職業である。


 働き始めてふた月ぐらい経った頃、帝国内の犯罪組織に潜入捜査させられている最中、別の捜査員が仕出かしたミスが原因で俺の正体がバレ、港の倉庫で雨後の筍みたいに次々と現れる構成員を相手に大立ち回りさせられた挙句、敵が仕掛けた爆発物による爆破で吹っ飛ばされて海に落ちた時なんかは、これ全然『警備』じゃないだろ……と思ったし、少し仕事が嫌になったが、お給料とは別に特別手当とテオドラによる手厚いフォローがあったので結局、仕事は続けていた。



 〇



 そして帝国警備隊に入ってから半年ほどが経った、ある日の昼過ぎ。

 帝都の大通りで見回りをしていると、前方からテオドラとクラリスさんが歩いてくるのが見えた。

 一緒の館に住んではいるが、今は仕事中かつ二人は俺の上司なので、敬礼して挨拶をする。


「ああ、普段通りでいいぞ。制服こそ着ているが、今は婆に認識阻害の魔法を掛けさせてあるからな。誰に見られても問題ない」


「ですが、自分は勤務中なので……」


「主様……警備長が望んでいるのですよ? 部下として応えるべきでは?」


 クラリスさんが素早く俺の背後に回り、後ろから抱き着いて胸を押し当ててくるが、それを無視して言葉を返す。


「それは公私混同かと」


「相変わらずお堅いな。私に取り入ればいくらでも出世可能なのに。あとクラリス、流れるように抱き着くな。ケイは私のものだ」


 テオドラは現在、皇帝の座に替え玉を置いて帝国警備隊組織のトップをしており、クラリスさんはその副官を務めている。

 以前テオドラが言っていたように今の帝国は皇帝がいなくてもほぼ回るようになっており、あまりにも暇だから自ら仕事をしているらしく、半ば趣味みたいなものらしい。


「警備長、この男、凶器を隠し持っている気配があります。取り調べが必要では?」


「クラリス、くだらないことでケイを困らせるんじゃない。……おいバカ、当てるな、触るな、耳に息を吹きかけるな」


 なお、クラリスさんは嫌がるテオドラを無視して勝手に副官として働いているそうで、完全に趣味とのこと。なんだかんだで傍にいると便利かつ有能であるため、最終的にはテオドラも黙認した……みたいなことをいつだったか一緒に酒を飲んでいるとき言っていた。


「ケイもなぜ抵抗しない? 前までは顔を真っ赤にしながら抵抗していただろう」


「抵抗すると喜ばれるので、こういうときは大型犬だと思って無視することにしました」


「ああ、なるほど……」


「無視しないでください。大型犬はこんなことできますか? ほらほらほら」


「それはやめてください。逮捕しますよ。やめ……わいせつ罪の現行犯で逮捕する」


 クラリスさんが一線を越え始めたので腕を掴んで後ろを向かせ、金属製の手錠をその両手首に掛ける。それから制服の内ポケットに入れていた手錠の鍵をテオドラに渡す。


「警備長、手錠の鍵です。どうぞ」


「あ、ああ……随分と手際よくなったな」


「慣れました」


 クラリスさんは荒野で自分の性癖を暴露したせいか開き直ったらしく、今となっては毎回のようにセクハラしてくるので、さすがに対処も慣れた。


「ケイさん、わかっていませんね。警備長はケイさんが顔を真っ赤にしながら抵抗するのが好きだったんですよ? その証拠に口では文句を言いつつも、いつもわたくしを止めないでしょう? 本当に嫌だったら自らの手で殴り飛ばしているはずです。実力行使に躊躇うお方ではありませんから」


「クラリス、私はシルヴィとリリアの二人に約束したのだ。荒野での勝負結果はなかったことにする代わり今後、暴力は振るわない……と。少なくともシルヴィ、リリア、ケイたち前ではな」


