「……綺麗ね」
「そうだな……」
しばらく二人で朝焼けの空を眺めた後。
シルヴィは淡々と、独白するように語り始めた。
「あたし、ケイの魔眼を見てから……今までどうやって、何を思って生きていたのか、よくわからなくなっちゃうぐらいに毎日、ケイのことを考えてた。苦しくて、切なくて……でも楽しくて、ケイがそばにいるだけでドキドキして、嬉しくて……まるで、夢でも見てるみたいだった」
「…………夢からは覚めた?」
「覚めた。ビックリするぐらい覚めた。ケイの顔にある毛穴がひとつひとつハッキリ見えるぐらい覚めた」
「見るな見るな」
「ごめんウソついた。今あらためて見たけど、ぜんぜん毛穴見えない……ケイの肌どうなってんの? 赤ちゃんなの? バケモノなの?」
「その言い方だと赤ちゃんがバケモノみたいに聞こえるな……」
「赤ちゃんはバケモノだよ。かわいさのバケモノ」
「あまりよろしくない喩えじゃないかそれ……?」
バケモノって単語が赤ちゃんと合わなすぎる。
言いたいことはわかるけど。
「そうかな? かわいいじゃん、バケモノって」
「かわいいか……?」
「かわいいよ。響きが」
「響きかよ」
「なに、響きじゃダメなの?」
「そこまでは言わないけど」
くだらないなぁ、とは思う。
ただ、そのくだらなさに正直、救われる部分もある。
さっきまで内心、何を話そうか少し緊張してたからな。
彼女が積極的に軽口を叩いてくれたお陰で緊張がほぐれた。
暴走しているときの印象が非常に強いシルヴィだが、実は普段から割と気遣いするタイプなので、もしかすると俺が硬くなっているのを察してわざと軽口を叩いてくれたのかもしれない。
「なに? そんなジッと見つめて。もしかしてまた魔眼で魅了を掛けようとしてる?」
「してないしてない! もうコリゴリだから」
今だって大婆様の魔眼防御魔法がシルヴィに掛かってなかったら、見つめないどころか念のため、近くに寄りさえしないだろう。
結果的に大婆様の力を借りることができて、一時的に問題は解決したけど……そこに至るまでが本当に大変だったからな。
「うっわ、それあたしが魅了に掛かって超迷惑だったってことでしょ? 傷つくなぁ……自覚があるだけに。あたしだって、わざと掛かったわけじゃないんだけど」
「う……ごめん」
「傷つけた責任、取ってくれる?」
シルヴィは冗談っぽくそう言うと、俺の顔を覗き込むように首を傾げた。
どういうつもりで言っているのかは、わからない。ただ彼女の言葉が冗談だろうが、冗談じゃなかろうが、俺の答えは決まっている。
「責任は取るよ」
「どうやって?」
「俺にできることなら、なんでもする」
「…………」
シルヴィはこちらをジト目で見ながら、ボソッと呟いた。
「微妙……」
「え……」
「ケイさ……女の子と付き合ったことないでしょ?」
「っ!? ん、んん~? ど、どうだったかな?」
「あたし魅了状態のときは頭がどうかしてたし、ケイは優しくてその顔だからまあ、経験豊富なのかなって勝手に思ってたけど……そういえば、ケイがその外見になったのって転生した後なんだよね。それで、最初に滞在したっていう村から出てすぐにあたしたちと出会ったって話だから……うん、やっぱり誰とも付き合ったことないね」
「…………なんでそう思う?」
指摘されてみれば、自分の態度とか言動が悪かったんだということはわかる。
多分、あの発言かな……っていう目星もつく。けど具体的に何がダメで、何が正解だったのかが、よくわからない。
「それ、聞いちゃうんだ……」
「うっ……! ごめん、甘えだった。自分で考えるから、やり直させてくれ」
「ふーん? いいよ」
シルヴィは少し嬉しそうな顔で返事をした後、さっきと同じように俺の顔を覗き込むように首を傾げながら、冗談っぽく言った。
「傷つけた責任、取ってくれる?」
「責任は取るよ」
「…………どうやって?」
「結婚しよう」
俺はシルヴィの目を見つめながら言った。
するとシルヴィは再びこちらをジト目で見ながら、淡々と言った。
「それ本気で言ってる?」
「え……それはもちろん、本気だけど……あ、もしかして俺の勘違い?」
別にそんなの望んでなかった?
