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第8話

「失望……それは、まずいでちゅ……」



エルセアは俯いたまま、先ほどの俺様の言葉を反芻している。

いい感じ……ではある。俺の仕掛けた『爺さんの失望』という餌に、食いついてるからな。

この調子でいけば、五億年待機というアホみたいな計画を、こいつ自身に『これはマズイ』と思わせて、考えを改めさせられる。


俺は別に、こいつを陥れようとか、騙してやろうとか、そんな悪い事を嘯いているわけではない。甘言を弄している訳でもない。

ただ単純に、エルセアの、将来の成長と、おじい様からの信頼獲得という素晴らしい目標達成を、純粋に応援する気持ちで、最適な道を提案しているだけだ。



「そうだよなぁ、まずいよなぁ。コショウ混じりの生命体が五億年後に生まれるのを待つなんて、そんな無駄な時間、エルセアの貴重な経歴に傷をつけるだけだからなぁ」



俺ってば、なんて素晴らしい天使なんだ。神の道を外れそうになっている神を、優しく正しい道へと導いてやるなんて。

しかも、自分の利益にも繋がるなんて。これもう、半分『慈愛の天使』だろ。

俺はエルセアの隣にそっと歩み寄り、まるで傷ついた小動物を慰めるかのように、優しく、包み込むような声色で語りかけた。

もちろん、内心では次の言葉をどう紡ぐか必死に計算している。



「失望、なんて言葉、エルセアちゃんには似合わないぜ?」



俺は、彼女の味方であるかのように、言葉を続ける。



「せっかく、おじい様はお前の世界創造を楽しみにしてるんだ。それを、五億年も待たせたら…… 失望、まではいかなくても、『あれ? まだできてないの?』って、ガッカリはされちまう」



そして、核心に迫る。



「ガイドライン通りに、五億年もチンタラ待つなんて、そんなの、エルセアちゃんの本当の力を見せる機会じゃねぇ。そんなのは、生命の粉なんていうインスタント製品に頼って、後のことを運任せにしてる、手抜きだ」



俺は、エルセアの顔を覗き込む。瞳の奥に、微かな迷いの色が見える。


──よし、ここだ。



「違うだろ? ここは、お前の、本当の神の力で、パァーっと生命を誕生させようじゃないか。ガイドラインなんてクソ食らえだ。自分自身の力で、おじい様を『失望』させるどころか、『おお!エルセアはやはり大したモノじゃ!』って、度肝を抜かせてやるんだよ」



焦ってはいけない。ここで急かすと、かえってガードを固められる。

答えは『今、やる』しかない、という流れに、ゆっくりと持っていく。

そう、相手に気づかれずに、思い通りに誘導する。人を騙す……あ、いや、導く時には、この絶妙な加減が重要なのだ。

素人は、この『相手に自分で選ばせていると思わせて、実際は一つの答えしか選べないように仕向ける』という、初歩的なテクニックが分かってない奴が多すぎる。

相手の良心や、コンプレックス、目標意識なんかを刺激して、自然とこっちの望む方向に転がしていくんだ。

今回で言えば、エルセアの『おじい様に失望されたくない』『信用を得たい』という気持ちと、『神としてすごい力を見せたい』という潜在意識だな。

そこを突く。これぞ、先達であるこの俺から学ぶべき、神の領域の詐欺テク……いや、人の心を動かす聖なる技だ。



「そうさぁ」



俺は、まるで囁くかのように、最後の仕上げの言葉を紡いだ。



「ガイドラインなんて、そんな退屈なものになんて頼らないで、エルセアちゃん独自性溢れる、サプライズに満ちた、最高の生命創造をしようじゃないか」



俺はエルセアの瞳をまっすぐ見つめる。



「そうすればきっと、お前の世界創造を楽しみにしてる爺さんも、五億年待たされたガッカリなんて吹っ飛んで、その奇跡を目の当たりにして感激しちまう。そして、きっとお前を、誰にも文句のつけられない、一人前の立派な神様として、認めてくれるぞ?」



俺の言葉を聞いて、エルセアはハッ、と息を呑んだ。その瞳に、迷いと同時に、確かな決意の光が宿ったのが見て取れる。

よし、効いた! これで最後の、決定的な一押しだ! 俺の未来がかかってる!

俺は、逃げ場のない、だが希望に満ちた二つの選択肢を提示した。



「さあ、エルセア。どうする? ここで、何の面白みもないガイドラインなんぞに従って、気長に待たせることで、爺さんを……そして自分自身を失望させるか?」



俺は、手を差し出すように言葉を続ける。



「それとも、自分の神としての力を信じて、ガイドラインなんてぶっ飛ばして、自由奔放、規格外の生命創造をやってみるか?そして、爺さんを感激させて、一人前の神様だと認めさせるか?」



俺が問うと、エルセアは俯いていた顔を、キッと決意を込めた表情で上げた。

その小さな体から、神としての、いや、何かとんでもない存在としての、確かな威圧感が放たれる。

そして、俺に向かって、小さな指をビシッと突きつけ、迷いのない声で叫んだ。



「……分かったでちゅ! やるでちゅ!!」



──よし。



「ガイドラインなんて、そんなクソどうでもいいモノに従ってる、そこら辺の凡庸な神共とは違うんだってところを、ワタチが!おじい様に!見せつけてやるでちゅ!!」



俺は、心の中でガッツポーズを決めながら、ニヤリ、と完璧な勝利の笑みを浮かべた。そして、ドヤ顔で両手を広げた。


──決まったぜ。完璧だ。


やってやったぞ!五億年待機回避!

そして、このド外道幼児……いや、神であるエルセアを、俺様の思うがままに動かす主導権を、この会話で完全に握った!