「おかしいですね……それ定期的に聞くのですが、わたくし割と殴られている気がするのですが」


「いや、ケイたちの前では全然殴ってないぞ。貴様の気のせいだ」


「そうでしたっけ? まあいいです。それなら懺悔することがあるので聞いてください。もちろん殴らないでくださいね」


「殴らん。少なくともケイの前ではな」


「今朝まで冷蔵庫にあったプリンを食べたのはわたぶぇ!?」


「やはり貴様か死ねええぇえ!!」


 クラリスさんがテオドラの拳で3メートルぐらい宙に舞い、地面にぐしゃりと落ちた。威力を見る限り、今回はだいぶ手加減してもらえたみたいだ。


 テオドラは無表情で眺めていた俺と目が合うと、ハッとした表情で振り抜いた拳を背中の後ろに隠して言った。


「な、殴ってない! 殴ってないぞ!?」


「それは無理がある」


 別にクラリスさんを目の前で殴ったからといって今さら何も思わないのだが、さすがにそれは無理がある。

 そんなことを考えていると、前方の空をスイーっとこちらに向かって飛んでくる大婆様が見えた。


「お~い、テオドラや~」


「む……なんだ婆。私は今、帝国警備隊の警備長、レイナ・ヴァティスだぞ」


「認識阻害が掛かってるから別にどうでもよかろう……それより、おぬしが替え玉にしてるセレスタいるじゃろ、従妹の」


「なんだ、また我儘か? まったく、あいつはいい加減に……」


「謀反したぞ」


「……………………は?」


「謀反した。城内を自分の一族で占拠して、大臣や文官を人質に取っておぬしを呼んでおる。このまま正式に皇帝やめろじゃと」


 大婆様の言葉にテオドラはしばらく黙って固まった後、拳を握って身体をプルプル震わせた。


「あ、あの……あの、バカ従妹ー!!」


 テオドラはそう叫びながら跳躍し、そのままの勢いで飛行魔法を使ったのだろう、帝都中心にある城へ向かって宙を飛んでいった。


「あ、主様っ!? お待ちください! わたくしを忘れています! 主様ぁ!」


 クラリスさんは後ろ手に手錠をかけられたまま、近くの建物の屋上へと跳び上がった。続けて、屋上から屋上へと軽やかに跳び移りながら、テオドラの後を追いかけていく。相変わらず凄い身体能力だ。


「元気じゃのぉ……」


「そうですね」


 大婆様に同意する。普通の皇帝だったら自ら単独で謀反人のところへ向かうなんてありえないんだろうが、テオドラだからなんの心配もしていない。他の誰が向かうより、自分で行って鎮圧するのが一番早くて安全なのだろう。


「そういえばケイよ、魔眼は使っとるか?」


「え……あー……その……」


「まったく……ちゃんと使わんと、いつまで経っても事故は防げんぞ」


 フワフワと浮いていた大婆様は呆れたように言いながら、地面に着地した。


 大婆様が館に戻ってきてから、俺は約束していた通り魔眼の制御法やそのコツを教えてもらった。お陰様で比較的早めに魔眼の常時発動は止めることができるようになったのだが……これが少し動揺したり、平常心ではなくなったりするとすぐ発動してしまう不安定なものだったのだ。


 大婆様曰く、俺の魔眼は使ったり、使った後に魔眼の発動を止めたり、人の魅了を解除したり、そういったことをすることによって制御力が上がって、最終的には意図しないで発動するようなことがなくなるらしい。


 つまり今の俺は『魔眼を司る筋肉』みたいなものが雑魚でよわよわだから、ちゃんと鍛えろ、っていうことだと解釈している。しっかり鍛えていれば、事故で魔眼から魅了を漏らすこともなくなるというわけだ。


