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23時のお客さまは異世界の住人~騎士さまは珈琲をご所望です~
23時のお客さまは異世界の住人~騎士さまは珈琲をご所望です~
かほなみり
異世界恋愛ロマファン
2025年05月10日
公開日
4,693字
連載中
街はずれの丘の麓に建つ、カフェ・レタル。 閉店後、ときどき訪れるようになった長身のイサイアスと、一人でレタルを営む白波瀬あかりは、ある夜をきっかけに穏やかな交流をすることに。 初めのうちは見たことのない服装と、明らかに外国人の顔立ちをしたイサイアスを警戒していたあかりだったが、優しく穏やかな彼に、次第に心を開いていく。そして、彼と交流をするうちに、傷ついていたあかりの心も癒されていくのだった。 やがて、一方通行だった彼との交流は、あかり自身も異世界へと足を踏み入れることになる――。 23時に現れる異世界の住人イサイアスと、現代日本で暮らすあかりの、不思議な交流と恋の物語。

第一章:珈琲と甲冑と、ときどき騎士

第1話:カフェ・レタルと二十三時のお客さま

「ありがとうございました。お気を付けてお帰りください」


 店先で軽く頭を下げ、最後のお客さまの車を見送る。赤く光るテールランプが見えなくなるのを見届けて、はぁっと息を吐き出した。

 辺りには、夏の虫たちの澄んだ音色と、カエルたちの合唱が響いている。夜の空気はほんのりと湿っていて、昼間の熱気をわずかに感じた。

お店の前に出していた黒板スタンドをたたんで片付けていると、ふわりと毛並みを揺らして、小太郎が私の脇をすり抜けていった。黒々とした大きな体が前庭を駆け抜け、そのまま闇へと続く道へ走っていく。しばらくすると、街灯の届かない暗がりの向こうから、「ワン!」と一声、張りのある鳴き声が響いた。

 小太郎は毎晩こうして、店の周囲を一巡してくれる。誰に言われたわけでもないのに、まるで自分の役目だと言わんばかりに、不審な気配がないか見て回るのだ。頼もしい我が家の番犬で、お客様に人気の看板犬。

 一通り周囲を見て回り、満足げに尻尾を振りながら戻ってくる小太郎を店の中へ招き入れ、ドアにかかった札を「OPEN」から「CLOSED」へと返す。

 ふう、とひとつ息を吐くと、じんわりと肩に一日の疲れを感じた。

 すっかり日が落ちて暗くなった、二十一時。

 見上げた空には白く光る月が昇り、森の闇よりもうっすらと明るい夜空が広がっている。 


(今日は来るかもしれないな)


 別になんの根拠もない。

 ただ、私の勘がそう感じるだけなのだけれど、――きっとこれは当たる。


「そうだ、先日仕入れた珈琲を用意しようかな」


  あとは、今朝仕込んでいたチーズケーキがある。甘すぎないさっぱりとした後味を、以前来たときに彼はとても気に入っていたから、きっと喜ぶだろう。

 店内に戻って、玄関ポーチの明かりを落とす。

 オレンジ色のランプが消えて、『カフェ・レタル』の文字は闇に溶けた。



 店の清掃と翌日の仕込み、食材の確認をして時計を見れば、もうすぐ二十三時を回るころ。

店内のBGMをお気に入りのプレイリストに変えれば、気持ちも切り替わって力が抜ける。今夜はピアノのプレイリストを選んだ。

 店の看板猫、マルもピアノが好きだ。入り口横の椅子で丸くなっていた彼女は、ピアノの音色に耳をピクリと動かして居住まいを正し、また目を瞑った。その足元で小太郎も寝そべり、目を瞑る。

