目次
ブックマーク
応援する
3
コメント
シェア
通報

第9話


…………。



「あれ? 生きてる?」



意識が浮上し、最初に認識したのは、天井……ではなく、相変わらずの真っ白な空間だった。

なんだ、夢か。悪夢を見たらしい。あんなド外道幼児に、文字通り光の粒子に分解されて消滅させられるなんて、随分と趣味の悪い夢を見たもんだ。

現実味がなさすぎて、逆にリアルだったぜ。まさか俺も、そんな夢を見るほどヤキが回ったか?まだまだ現役だってのに。神域でのストレスって、結構来るのかもしれないな。


そんなことをぼんやり考えていると、聞き慣れた、だが今一番聞きたくない声が響いた。白い空間のどこか遠く……テーブルの方からだ。



「おいお前、いつまでそこで寝てるでちゅか。死んでないで早くこっちに来るでちゅよ」



あ、やっぱり俺、殺されたのね。完全に消滅させられた。だけど、気が付いたら、何事もなかったかのように蘇ってた。

これって、最初に頭部を景気よくフッ飛ばされた時と、全く同じパターンだ。

そういや、あの時エルセアがなんか言ってたな。「おじい様の力を分けられてる」とか「適応したみたい」とか。なるほど。

つまり、どういう理屈か知らねぇけど、この神域では、俺はエルセアに殺されない……というか、殺されても即座に復活する身体になった、ってことか?


まあ、五億年待機するくらいなら不死身の方がマシかもしれないが、このド外道幼児の相手を五億年続ける不死身とか、それが喜ばしいことなのかどうかは、正直全くもって分からないな。

むしろ、永遠に苦しめられそうで、絶望した。



「はいはい。今行きまさぁ」



俺は起き上がりながら、エルセアの方へ歩き始めた。そして、わざとらしい皮肉を込めて言った。



「いやぁ、人を文字通り塵にしておいて、随分と呑気にくつろいでるじゃないですか。流石は慈愛に満ち溢れた女神様だ。その寛大さ、並みの神には真似できねぇ。慈愛の神の名は伊達じゃねぇな」



俺の、我ながら完璧な皮肉を聞いて、エルセアは鼻で笑った。



「お前みたいな、心も見た目も、ついでに経歴もゴミクズみたいな奴に、わざわざ慈悲をかけるほど、ワタチは優しくないでちゅ」



エルセアはそう言って、再び顎でシャクった。



「ほら、いつまでもグズグズしてないで、早くこっちに来るでちゅよ。時間の無駄でちゅ」

「はいはい、分かりましたよ。今すぐ参りまさぁ」



俺は肩を竦めて、テーブルの元へと歩みを進めた。どうやら、俺とこのド外道幼児による、前途多難な世界創造ライフは、俺が不死身になったことで、本格的に幕を開けたらしい。

そしてエルセアは、先ほど俺に言いくるめられたのがよほど悔しいのか、渋々といった顔で言った。



「お前の言う通りにするのは癪でちゅけど……生命誕生に五億年もかけるなんて、やっぱり時間の無駄でちゅし、おじい様に失望されるのも嫌でちゅから。生命誕生の時間はすっ飛ばしていきなり陸地に生命を配置するでちゅ」

「まぁ、それが一番手っ取り早いだろうな」



俺は同意した。最初からそうしろと言いたいところだが、まあ、こいつなりに遠回りして納得したらしい。結果オーライだ。

エルセアが指差す先、淡く光る『エルノヴァ』の世界創生地図に目を移す。そこは地図上で最も巨大な大陸のようで、その中心部に、なんというか……異様にドス黒く輝く、ナニカが、脈打つように蠢いているのが見えた。

見た目が全然『生命の根源』って感じじゃねぇんだが。邪悪なナニカ、に見えなくもない。大丈夫かこれ?



「……なんだこりゃ」



俺は思わず呟いた。

俺の疑問に、エルセアは当然のように答えた。



「これが、エルノヴァ世界の生命の根源でちゅ。これを、ワタチが、粘土みたいにこねくり回したら生命の誕生でちゅよ」



粘土みたいに、こねくり回す……?