 だから大婆様の言っていることはもっともだし、俺もちゃんと魔眼を使って制御力、もとい魔眼筋を鍛えなければとは思っているのだが……。


「そうは言っても、そんな簡単に練習できないですよ」


「なぜじゃ? シルヴィとリリアがおるじゃろ」


「あの二人が一番ダメですよ。だって……」


 話している途中で後ろの方からパリン、というガラスが割れる音がした。

 何事かと後ろを振り向くと、少し離れた場所にある酒場でスキンヘッドの大男が割れた酒瓶を片手に怒鳴り散らかしていた。


「ふざけるんじゃねえ! 今までいくら貢いだと思ってるんだ! 金返せ!!」


 大男の怒号に周囲の人間がざわざわと騒ぎ始める。

 隣にいる大婆様はそんな大男の方を見ると、腕を組みながら言った。


「おお、ええな。練習台にはお誂え向きじゃ。ほれ、行ってこい。ワシはテオドラの後始末をしてくる」


「いやだから、そんな簡単には使えませんって……」


 そうは言いつつも、小走りで酒場の方へ向かう。

 魔眼の練習台うんぬんはともかく、こういうのは普通に帝国警備隊の仕事だからだ。


「どうかしましたか?」


「あっ、警備隊員さん! この人を捕まえて……きゃあ!?」


 酒場の給仕だと思われる女性がそう口にした直後、彼女は大男に羽交い締めにされた。大男は割れた酒瓶を女性の顔に突きつけて叫ぶ。


「近寄るなぁ!」


「お、落ち着いて……」


「近寄るんじゃねえ! 近寄ったらコイツの顔面ズタズタにしてぶっ殺してやる!」


 大男は顔を真っ赤にして怒鳴った。そこまで近づいていないのにかなり酒臭い。どうやら随分と飲んでいるようだ。

 これは非常にマズい。事情はわからないが、後処理が面倒だからといって出し惜しみしている場合じゃない。とにかく無力化しなければ。


 俺は右手で両目を覆い、速度重視で一気に抑制を解除すると、手のひらをどけて小さく呟く。


「——魔眼解放」


「なっ……!?」


 魔眼から魅了の魔力が迸り、大男が驚愕に目を見開く。その目は微かにピンク色の光を帯びており、大男は固まったまま身動きひとつしない。その様子を見てしっかりと効果が出ていることを確認する。


 魅了の魔眼をある程度制御できるようになった今では、相手の目を見れば魅了に掛かっているか掛かっていないかはわかるのだが、相変わらず効果に関しては個体差があるので確認は大事なのだ。


「落ち着きました? ……落ち着きましたね。はい、じゃあこれ離しましょうね」


 大男の手から割れた酒瓶を取り上げ、近くにいる店主の男性に渡す。

 それが終わったらすぐに懐から魔眼遮断用のサングラスを取り出し、目元に装着する。


 俺はまだ例の魔眼筋的なものが雑魚なので、速度重視で一気に魔眼の抑制を解除してしまうと、最低でも一日は休まなければ魔眼が発動しっぱなしになってしまうのだ。加えて言うと速度重視じゃなくて時間を掛けたとしても、数時間は魔眼発動を抑えることができない。


 しかもそのクールタイムは人に掛けた魅了を解除するのも同じなので、非常に困る。何をどうやっても掛けた人に迷惑が掛かるのは間違いなく、犯罪者相手に使うにしたって解除後の影響も怖いから、大婆様が言ったようにそうポンポン練習できるようなものじゃないのだ。


「それじゃお話は詰所で聞きますから。こっちに……おーい、聞いてます?」


 未だに固まっている大男の前で手を振ると、彼は「お、お、お……」と、どもり始めた。

 ……これは嫌な予感がする。


「お、お、おお……おれは、お前に会うために、生まれてきたのかもしれねぇ……」


「それは勘違いなのでいったん逮捕しときますね」


 男の両手首を合わせてガチャリと手錠を掛ける。

 魅了の効果がそれほどなかったらともかく、この様子だと極めて面倒なことになりそうなので、そうなる前に先手を打つ。


 実のところ帝国では、さっき程度の揉め事を起こしてもケガ人とかがいなければ説教と厳重注意で終わらせる傾向にあるため、暴れなければ逮捕する必要はないというか、むしろ推奨されないのだが……今回は魔眼を使ってしまったのだから仕方ない。少なくとも俺が魅了を解除できるまで一日ぐらいは牢屋に入ってもらおう。

 結果的にケガ人を出さなかった大男からすると不当な逮捕に見えるかもしれないが、あのまま事件を起こしてしまったら最悪の場合は死刑もあり得たので、これで良かったと思ってほしい。


