私はそこでようやく我に返った。
崩れ落ちるエリサさんと、流れ落ちる血液。
私が受け止めたエリサさんは血塗れになっていた。
杖を放り出し、片膝をついてエリサさんを抱きしめる。華奢な体が震えていた。慌てて回復魔法をかけるが、私の拙い魔法ではどうにもならないほど、エリサさんの傷は深い。
これでは助からない。どうにかしないとエリサさんが死んでしまう。考えている暇はない。
医者は、医者はいないのか。その前に止血をするべきか。止血ってどうするんだっただろう。
「アルベルト様、私のことは気にせずに、魔を、魔を倒して下さい」
「でも、エリサさん!」
「貴方を守って死ねるなら本望です」
エリサさんはうっすらと笑って見せた。ダメだ。私を守って死ぬなんて。私は守られるような価値なんてないのだ。エリサさんの命と引き替えに、私が生き残るなんて。魔を早く倒してというエリサさん。私はどうすればいい。
「貴方に僕は倒せないでしょう。そのずたずたな心で、ずたずたな人間を抱えて何が出来ますか」
霧に煙る中、銀髪の魔が笑っている。
何が出来るのか。今の私に出来ることは、戦うことだ。
私はエリサさんを地面に寝かせ、先ほど放り出した杖を手にする。早く終わらせて、エリサさんの手当てをしなければ。杖を構え、祈りの力を込めるが、光弾が飛んできて何とか弾く。これではダメだ、ユーリの力を借りなければ。月光の杖は祈りの力をためなければならないので、どうしてもすぐには攻撃出来ない。そこが弱点だ。祈っている間は無防備なのだ。ユーリが魔法で補助してくれなければ、祈るのは難しい。
光弾をよけながら、ユーリを探す。
霧に包まれているのでなかなか見つからない。
少しして、金色の髪が見えた。ユーリだ。しかし、ユーリの細い首はクラウスさんの大きな手で絞められていた。そのクラウスさんの首をユーリが絞める。あれを何とかしないと、ユーリの力を借りられない。
「お、やっとお仲間を見つけたのですか。もうすぐ死にますよ、そっちもね」
「死なせはしないよ、誰も。私の所為で人が死ぬのはもうごめんだ」
「貴方程度の力で何が出来る。降伏しなさい。その杖を僕に寄越すのです。そうすれば、命だけは助けてもらえるように、シュルヴェステル様にお願いしてあげますよ」
「誰が杖を渡すものか。シュルヴェステルに命乞いなどしたくはない」
「いいんですか。それは貴方の気持ちでしょうけど、他の人たちの気持ちは聞きましたか。助かりたいのではないのですか。命乞いをしたいのではないですか。痛いのも苦しいのも、嫌なのではないですか?」
そうかもしれない。皆助かりたくて、痛みも苦しみも嫌で、私だけが強がっている。私のちっぽけなプライドと強がりで、皆を死なせてしまう。しかし命乞いをしたとして、それをあのシュルヴェステルが受け入れるとは思えない。それに、杖を失ったら私に存在価値などない。皆の命も杖も失いたくはない。これが私の結論だった。
私は杖に魔力を込めて走り、首を絞めあうユーリとクラウスさんに向かって振り下ろす。光がほとばしり、二人を包む。すぐに二人は首を絞めるのをやめた。
「あ、あれ。何してたの、僕」
「まさか、私が絞めていたのはユリウス君の首だったのか」
「二人とも、大丈夫ですか」
「僕は大丈夫だよ。アル、今手伝うよ」
「私も微力ながら手伝おう」
エリサさんの具合はどうなのか。魔はすぐ攻撃を始め、ユーリがすぐにフォローに入って、それを防いでいく。クラウスさんはエリサさんの元に走った。これで万全だ。
光の矢が降り注ぐ。地面を抉るほどの攻撃に、思わずしゃがみ込む。ユーリが魔法で全ての光の矢を相殺する。エリサさんとクラウスさんは大丈夫なのか。
見ると、クラウスさんはエリサさんを抱きしめるようにしてシールドを張り、守っていた。
「僕に喧嘩を売るなんて、身の程知らずだね。これでも、攻撃出来るの」
「それはどういう意味だ」
