「あ、これヤバい流れじゃ……ケイよ、ワシはしばらく姿を消す。その間、ワシの館を使いたかったら使ってもよいからな。もちろんリリアたちもじゃ。ミリアの意識は回復させておくから、館に帰りたくなったらミリアに言え。さて……」
「ちょ、ちょっと待ってください! 約束を守ったので魔眼の問題を……!」
「あー、それがあったの。わかったわかった。この後シルヴィの魅了状態は解除して、ついでに当面魔眼が効かんようにしておくから安心せい。魔眼の制御法については後日、ほとぼりが冷めたら教えるから待っとれ」
「ほとぼりが冷めたらって……」
「じゃあの~」
大婆様はそう言って、俺の肩からピョンと飛び降り足場の木に着地した。直後、まるで沼に沈み込んでいくかのように、ズブズブと木の中へと潜っていき姿を消す。
「行っちゃったよ……」
なんだったんだ、急に……と、疑問に思っている間にも、テオドラとクラリスさんの会話が聞こえてくる。
『なぜ、婆は私に黙ってそんなものを……いや、これを機にバラす……? …………ハッ!? ま、待て、その精神防護魔法というのは……』
『はい。主様が支配の魔眼に目覚め、大婆様がそれを知った8歳頃からずっとです。当然といえば当然ですね。支配の魔眼は一歩間違えば非常に危険な能力です。主様が癇癪を起こしてわたくしに自害を命令などしたら、幼い主様に大変な心の傷を負わせてしまう可能性がありましたから。そのため常にお傍でお仕えするわたくしは、魔眼の命令には抵抗できるようになっていたのです。今まで明確に抵抗しなければならない命令はほとんどなかったので、主様の前で命令に背いたことはありませんが』
『わ、私の前で、ということは、つまり……』
『お察しの通り、裏では主様が掛けた魔眼の支配に抵抗し、命令に背いておりました。誰にも言うなとの命令でしたが、主様のことを想えばこそ、わたくしは頼れる大人に情報を共有して相談したかったのです』
『まさか、まさか……まさかまさかまさか……!!』
『はい、そのまさかでございます。これまで主様が魔眼でわたくしに命令してさせた、あんなことやこんなことはすべて、まるっと、何もかも全部……大婆様やお父様、お母様に筒抜けでございます』
『あ、あぁあぁぁ……あぁああぁああぁ……』
『当時は主様がわたくしに対して、あまりにもその……アレだったので、将来はどうなってしまうものかと、幼心にドキドキしたものですが……でも、心配は杞憂でしたね。今となっては素晴らしい性癖の、立派な女性に育って……主様?』
カツカツカツと早歩きでこちらに向かってくる足音が聞こえる。
そしてすぐ近くで足音が止まると、次の瞬間、防音の魔法障壁がパリィンというガラスが割れるような音と共に砕け散った。
「婆……婆は、どこだ」
テオドラが俺に詰め寄り、無表情で問い掛けてくる。
限界まで開かれた目は血走っており、剥き出しの殺意が皮膚を刺すように伝わってきた。
「さ、さっき、このあたりに潜ってどっか行っちゃったけど……」
「…………」
「……テオドラ?」
「
「ちょ、ちょっと待ったぁ!!」
突然テオドラが両手を広げながら詠唱し始めたので、慌ててその腕を掴んで止める。
「大婆様は多分いないから! もういないからそれはやめとこう! な!?」
「……………………………………そうだな。今は、抑えるか」
テオドラはしばらくフリーズした後、ボソボソと感情が死んだような声で答えた。詳細はわからないが、相当ショックだったらしい。
このままだと何を仕出かすかわからなかったので、俺はテオドラを一生懸命なだめ、いったん帝都に帰るため意識が回復したミリアさんに転移魔法の準備を進めてもらった。
その後は気絶したままのシルヴィとリリアを回収し、クラリスさんをここに置いていこうと言うテオドラを勢いとパッションで説得する。
そして最終的にはミリアさんの転移魔法でなんとか、大婆様以外の全員で帝都へと戻ることに成功したのであった。
〇
深夜の帝都にて。
無表情で大婆様を探すと言うテオドラと別れ、俺はミリアさんや、目を覚ましたシルヴィ、リリアと一緒にこれまで滞在していた大婆様の館へ帰った。
そして全員が風呂に入り、今日は疲れたからとにかく寝ようという話になって、みんな床に就いた……のだが。
「……眠れない」
今日一日で色々ありすぎてまだ興奮が収まらないのか、どうにも眠気がこない。仕方ないので一人部屋のベッドから起き上がり、水を飲むためにダイニングへと足を運ぶ。
「ふぅ……」
ダイニングで水を飲んで一息ついた後、これからのことを考える。
大婆様に半ば騙されてテオドラとお見合いした結果、後半は謎の流れで相当よくわからないことになっていたが、なんとか一番の最優先事項だったシルヴィの魅了は解除できた。
魅了が解除されたシルヴィとは、まだしっかりと話し合えてはいない。
けど少し接した感じでは非常に冷静というか、落ち着いて現状を理解しているように見えた。そのため最悪の事態——平常に戻ったことで、今までのことを恨み俺を殺そうとする——みたいなことにはならなそうだ。
シルヴィがそんな状態だからもちろん、魅了状態だった頃みたく俺に責任を取れとか、リリアを第一夫人にしろとか、そういうことも一切言われていない。
あれはシルヴィが平静じゃなかったからこその発言だと思っていたので、予想通りと言えば予想通りではあるのだが……もう俺のことが世界で一番好きだと言うシルヴィはもういないのだと思うと、少し寂しい気持ちになった。事故同然に魔眼で魅了しておいて勝手な話ではあるが。
「はぁ……」
眠気はこないし眠れそうにないけど……することもないので寝るか。
そう思って寝室に戻ろうとしたら、廊下の方でキィ、とドアが開く音がした。
俺と同じく、眠れない誰かが水でも飲みに起きてきたのだろうか。だとすればこちらにくるはず。
「……あれ?」
そんな俺の予想は外れ、足音は廊下を抜けて、3階に通じる階段を上がり始めた。この館の3階は物置と化していて、特に何かあるわけでもないはずだが、何をしに行ったのだろうか?
純粋に興味が湧いて、俺も足音の主に続いて3階へと上がってみる。すると足音は3階の角部屋から更に『上』へと進み始めた。
「んん……?」
この館に4階なんてあったっけ?
そう首を傾げながら角部屋に入ると、部屋の隅に梯子が掛けられているのを見つけた。その先には天井裏に続く四角い入口がある。
なるほど、そういうことか……と納得したところで、足音が天井裏を抜けて、更に上の方へと移動する音がした。当然だが、天井裏の上といえば屋根しかない。
なんとなく足音の主が心配になって、俺も天井裏に入り、奥にあった窓から屋根に出た。
「あれ……ケイじゃん。どうしたの?」
屋根の端に座り、朝焼けの空を眺めていた先客のシルヴィがこちらを振り向く。
屋根には波を打ってる茶色い瓦みたいなものが敷き詰められており、平坦じゃないので端の方は危ないかと思ったが、割と傾斜が緩やかなので座っている分には落ちる心配はなさそうだ。
「足音がしたから気になって。シルヴィこそどうしたんだ?」
「なんか眠れなくって。ケイも同じでしょ」
「まあ……そうだけど」
なんとなくシルヴィの隣に座り、同じように朝焼けの空を眺める。
帝都の中世ヨーロッパ然とした建物たちが朝焼けの赤い光に照らされて、まるで絵画のような光景だった。まだ人の気配が少ない時間帯の静けさが、余計にそう感じさせる。