「い、いいぞ……おれ、お前に一生ついてくからよ……」


「いや、しばらくついて来てくれればいいですよ」


 留置場はそこまで遠くないから、数十分も歩けば着くし。

 それにしても魅了の効果が割と大人しいタイプの人で良かった。

 魔眼が常時発動じゃなくなってからというもの、どういう因果関係があるのかは知らないが魅了の効果が発動するたびに上がっている気がしたので、使うのが怖かったのだ。


「警備隊員さん、待って!」


 大男の手錠に紐をつけて店を出ようとしたら、さっきまで大男に脅されていてた給仕の女性が駆け寄り、俺に抱き着いてきた。


「警備隊員さん……私、怖かった……!」


「あ、はい。もう大丈夫ですよ」


「お礼をするから……こっち、きて?」


「あー、この人を連れて行ったらまた来ますから」


 なお、すぐに来るとは言ってない。明日大男の魅了を解除して、そこから魔眼解除のクールタイムが明けた半日後ぐらいに来る予定だ。なぜなら彼女も魅了に掛かっているから。


 さっき魔眼を発動した際、彼女は俺と目を合わせていなかったので本来ならば魅了に掛からないはずだった。しかし魔眼の威力が上がってからというもの、目を合わせなくても射程距離内かつ視界に入っていると魅了に巻き込んでしまうようになってしまったので、結果的に大男の隣にいた彼女も魅了に掛かってしまったのだ。


「はぁ、はぁ……今すぐ……今すぐ、お礼したいから……ね……ね?」


 彼女は俺の腕を掴んで引っ張りながら、エプロンドレス越しに自分の胸をグイグイ押し付けてきた。俺は即座に彼女を頭の中で大型犬に変換しつつ、これからの対応を考え始める。


 どうやら彼女は魅了が相当効く体質のうえに、行動が伴ってしまうタイプのようだ。この場合、ここで逃げることはできても最悪、俺を探して一晩中ゾンビのように徘徊しかねない。


 ……とても、すごく、逮捕したい。一日半ぐらい鉄格子の丈夫な牢屋に入れておきたい。

 でも彼女、今はまだ何もやってないんだよな……。あえて犯罪行為をするように煽るわけにもいかないし、どうしよう。非常に困った。


「ねぇ……ねぇってば……早く……いこ……早く……」


「あー……あのですね、後で……」


「お、おい……やめろよ」


 手錠を掛けられた大男が割り込むようにして俺の前に立ち、彼女を睨みつける。


「はぁ? アンタには話し掛けてないんだけど。邪魔……どけよ」


「警備隊員さんが、嫌がってんだろうが……」


「なに言ってんの? どう見ても喜んでるんだけど? いいからどけよ」


 そう言って彼女が俺に向けて伸ばしてきた手を、大男が自分の身体を使ってブロックする。


「どかねえ」


「…………はぁ、はぁ、はぁ……どけって……」


 彼女は息を荒げながらフラフラと後ろに下がり、近くにいた店主の男性から割れた酒瓶を奪い取った。そして酒瓶を大きく振りかぶり、大男に向かって飛び掛かる。


「どけって言ってるだろぉおぉおおお!!」


「逮捕ぉ!!」


 大男の前に出て彼女の手首を取って地面に倒し、そのまま両手首に手錠を掛けて拘束する。

 よかった……いや全然よくないし不謹慎だけど、逮捕できたから結果的にはよかった。これで彼女が夜に帝都を徘徊するようなことはない。


 にしても、魅了が効きすぎだ。魔眼がある程度制御できるようになってから何回か初対面の人に掛けざるを得ないケースがあったけど、暴走する速さで言えば過去一番かもしれない。


「はぁ……」


 思わずため息が出る。たった一回、魔眼を解放しただけでこれだからなぁ……やっぱりそう簡単に練習なんてできるものじゃない。



 〇



 暴れる給仕の女性をなんとかして宥め、大男と一緒に留置場に連れて行き、それぞれ牢屋に入ってもらった後。俺は詰所で書類を片付け、昼食を取った。


 それから再び帝都の担当ルートを一巡したあたりで勤務交代の時間になったので、夜番の警備隊員に引き継ぎをして制服を私服に着替え、夕暮れになった大通りの脇を歩きながら自宅へと帰る。

 すると前方にある雑貨屋の前で楽しそうに会話しているアンファングさんとジエナさんが見えた。


「おお、ケイじゃねえか。仕事は終わったのか?」


「はい、今日は朝番だったので」


「お疲れ様、ケイさん」


 アンファングさんとジエナさんは俺を見ると、満面の笑みを浮かべて声を掛けてきた。


 アンファングさん夫妻に掛かっていた魅了はすでに解除されている。

 そのため以前この二人が帝都まで来たときのように、半ば狂気的な執着心で追いかけられるようなことはなくなった。


 ただ二人は魅了が解除されたにもかかわらず、帝都に移り住んで事あるごとに俺と交流している。ちなみにアンファングさん夫妻の後ろにある雑貨屋は二人のお店兼住居で、ちょうど俺の帰り道にあるため毎日顔を合わせて話してもいる。普段は二人ともお店の中に入っているが、この時間になると外に出てくるのだ。