ちらっと、クリスの姿が見えた。衝撃を受けて、一瞬防御が遅れる。私は何カ所か攻撃を喰らってしまった。喰らったとは言っても、掠った程度だが。ユーリは唇を噛んで俯いてしまっている。恐らく、ユーリにも見えたのだ、クリスの姿が。
何てことをするんだ。
クリスの姿を見せて混乱させたり、エリサさんを瀕死の状態にしたり、ユーリとクラウスさんを首絞め合わせたり。私は許せなかった、そんな卑怯な魔が。切り刻んでも足りないくらいに憎い。
「そんなことで攻撃をやめると思ったら大間違いだ」
「うわ。攻撃するんですね。大事な人を殺してもかまわないと。鬼畜の所行ですね」
「鬼畜はどっちだ!」
大事な人ならば、一度は見殺しにした。罪を背負うのは今に始まったことではない。クリスの姿を借りた魔を攻撃することくらいわけのないことだ。
死ねばいい。死んでしまえばいい。
私の全ての力でこいつを倒す。
杖を両手で握って、体の正面に立てる。
すると杖が震えだした。そして、私の力を急激に吸い始める。これは暴走か。まずい、こんなところで杖が暴走したら、ユーリやクラウスさんやエリサさんまで巻き込んでしまう。それはダメだ。
私は深呼吸をして心を落ち着かせようとする。この杖は感情が高ぶっている時に使うと、もの凄い力で暴走するのだ。私は過去に一度だけ、それを経験していた。その時の惨劇を繰り返すわけにはいかない。
魔は再び光弾を放った。
ユーリが走り込んできてガードする。
大丈夫なのかと、その顔を見ると涙を流していた。
私は杖に祈りの力を込める。
「大きな力になったと思ってびっくりしたけれど、力を抑えたんですね。そんなに力を抑えて僕を倒せますか?」
「倒せるよ。自信過剰も大概にした方がいい」
「自信過剰はどっちでしょうね」
「自信過剰はあんただよ!」
ユーリは隙をついて走り込み、電撃を叩きつける。魔はぎりぎりのところでよけるが、立て続けにエネルギー弾が襲う。ユーリが攻撃を仕掛けているうちに、祈りの力はたまった。
私は杖で大地を突いた。
光があふれて、魔がのみ込まれていく。私は魔が塵になったのを確認せずに、エリサさんに駆け寄った。
「ダメだ、アルベルトさん。出血が酷すぎる。今から医者に見せても間に合わん」
「何とか、何とかしないと」
私はもう一度回復魔法をかけるが、血が止まる気配すらない。弱っていく一方である。そんなエリサさんは私の手を取ると、回復魔法を拒否する。その目から涙がこぼれた。ダメなのか。私の力ではこれ以上何も出来ないのか。
「皆さん、もういいんです。私の傷はこの世界ではもう治せません」
「そんな、そんなことを言わずに頑張って下さい」
「ねえ、エリサさん。この世界では治せないの?」
「ええ。私はこちらの生まれではありませんから。こちらの空気は多少の毒になります。傷の治りも遅くなります」
こちらの空気は毒。
この世界では治せない。
ならば、あちらの世界ならばどうなのだろう。
振り向くと、魔は消えたようだが、まだ空間の歪みは消えていない。
「エリサさん、あちらの世界でなら治るのですか?」
「分かりません。幼い頃しかあちらの世界にいなかったので。でも、こちらの空気よりはあちらの空気の方が、いいとは思います。体にも、傷の治りも」
「あちらの世界には、あの歪みからいけますか?」
「いけるはずです」
私はエリサさんを抱き抱え、空間の歪みに近づく。
「ダメです。このまま近づいては、アルベルト様が引きずり込まれてしまいます。私は歩けますから、どうか下ろしてください」
私はそんなエリサさんを抱いたままで歪みのすぐそばまで歩いた。
「アルベルト様、ユリウス様、クラウス様。ありがとうございました。私は元の世界へ帰ります。どうか、シュルヴェステルを倒して下さい、アルベルト様。それだけお願いします。アルベルト様。貴方に会えて本当によかったです。お元気で」
エリサさんはそう言って、次元の歪みに引き込まれていった。
結局、こんな選択しか出来なかった。
そんな自分が嫌だ。
エリサさんは行ってしまった。
私の手に金細工の髪飾りだけ残して。