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第60話「静寂を見守る者に、嵐を閉じ込めた一杯を」

〜墓守とダーク・アンド・ストーミー〜


 扉が開いた。


 次の瞬間、雨上がりの土の匂いがふっと店に流れ込んだ。

 その香りには、どこか懐かしさと静けさがあった。


 カウンターに腰を下ろしたのは、一人の墓守。

 粗末なフード付きの外套、

 手には土で染まった古い革手袋。

 無駄な言葉はなく、しかしその目には長い時を知る静謐さが宿っていた。


 彼はぽつりと呟いた。


 「……“嵐の後”のような酒がほしい」


 俺は頷き、棚からボトルを取り出す。


 「ダーク・アンド・ストーミー——静けさに潜む嵐の一杯だ」


 ハイボールグラスに氷を満たし、

 ジンジャービアを注ぎ、

 その上にそっとダークラムをフロートする。


 グラスの中で濃い琥珀色の液体が、

 雲が流れる空のようにゆっくりと沈んでいく。


 仕上げにライムを添えて。


 「どうぞ」


 墓守はグラスを片手に取り、静かに眺める。


 「……まるで、雨雲が地を抱きしめているようだ」


 そして、一口。


 「……ふむ。これは、“語られなかった物語”の味だな」


 ジンジャービアの刺激的なスパイス、

 そこに重なるダークラムの深く甘やかなコク。

 喉に残るのは、ライムの冷たく鋭い余韻。


 「墓はな、“終わり”を示すだけじゃない。

  そこには語られなかったものが、必ずある」


 俺は静かにグラスを拭きながら言う。


 「語られなかった想いも、“誰か”が受け取るものだ」


 墓守は、ほんの少しだけ笑った。


 「……そう。だから俺は、ただ”そこに在る”」


 彼は最後の一口を飲み干し、

 懐から黒曜石で作られた小さな墓標のペンダントを取り出し、カウンターに置いた。


 「これは、俺の見守った魂たちの記憶。

  ……受け取る者に、重くなければいいが」


 「預かっておくよ。静かに、丁寧にな」


 墓守はゆっくりと立ち上がる。


 「……また来よう。

  “誰かの想いが風化する前に”」


 扉が開く。


 彼の背中は、忘れられた風の中へと消えていった。


 ——今夜もまた、一人の”見守る者”に、嵐を閉じ込めた一杯を届けた。

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