 帝都に移り住んで商売を始めた理由を聞くと、俺を探す際にジエナさんの実家であるミルラン商会に作った借りを返すためとか、ちょうど田舎に飽き飽きしてたからとか、色々と話してはくれるのだが……俺は正直、別の理由なんじゃないかと勘繰っている。


「そうだ、ケイさん今日はウチで夕飯食べていかない? 安かったから大きいお肉を丸ごと買ったんだけど、冷凍庫がいっぱいなの忘れてて保存できなさそうなの。冷蔵しても私たち二人じゃ数日で食べ切れないだろうし」


「え……いやでも、先週もご馳走になりましたし」


「遠慮すんなって。オレたちは家族みたいなもんだろ?」


 アンファングさんがニカッと笑って肩を叩いてくる。

 確かに弓を教えてもらっていたときは家族同然の扱いで親しくしてもらっていたし、魅了が解けた状態でもそう言ってもらえるのは凄く嬉しい。


 ただ……それはそれとして、なんだかんだ二人は理由をつけて俺にお酒を飲ませて、なぜかアンファングさんがいつも酔い潰れた振りをして寝て、そのあと毎回ジエナさんが誘惑してくるので、とても困る。

 何が困るって、ジエナさんがタイプじゃなかったら無心で帰ればいい話なのだが、彼女はタイプじゃないどころか美人であり、むしろお願いしたいレベルなので、誘惑を振り切るのに多大な精神力が必要とされるのだ。


 あからさまなので、もちろん二人の目的は明確にわかっている。だったら最初から食事自体を断れよって話なのだが、二人の魅了解除は実質後回しにしていたという負い目があるし、村にいた頃は魅了状態だったとはいえ家族同然に親しくしてもらっていた事実があるので、こうして普通にご飯を誘われると非常に断りづらい。ジエナさんのご飯は美味しいし。お酒も飲みたいし。

 とはいえ先週お邪魔したばかりなので、断りづらいとはいえさすがに今日は断ろうかと思っているが。


「いやー……遠慮とかじゃなくてですね」


「あ、やっぱりいた。ケーイ!」


 改めて二人のお誘いを断ろうとしたその時、通りの向こう側からシルヴィがこちらに向かって手を振りながら走ってくるのが見えた。隣にはリリアと、なぜかノートルディアに帰ったはずのミリアさんまでいた。


「シルヴィ、どうしたんだ? っていうか、なんでミリアさんが?」


「ふぅ……えっと、ミリアさんは新薬作りでまた帝都に寄ったんだって。来週まで館に泊まるってさ。それでほら、明日はお休みでしょ? ケイが先週とか先々週みたいに兄貴とジエナさんのところで夕飯食べてくるんだったら、あたしたちは外で食べようかなーって思って。ミリアさんと一緒に」


 駆け寄ってきたシルヴィは少し息を整えてから一気に言い切ると、アンファングさん夫妻に軽く挨拶をした。

 そしてまだこちらに来ていないリリアとミリアさんの方を見ながら、小声で喋り出す。


「でもぉ……今日は家に帰るか、あたしたちと一緒にご飯食べに行った方が良いんじゃないかなって思うけどね。リリア、二週連続で作った夕飯食べてもらえなかったからって、拗ねてたよ?」