だとしたら、これはかなり恥ずかしい。相当に恥ずかしいぞ。
自惚れも甚だしい。自分の顔がドンドン熱くなっていくのを感じる。
「ああー、違うってば。いや勘違いは勘違いだから、違くはないんだけど……今ケイが考えてるのは多分違う」
「え、あ、そう……?」
「なんていうか、傷つけた責任を取るって理由で『結婚しよう』って言われても、ぜんぜん嬉しくないっていうか……雰囲気がないっていうか……もっとこう、さぁ……そこは責任なんて関係ない的に言ってほしいというか……」
「う、うん……」
「……っていうか、わかった。これそもそも、あたしが悪い」
「んん……?」
なんだろう、なんか流れが変わった。
あれか、俺みたいな気が利かないやつに言うべきことじゃなかった的な話だろうか。だとしたらちょっと悲しい。
「そもそもさ……ケイってあたしのこと、あんまり好きじゃないよね?」
「んん!?」
全然違う話だった。
まったくそんなことはないし、事実と異なる指摘なのだが、あまりにも唐突かつ一言でも間違えたら大事故に発展しそうな内容に、思わずどもってしまう。
「す、好きだけど?」
「じゃあ、リリアと比べたら? どれぐらい好き?」
「どれぐらい、って……」
「あ、やっぱりいい。こんなこと言ってるからダメなんだよね、あたし……なんの取り柄もないくせにさ」
シルヴィは急に前言撤回して、苦笑しながら目を伏せた。
なんでいきなり自虐し始めたのかわからないけど、こちらとしては正直に気持ちを伝えるしかない。
「リリアと比較はできないし、したくもないけど、俺はシルヴィのことが好きだよ。どれぐらいかって言われたら、それは命を懸けて守りたいと思うぐらい」
「あはは……思うだけじゃなくて、実際に守ってくれた人が言うと、説得力が違うね」
「何度でも守るよ。約束する」
俺が力強く言うと、シルヴィは一瞬大きく目を見開いた後に小さく頷き、やがて目をつぶった。そして顔を上げ、少し唇を前に出す。
「…………」
「…………」
「…………ねぇ」
「うん」
「待ってるんだけど……?」
シルヴィが片目だけ開けて、ウインクしながら甘えるような声で言う。
ドキッとした。シンプルにかわいい。付き合う過程なしで結婚とかハードル高すぎるって内心ビビってたけど、こんなにかわいい奥さんができるなら俄然、前向きな気持ちになってきた。
一昔前の日本は一度も会ったことがない相手とお見合いで結婚、なんてザラにあったという話だけど、それに比べたらシルヴィとはお互いを十分知ってる方だ。そう考えると、恋人という段階を踏まなければ怖いなんて思っていた俺は臆病すぎたのかもしれない。
ただ、それはそれとして、今ここで俺がシルヴィに手を出すわけにはいかない。
「わかってる。でも、あと一年は待ってほしい」
「一年? ……なんで?」
「フェアじゃないから」
今のシルヴィはすでに解除されたとはいえ、魔眼の魅了による影響が多大に残っている可能性が高い。いわば今、彼女が言っていることや態度は『一時的な気の迷い』であるかもしれないのだ。
もっと月日が経って冷静に考えたら、俺に対する考え方が180度変わっていても全然おかしくはない。
……という内容を、ストレートに伝えてしまうと実質『君はまだ正気じゃない』と言ってるようなものである。そのためシルヴィには表現をだいぶ柔らかくして、できる限り気を遣い、遠回しにそれを伝えていく。
するとシルヴィは話を聞けば聞くほどスン……とした表情になり、最終的には先ほどと同じジト目になった。
「ケイってさ……バカ真面目っていうか、バカ誠実っていうか……バカだよね」
「あ、あれ……?」
前の二つはともかく、最後のはシンプルに罵倒では?
おかしいな……これは彼女のことを考えたうえでの結論だし、理に適っているはずだから、冷静になったシルヴィなら理解してもらえると思ったんだけど。
「ハァ……でも、いっか。むしろちょうどいいかも。今のあたしじゃケイに釣り合ってないし、さっきのプロポーズも微妙だったし」
シルヴィはそう言うと立ち上がり、こちらに一歩進んで距離を詰める。
それから身を少し屈めたかと思うと、俺の頬に唇で軽く触れるようなキスをした。
「え……?」
驚いて見上げると、シルヴィはこちらの反応に満足したのか、いたずらに成功した子どもみたいな笑顔を浮かべていた。
「一年ね。わかった。その時は責任を取るなんて言葉じゃなくて、『好きで好きでたまらないから、一生一緒にいてください』って言わせてみせるから。覚悟してね」
シルヴィがそう言って、風に靡く髪を押さえながらウインクする。
そんな彼女の頬は、朝焼けだけじゃない赤色に染まっていた。