「そうか……じゃあ、頼む。俺にはよく分からんからな」

「言われなくてもやるでちゅ。ただ、生命を創る前に、もう少し世界の環境を整えまちゅから待つでちゅ」



これが、神様のやり方なのかもしれないな。下賤な、物質的な肉体に縛られた俺には理解できない、崇高な、概念的な創造方法なのかもしれない。

うん、そうだ。きっと、俺には幼稚園児がドロ団子をコネコネしているようにしか見えないが、それは俺の理解力が低いだけなんだ。

俺は、目の前の怪しい塊と、粘土という単語の組み合わせに困惑しつつも、ようやく具体的な作業が始まるという事実に、内心ではウキウキしていた。

少なくともさっきの海の底ポイ捨てよりはマシだろう。


エルセアは、地図に手を翳したり、指を動かしたりしながら、ブツブツと独り言を言い始めた。



「まずは植物を配置して……酸素濃度を安定させて……あぁ、その前に太陽も創らないと光合成できないでちゅね。熱帯地方や寒冷地方も作って……あ、微生物創らないと世界が腐っちゃいまちゅ」



なんというか、壮大なことやってるはずなのに、まるで学校の課題を片付けてるみたいだな。とはいえ、地味だが着実に何かを創っているのは確かだ。

俺は、エルセアのマイペースな、そして若干行き当たりばったりな作業を、テーブルの向かい側からぼーっと眺めていた。

そのうちに、心地よい眠気が襲ってきた。よし、せっかくだから昼寝でもするか。邪魔しないサポートの一環だ。

睡眠によって俺の精神力を温存することは、今後のエルセアとの長丁場なやり取りにおいて、極めて重要なサポートとなるだろう。


俺はそのまま、神域の真っ白い床に、そっと横になった。おやすみ世界、そしてエルセアちゃん。そして俺様の輝かしい未来。

しかし、俺の完璧な『邪魔しないサポート(睡眠付き)』は、あっけなく見破られた。エルセアは、植物の配置を終えたあたりで、昼寝を決め込んでいる俺に、目ざとく気付いたようだ。

そして、ムッとした顔で怒鳴りやがった。



「お前、何寝てんでちゅか!さっさと起きるでちゅ!何やってるでちゅか!」



俺は怠そうに体を起こした。



「俺は今、お前を邪魔しないサポートをしてんだよ。俺の邪魔をしないでくれるか」

「そんなサポート、誰も頼んでないでちゅ!勝手に邪魔しないとか決めるなでちゅ!さっさとワタチの作業を手伝うでちゅよ!」

「……しょうがねぇなぁ。手伝うって、どうやってだよ?」



俺は素直に尋ねた。マジで何すればいいか分からねぇ。

もしかして、俺にも生命創造の力が備わっているのだろうか? 神の爺さんから力を分けられたって言ってたし。天使になったから、そういう特殊能力が開花したとか?

いや、そうに違いない。なんたって俺は、神に認められた天使様だからな。世界創造を手伝うくらい、朝飯前だろう。

なんということだ……前世では、人の金や信用を騙し取ってきたこの俺が、真っ当な存在に……。

あ、いや。違う違う。人を正しい道へと『導いてきた』の間違いだった。俺は聖人だからな。うっかり前世の悪い癖が出そうになったぜ。



「手伝うって、どうやってだよ?」

「簡単でちゅ。ワタチが世界創造で忙しい間、お前はワタチが退屈しないように、そこで変な踊りでも踊ってるでちゅ」



……は?踊りだと?

俺に与えられた役割って、まさか、余興係?



「お前みたいな、ゴミみたいな天使だけど、無様に踊るのだけは向いてそうでちゅし」



そして、追い打ちをかけるような、心底俺を見下した台詞。

くそが、このド外道幼児が、調子に乗りやがって。俺様の才能が分からねぇのか。

演技とか話術で本気になれば俺は、宇宙の彼方まで言いくるめてやる自信があるんだぞ……!