「あー……一応、次の日に食べたんだけど……」


「そんなのダメだよ。作り立ての温かい料理を一緒に食べなきゃ。リリアはケイと食べる美味しい料理が生き甲斐ってぐらいに好きなんだから」


「何を話してるんですか?」


 近づいてきたリリアが聞いてくる。

 それに対してシルヴィは笑顔で答えた。


「今ちょうどケイに夕飯どうするか聞いてたところ」


「そうですか……それで、今日はどうするんですか? ……また、食べて帰るんですか?」


 リリアはアンファングさん夫妻にチラリと視線を向けた後、ジト目で見つめてきた。


「いや、今日はそのまま帰ろうと思ってて……あ、ミリアさんお久しぶりです」


「お久しぶりねぇ~。次に会うのは結婚式だと思ってたけど……あと半年ぐらいだったかしら? この子たちと結婚するのは」


「ちょ、ちょっとお母さん!?」


 リリアはミリアさんをグイグイ押して俺から離した後、「余計なこと言わないでくださいっ」と小声で怒っていた。

 それを見て、ジエナさんが口元に手を当て驚いたように言う。


「今日はリリアちゃんのお母さんも来てるの? それならせっかくだし、みんなウチで夕飯食べていかない? お肉、沢山あるのよ。美味しいお酒もいっぱい」


「え?」


 予想していなかった提案に驚き、ジエナさんを見る。

 すると彼女は俺にだけ見える角度でウィンクしながら微笑んだ。

 ……まあ、これだけ人数がいるなら特に問題はないか。


「それいいじゃん! あたしは賛成! ねぇねぇ、リリアとミリアさんは?」


「私は……私も、いいですけど……」


「あらあら……うふふ、わたしも大丈夫よ。お邪魔してもいいかしら?」


「もちろん。いいわよね、アナタ」


「おう、ケイの家族ならいつでも大歓迎だぜ! 不肖の妹を預かってもらってるしな!」


「だーれが不肖の妹よバカ兄貴!」


「ははっ、おまえ以外いるかっての!」


 シルヴィの発言を皮切りに、リリア、ミリアさん、ジエナさん、アンファングさんと続き、完全にアンファングさん夫妻の家で夕飯をご馳走になる流れとなった。

 珍しいこともあるものだと思っていると、背後からテオドラの声が聞こえてくる。


「ケイ、どうしたんだ? こんなところで」


「アンファングさんのところで夕飯をご馳走になるって話で……謀反はもう大丈夫なのか?」


「ああ、制圧自体はすぐ終わったからな。説教に時間が掛かっただけだ。しかし、夕飯か……」


 テオドラは自分の左右にいるクラリスさんと大婆様を見てから、ジエナさんに視線を向けた。それを受けてジエナさんが笑顔で両手を合わせる。


「せっかくだし、皆さんも食べていきませんか?」


「いいのか?」


「ええ、もちろん。ヴァティスさんたちさえ良ければ」


 ジエナさんが笑顔でテオドラたちを誘う。

 テオドラは城下だと基本レイナ・ヴァティスと名乗っており、本当の身分を知る人間は限られている。そのためジエナさんも御多分に漏れず、テオドラのことは帝国警備隊のお偉いさんという認識だ。


「レイナでいい。ケイが親しくしていると聞いているからな。そうなのだろう? 婆よ」


「そうじゃな。相当……親しいと思うぞ」


「含みのある言い方ですね。わたくし、気になります」


 大婆様の言葉に、クラリスさんがメガネをクイクイ持ち上げる仕草をしながら反応する。なお、クラリスさんは実際にメガネを掛けてはいないので、エアクイクイだ。


「気になるといえばケイ様、もう夕暮れ時なのにそのサングラスは如何なものでしょう?」


「はは……まあ確かに」


 クラリスさんのツッコミに頭をかきながら笑う。

 俺の魔眼事情や抑制クールタイムについてはこの場にいる全員が知っている関係上、誰も魔眼遮断用のサングラスに関して言及はしていなかった。それにあえて言及してくるあたり、マイペースなクラリスさんらしいなと思う。


「確かにと仰いましたね? では失礼して」


「え……」


 クラリスさんが素早く俺のサングラスを外し、真正面から目を覗き込んでくる。魔眼は昼前に使ったばかりで抑制が効かないため当然、魅了の魔力がクラリスさんを貫き、その目がピンク色の光を帯びる。


「これが魅了……いいですね、一度掛かってみたかったのです」


「何やってんですか!?」


 慌ててサングラスを取り返そうとするが、クラリスさんはその場から一歩も動かず、俺の手をヒョイヒョイと避ける。大婆様がテオドラに切り刻まれて以降、クラリスさんには例の精神防護魔法が掛かっていないため、俺の魅了も通用してしまったようだ。