神すら手玉に取るこの見事な話術、この心理操作テクニック……。

あぁ、俺は俺自身の才能が怖い! こんな凄い詐欺師……いや、人(神)の心を正しい方向に導く聖人が、かつて存在しただろうか?


こうやって、エルセアの『おじい様に認められたい』『他の神とは違うと思われたい』というコンプレックスや野心……いや、純粋な目標意識を刺激して、簡単に操縦できる。

これから始まる世界創造は、全て俺様の都合の良いように、俺様の自由で平和な神域ライフのために進められるってもんだ!

五億年も待たなくていい! しかも面倒な作業は全部エルセアにやらせて、俺は口出しするだけで済むかもしれない!

これほど楽して美味しい話があるか!?


くくく……くくく……はーっはっはっ!!


俺の心の中に、高らかな笑い声が響き渡った。



「よく言った、エルセア! 流石は、慈愛の女神だ! その、神たる素晴らしい力を、クソみたいなガイドラインなんかに縛られず、存分に発揮してみるんだ!」



俺は満面の笑みで、いや、おそらくドヤ顔で、エルセアに声をかけた。心の中ではチョロいぜ、この幼児め!と高笑いだ。



「さぁ、そうと決まれば早速だ! 五億年をスキップして、生命創造の準備に取り掛かろうじゃないか!」



所詮は神といえど、経験値の足りねぇガキだ。コンプレックスと承認欲求、それにお爺様からの評価、という分かりやすい餌をぶら下げてやれば、簡単よ。

俺が内心でほくそ笑みながら、世界創造地図……改めエルノヴァ地図の方へ向き直ろうとした、その時だった。



「その前に、やることがあるでちゅ」



エルセアが、俺の鼻息荒い期待を、まるで踏み潰すかのように、冷たい声で言い放った。



「あん? なんだよ。折角やる気……になったっていうのに、何を、今さ……ら……」



そこまで言い掛けて、俺は思わず、言葉を失った。そして、貼り付けていたドヤ顔が、そのままフリーズした。

俺が目を見開いたのは、エルセアが、その小さな手のひらを、真っ直ぐ、俺に向けて翳していたからだ。

ただ手を翳しているだけではない。その小さな手の先からは、シュウシュウ、と音を立てながら、薄っすらと白く光る、澱んだエネルギー波のようなものが放出されているのだ。


──一目見ただけで分かった。これは、ヤベェやつだ。


俺の頭に警報が鳴り響いた。やばい。これは、ヤツの殺意が形になったものだ。

神の力、というやつか。多分これはあれだな。漫画とかでよく見る、気功砲とか、魔力の塊とか、そういう感じのヤベェエネルギーだ。

さっき頭部をフッ飛ばされた時と、似たような、でももっとダイレクトな、そんな危険な匂いがする。



「な、なにを……なにをするつもりなんだい? エルセアちゃん?」



俺は、喉の奥から絞り出すような声で、尋ねた。勝利の余韻は吹っ飛び、足が、僅かに震えているような気がする。

まさか、俺の言いくるめがバレたのか? いや、そんなはずは……。


そして、エルセアは、一切の迷いなく、冷酷な瞳で俺を見据え、小さく口を開いた。



「決まってまちゅよ」



そんな俺の必死な表情を見て、エルセアは、ゾッとするほど美しく、だが氷のように冷たい笑みを浮かべた。



「──私に。この至高神エルセアーナに」



その笑顔は、見る者の魂まで凍てつかせるような、絶対零度の美しさだった。そして、その小さな唇から紡がれた言葉は、俺の全ての希望を打ち砕くものだった。



「甘言を弄し、不敬にも神を操ろうと画策する、不届き者……」



俺の顔から、血の気が引いていくのが分かった。全て、見透かされていた?

俺の、あの完璧な話術も、計算された誘導も、全てお見通しだったというのか?

神様(爺さん)には通用したが、エルセアには通用しなかった?しかも、至高神エルセアーナ? いつからそんな壮大な肩書きになってやがるんだ。



「お前を殺す」



短く、冷酷に。一切の容赦なく、その言葉は放たれた。



「……え?」



俺の、間抜けすぎる声が漏れた、その瞬間だった。

五億年回避! 俺の勝利!と浮かれていた思考回路が、強制的に、そして暴力的に遮断される。

エルセアの掌から放たれた、白く輝くエネルギーの奔流が、咆哮を上げて俺に襲いかかった。

逃げようとした。避けようとした。本能が、生存の全てを叫んだ。前世で培った危機察知能力が、最大級の警報を鳴らす。

だが、既に遅い。神の……いや、エルセアの放つ力は、あまりにも速く、あまりにも強大だった。抗うことすら許されない。



「あばぁぁぁぁぁぁ!!」



俺の悲鳴が、光の中に掻き消える。全身が、細胞の一つ一つが、無理やり分解されていくかのような激痛が走る。

意識が、存在が、光の奔流に呑み込まれていく。視界が真っ白に染まり、思考が溶け落ちていく。



「た、たすけ……」



俺の体は、抗う術もなく、その光の奔流に呑み込まれていった。

あぁ、これが……『死ぬ』ってことかぁ……。

俺の存在が光に呑み込まれ、消滅へと向かう中、エルセアは、幼児のそれとは思えない、絶対零度のような冷酷な表情で、小さく、だが明確に呟いた。

まるで、邪魔なゴミを処理した後のような声で……。



「私を操れるとでも思ったか?人間の、薄汚い詐欺師風情が……」



俺の体は、完全に光の粒子へと分解され、最初から存在しなかったかのように、その場から消え去ったのだった。

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