俺は汚い言葉で罵倒の言葉を口にしようとするが──



(……いや、待て。危ない危ない)



俺の脳裏に、さっき光の粒子に分解されて消滅させられかけた恐怖がフラッシュバックする。

そうだ、こいつは、口だけじゃない。エネルギー波みたいな、マジでヤベェ物騒なもんを躊躇なく撃てる化け物だった。

ここで逆らったら、また消される。しかも、報復として、もっと酷い形で消される可能性だってある。踊りなんて可愛いもんだ。



(……強い者には、逆らわない)



俺の、裏社会で叩き込まれた、そして神域で再確認した、生命維持の鉄則が頭の中で木霊した。

それが俺の、何よりも優先すべきモットーなのだ。正義だの慈愛だの言ってる場合じゃない。生き残ることが最優先だ。

俺は彼女の言葉に従うことにした。これも、偉大なるエルノヴァ世界の創造のため、ひいては俺様の平穏な神域ライフのためだ。

そして、いつか変な踊りを踊らされた屈辱を、十倍にして返してやる。


俺は、心の中で血の涙を流しながら、顔には貼り付けたような卑屈な笑みを浮かべた。



「へへ……へいへい。分かりまさぁしたよ、エルセア様。ド腐れ天使たる私めが、慈愛の女神様の為に、一肌脱ぎまさぁ。俺の、ゴミみたいな天使の叫びを乗せた、魂のダンスでも見て、退屈を凌いでくだせぇ」



そして、俺はエルセアの前で、ありとあらゆる関節と筋肉を駆使し、奇妙な手足の動きと、意味不明な表情筋の痙攣を組み合わせた、どうしようもなく変で、そして無様な踊りを踊ってみせた。

これは、前世で潜入のために習得した、怪しい宗教の儀式ダンスをアレンジしたものだ。

まさか神域で披露することになるとは思わなかったが……こんな踊りが脳内にストックされてる俺の経歴は一体どうなってやがるんだ。


俺が渾身の力で変な踊りを披露していると、エルセアはそれまで作業していた手を止め、真顔で、そして心底、気持ち悪そうに俺を見ていた。

神聖なる世界創造の手を止めてまで、俺の踊りを鑑賞しているらしい。

そして、言った。



「えっ、キモ……。なにその踊り。やめてくれない?ほんとに……」



その声には、心底気分の悪そうな響きがあった。

俺は、動きを止めた。そして、冷めた目でエルセアを見る。泣きたくなる気持ちを我慢し、必死に笑顔を張り付ける。

──お前が変な踊りを要求したんだろうが。いざ見たら「キモい」だぁ?人の心を弄ぶのも大概にしろ。

しかし、我慢だ、我慢……。このクソガキにいずれ復讐するための、糧にしろ……!



「別の踊りを踊れ。今の踊りを二度と踊るな。殺すぞ」

「あ、はい……」



──さて、それから俺はエルセアに命じられるがまま、神域のド真ん中で延々と変な踊りを踊り続けた。

その度エルセアに「それもキモいでちゅねぇ」「マジでやめてほしいでちゅ」と罵倒され、俺が「お前がやれっつったんだろうが!」とツッコミを入れ、「お前がうるさいからやる気なくしたでちゅ!」とさらに逆ギレされる、という、傍から見たら狂気の沙汰としか思えない、あまりにも不毛でくだらないやり取りを、一体どれくらいの時間続けたのか──。

体感ではとっくに五億年くらい踊っていた気がするが、実際には数時間だったかもしれないし、数分だったかもしれない。神域の時間はよく分からん。


いつの間にか次の段階に進むべき準備が、人知れず整っていたらしい。俺が踊って体力ゲージを削られている裏で、エルセアは着々と作業を進めていたようだ。

ちくしょう、ただの傍観者かと思ったら、踊り子にジョブチェンジさせられた挙句、裏で本命の作業を進められていたとは。

詐欺師としては見習うべき狡猾さだが、やられた側としては腹立たしいことこの上ない。



「はぁっ……はぁっ……」



俺が息切れしながら変なポーズで静止した、その時。エルセアは「フン」と鼻を鳴らし、白いテーブルの上の地図に目を向けた。

そして、俺に向かって、厳かに宣言した。



「これで、いよいよ世界に生命を誕生させる準備が整ったでちゅ!」



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?