 それを見てテオドラは大きなため息をついた。


「このバカ……婆、クラリスの魅了を解除してくれ。最近は素で暴走してるぐらいだ。魅了状態じゃ何をするかわからん」


「仕方ないのう……どれ」


「まだ解除はお待ちを」


 そう言ってクラリスさんは大婆様の顎に向けて、目にも留まらぬ速度の拳を放った。直後、大婆様が白目を剥いてその場に倒れる。


「ま、またこんな扱い……ガクッ」


 大婆様はプルプル震える手をこちらに向けて伸ばしながら呟いた後、自ら擬音を口にして力尽きた。荒野での戦い後に聞いた話だと、大婆様は気絶しても自動で意識が回復する魔法を頭に掛けているらしいので、すぐに復活するだろう。

 ただそれはそれとして、魔眼抑制のサングラスを返してもらわないと。


「クラリスさん、何やってるんですか……返してくださいって」


「もちろん返しますとも。このようにして、と」


 クラリスさんはぬるりとこちらの背後に回って膝カックンしてきた。

 それから虚を突かれて膝が曲がった俺の両脇に手を入れ、持ち上げてくる。


「何をっ……あ」


 気が付けば俺はその場でぐるりと回転させられ、反対方向に視線を向けていた。

 魔眼抑制のサングラスは付けてないので当然、視界に入っているだけで影響するようになった魅了の魔力が抵抗力のないアンファングさん、ジエナさん、シルヴィを襲う。


「計画通りです」


「いやマジで何やってんですか!?」


 俺を地面に降ろしてドヤ顔で呟くクラリスさんに詰め寄る。


 いや……こんなことしてる場合じゃない。今はただでさえ前より魅了の効果が上がっているのだ。大婆様が目覚めるまでこの場から離れなければ。

 そう思った次の瞬間、俺はクラリスさんに後ろから羽交い締めされていた。


「逃げないでください。これも主様のためです」


「は? なんで……うわあぁ!?」


 間髪入れず、ジエナさんとシルヴィが俺に向かって抱き着いてきた。


「ケイさん、とりあえず中に入って! お肉もお酒もいっぱいあるから!」


「ジエナさん抱き着かないで! ケイはあたしのだから!」


「ちょっ、二人とも落ち着いてっ……テオドラ! 助けてくれ!」


 無理やり振り解くこともできずテオドラの方を見ると、彼女は口元に拳を当て、頬を赤く染めながらギラギラした目でこちらを凝視していた。


「あ……ああ、そうだな。しかし、困ったな……私はほら、手加減があまり得意じゃないから、手を貸したらケガをさせてしまうかも……」


「あたた……ひどい目にあったわ……あへ?」


 テオドラが話している最中に立ち上がった大婆様が再び、白目を剥いて倒れる。

 一瞬だけ見えた足の残像からして、クラリスさんがまた顎を蹴り抜いたらしい。


 ダメだこれ……テオドラ、止めるないわ。さっきもそうだが、今の大婆様に対する攻撃だってこれだけ近かったらテオドラなら止められたはずなのだ。なのにそのまま見過ごしているということは、もう完全に意図的である。


「クラリスさんよ、それオレが代わろうか?」


「いえ、これはこれで役得なのでお気になさらず」


 アンファングさんはなぜかクラリスさんに俺の羽交い締めの交代を申し出てるし、クラリスさんは普通に断ってるし、もうやりたい放題だ。


 一縷の望みをかけてリリア、ミリアさん方面に視線を向ける。

 すると近くまで寄ってきていたリリアが意を決したように頷き、両腕を広げた。


「わ、私もー!」


「ぐはぁ!?」


 右脇腹にリリアの強烈なタックル。俺は37のダメージを食らった。

 ……リリアさ、お守りがあるから魅了掛かってないよね?

 なんでタックルしてきたの?


「あらあら……うふふ、みんな元気ねぇ」


 ミリアさんはそんなリリアを見て、口元に手を当てながら微笑んでいた。

 ……いや、あの……元気ねぇ、じゃなくって……助けてほしいんですが。


 俺は揉みくちゃにされながら、夕焼けで赤く染まる空を見上げた。

 まだ明るいのに星がいくつも出ており、それらの星がサムズアップする女神様の姿に見えた。なんか『グッ!』って擬音まで聞こえてくるような気がする。


「カオスだ……」


 あとやっぱり——転生特典で貰った魅了の魔眼が厄介すぎる。

 俺はそんな思考の中で、やがて諦めの境地に達し、流れに身を任せて脱力するのであった。

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