 彼らも、今夜は現れると思っているのかもしれない。

 お気に入りのカップを棚から選んで、珈琲を入れる準備を始める。

 ハンドルに水洗いしたネルフィルターを取り付けてセットし、珈琲ミルで豆を挽く。ゴリゴリと響くこの音が好きで、豆はいつも飲む分を挽いている。

 ケトルで沸かしたお湯を少し冷まして、ぽとぽとと中心に落とす。蒸らした豆の香りが、ふわりと店内を満たしていく。

 そして、いつものように――ちょうどそのタイミングで、古いドアベルがカラン、と音を立てた。


「いらっしゃいませ。――お疲れさまです、イサイアスさん」


  顔を上げて笑顔を向けると、扉の前に立つ彼は青い瞳を柔らかく細めた。


 「こんばんは、あかり。ああ、今夜もいい香りだね」


 白いシャツにゆったりとガウンを羽織った彼は、まっすぐカウンターへやってきて私の目の前の席に腰掛けた。

 小太郎が起き上がり、イサイアスさんの足元へ駆け寄ると、彼は笑いながら小太郎の首をわしわしと撫でる。椅子の上で眠るマルは、ちらりと彼のことを見て、また目を瞑った。


「今夜はいらっしゃると思ってたんですよ」

「本当に? すごいな、あかりも魔法が使えるようになった?」

「あは、なってませんよ! 私の勘です」

「それは的中率が高そうだね」


 言いながら、イサイアスさんはじっと珈琲を落とす私の手元を見つめている。


「ふふ、先日仕入れたばかりの珈琲です。いらっしゃると思って、用意していたの」

「タイミングがよかったね」

「ええ、とっても。チーズケーキもありますよ」

「それはいいね! 嬉しいな、いつもありがとう」


 顔を上げて優しく微笑んだ彼の金色の髪が、カウンターの明かりを跳ね返す。お風呂の後なのだろうか、ほのかに石鹸のさわやかな香りがした。


「きちんと支払いをしたいんだけどね」

「それについては、話したじゃないですか。私に魔法を見せてくれたらいいですって」

「本当にそんなことでいいのかなぁ」

「いいんです。だって、とっても素敵なんだもの」

「あかりがそう言うならいいんだけどね」


 それでも腑に落ちない顔をした彼の前に、淹れたばかりの珈琲を置く。カップは彼が気に入っている、地元の作家が焼いた白い粉引きのカップだ。


「わ、ありがとう。とてもいい香りだ。――少し、甘い香りがするね」

「カラメルのような感じでしょうか」

「なるほど――ああ、うん、おいしい」


 イサイアスさんは一口飲んで、ほぅっと息を吐き出した。


「ケーキもどうぞ」

「ありがとう。今日のケーキは白いんだね」

「はい。夏らしく、レモンを使ってさっぱりとさせたんです。イサイアスさんは好きだと思うな」

「ふふ、あかりが言うなら間違いないね」


 きれいな所作でケーキを口へ運び、口元をふわりと緩める。目の前でこんなに幸せそうに食べてもらえて、私の気持ちもふわふわと幸せになる。


「ああ、これは本当においしい……。今夜はとっておきのものを見せないと、割に合わないかな」

「とっておき?」

「うん。先日訪れた森に、とてもきれいな場所があったんだよ」


  そう言って、彼はなにかを描くように、長い指をスッと美しく動かした。ほんのり光る指先から、小さな光の粒が現れる。


 「わぁ……!」


 指先から溢れるように現れた光の粒は、キラキラと店内を埋め尽くし、形を変えていく。それはやがて、ひとつの景色を形作った。

 店内の天井近くに浮かび上がる、青い空と森、それらを鏡のように反射させる湖。


「これは……?」

「ここは、『風の泉』と呼ばれる場所だよ。鏡のような水面から、風のたまごが産まれるんだ」

「風のたまご?」

「掌に乗るくらいの大きさで、穏やかなものもあれば、激しい風を孕んだものもある。泉の上でしばらく浮かんでいて、時が来たら空へ昇っていくんだ」


 イサイアスさんは、「こんなふうに」と、掌の上に野球ボールくらいの球を作った。球の中には淡いピンクや水色の煙が閉じ込められていて、ゆらりと動いている。

 小太郎がその球に反応して目を爛々と輝かせるのを、「ダメだよ」と彼は優しく笑った。


「かわいい……」

「これは春の風のたまごだよ。温かい日差しと一緒に現れて、花のつぼみや木々の芽をほころばせるんだ」

「これも、精霊の生み出すもの?」

「そう。精霊は気まぐれだからね。時々、強い風のたまごも紛れてくるんだ」

「春一番みたいなことかなぁ」

「春一番?」

「そう、春に吹く強い風のこと。この風が吹くと、春がやってくるの」

「ふふ、あかりの世界には、気の強い聖霊がいるのかな」


 彼の掌の上でふわふわと揺れていた球が空に浮かび上がり、綻ぶようにゆっくりと弾けた。ふわりと温かく、爽やかな風が優しく頬を撫でる。


 「――行ってみたいな」


  彼の暮らす世界に。見たことのないものに溢れている、彼が教えてくれる美しい世界へいつか行ってみたい。


「私も、あかりを連れて行きたいな。――いつか、必ず」


 そう言って、きらきらと光の粒が舞う店内で、二十三時のお客さまは美しく笑った。

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