〜処刑執行人とブラック・ネイル〜
扉が開いた。
店内の空気が、一瞬で変わる。
誰かが背筋を伸ばし、誰かが息を潜める。
——“死”を運ぶ者が現れたと、誰もが感じた。
カウンターに座ったのは、一人の処刑執行人。
漆黒のロングコート、
無骨な手袋に覆われた指先。
その手は、何度も斧の柄を握りしめた者のものだった。
男は低く、短く呟く。
「……“静かな酒”をくれ」
俺は黙って棚からボトルを取り出す。
「ブラック・ネイル——“沈黙の刃”のための一杯だ」
ロックグラスに大ぶりの氷を落とし、
アイリッシュウイスキーとドランブイ(ハーブとハチミツのリキュール)を注ぐ。
バースプーンでゆっくりとステアし、
琥珀色の液体が静かに混ざり合う。
最後に、ほんの一滴のブラックウォルナットビターズ。
「どうぞ」
処刑執行人はグラスを持ち上げ、
その琥珀の深みを覗き込む。
「……黒鉄の釘のような酒だな」
そして、一口。
「……っふ」
アイリッシュウイスキーの滑らかなコク、
ドランブイの甘さとスパイスの奥深さ。
そして、ほのかに漂うクルミの苦みが、
まるで”斧の冷たさ”のように舌の上に残る。
「……なるほど。“終わりの味”か」
俺はグラスを拭きながら言う。
「お前にとって、“処刑”とは何だ?」
処刑執行人は微かに笑い、
グラスの中の琥珀を揺らす。
「“仕事”だ。それ以上でも、それ以下でもない」
「“裁き”ではないのか?」
彼は首を横に振る。
「裁くのは俺ではない。
俺の役目は——“終わらせる”ことだけだ」
最後の一口を飲み干し、
静かにグラスを置く。
「いい酒だった」
彼は懐から一枚の銀貨を取り出し、
カウンターにそっと置く。
「“最後の報酬”だ」
俺はそれを拾い、微かに笑った。
「また来るか?」
処刑執行人は立ち上がり、
帽子を深く被る。
「……“次の終わり”が来たらな」
扉が開く。
彼の背中が消えると同時に、
店の空気がやっと、元に戻った。
——今夜もまた、一人の”刃を振るう者”に漆黒の一杯を届けた。