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第7話

「な、なん……だ……と……?」



俺は、全身をわなわなと震わせながら、掠れた声で呟いた。

嘘だろ?俺の耳が、急に異世界時間単位に対応できなくなっただけで、何か壮大な勘違いをしているだけだよな?そうだよな?


いや、しかし。どう考えなおしても、『五億年』と聞こえたぞ。

しかも最短、って言ってたか? 最短で、五億年? マジか?



「ま、気長に待つでちゅ」



エルセアはそう言って、欠伸でもしそうな顔をしている。

俺の知ってる『少し』とか『時間』とかいう概念と、根本的に単位が違う。

ゼロが、ゼロの数が、おかしい。



「お、おい! テメェ、今、五億年とか抜かしたか……?」



俺はエルセアに食ってかかった。もはや腰が抜ける寸前だ。

目の前のド外道幼児に詰め寄り、掴みかからんばかりの勢いで叫ぶ。



「五億年ってなんだよ! そんな長い期間、この何もない、真っ白でツッコミどころしかない空間で過ごせって言うのか!? 正気かテメェは!? 人類史が始まってから数百万年だろ!? 文明なんて数千年だぞ!? それが、五億年!? 長すぎる! 長すぎて気が狂うわ! ジェットコースターで宇宙まで往復して、隣の星系でコーヒー飲んで帰ってきてもまだ余裕で五億年経ってねぇだろうが!」



俺の悲鳴にも似た訴えに対し、エルセアは心底面倒くさそうに、そして耳障りな「でちゅ」を付けて答えた。



「うるさいでちゅねぇ……たった五億年くらい、ワタチと一緒にのんびりしていればいいだけの話じゃないでちゅか」

「おま……お前、ご、五億年だぞ……! 五億年だぞ!?長すぎて、長すぎて、この俺様の、どんな逆境でも乗り越えてきた不屈の精神が、弾け飛んで灰になっちまうわ!気が狂うって言ってんだよ!」



エルセアはそんな俺の悲壮な叫びを鼻で笑い飛ばした。



「五億年ごときで喚くなんて、ほんと見苦しいでちゅねぇ。そんなことで気が狂うなんて、赤ちゃんでちゅかお前は」

「赤ちゃんはお前だと思うが……」



どうやら、このド外道幼児は、人間とは根本的に時間の感覚が違うらしい。神だからか? 知らんが、気が遠くなるどころか、宇宙のスケールでも短くない年月である五億年を「ごとき」と抜かす辺り、マジで感覚がイカれてやがる。

俺は、この状況で『赤ちゃんはお前だ』と的確にツッコミを入れられるほど、まだ正気を保っているようだ。

五億年後も保ってる自信は、欠片もないがな。



(どうする……!?五億年なんて、そんなの、無理だ。絶対に無理だ。世界創造の補佐とかいう大役を引き受けたのは、後で美味しい思いをする為だろ……五億年も白い空間で待ちぼうけなんて、そんな美味しくもなんともねぇ展開、認められるか。なんとか、このガキを言いくるめて、この無意味な待機時間を回避しないと……!)



俺の、あらゆる困難を打開してきたスーパーコンピュータのような頭脳が、フル回転で打開策を探り始める。

あらゆる可能性をシミュレートし、最適な誘導尋問、心理操作、甘言、恫喝……いや、恫喝は向こうの十八番だからダメだ。

泣き落とし?情に訴える?このド外道幼児に情なんてあるのか?いや、一応は神様だから、ひょっとしたら……?

とにかく、ありとあらゆる手管を洗い出す。


だが、エルセアはそんな俺のスーパーコンピュータのような頭脳がフル回転していることなど、知る由もない。

あるいは知っていても興味がないのか。心底眠たそうに、大きな欠伸を一つすると、そのままストン、と信じられない台詞を宣った。



「ふぁ〜あ……もう眠いから、ワタチは寝るでちゅ。五億年経ったら、ちゃんと起こしてくりゃしゃい」



そう言って、エルセアは神域の真っ白い地面に、コテン、と何の躊躇もなく横になった。

本気で寝ようとしてんのか。そして、そのままフゥ、と安らかな溜め息をつき、目を閉じようとする。



「お、おい!ちょっと待てッッ!!」



俺は慌ててエルセアに駆け寄り、その小さな肩を揺さぶって、寝るのを阻止した。



「な、なに寝ようとしてんだクソガキ!五億年も!この何もない空間で!一人にさせる気か!?」



俺は必死に訴える。



「俺は寂しがり屋なんだぞ!寂しくて、寂しくて、心が張り裂けて死んじまうぞ!?あぁん!?どうなっても知らねぇぞ!?孤独死した俺の死体が、五億年後にテメェの隣に転がっててもいいのか!?」



俺が、素晴らしい人生で培った(※主に金をせびる時に使う)悲壮感溢れる演技を見たエルセアは、心底呆れたように鼻を鳴らした。



「お前は寂しくて死ぬようなタマじゃないでちょ。何をふざけたこと言ってんでちゅか」

「うるせぇ!!」



俺はヤケクソになって叫んだ。もう理屈でダメなら、感情論だ!

しかも、とびきり斜め上のやつだ!



「俺はウサギなんだ!!」



……自分で言ってて何言ってんだと思ったが、勢いは大事だ。

エルセアもゴミを見るような冷たい目で、俺を見る。だが、もう後には引けない……。



「寂しいと、寂しいと、耳が垂れて、目が真っ赤になって、泣き喚いて、そしてお前の横で、そのまま孤独死してやるぞ。いいのか? 起きたら隣に、真っ白なウサギ……じゃなくて、汚い男の死体が転がってたなんて嫌だろ?な! 今すぐ起きろ!!寂しいのは嫌なんだ!頼む!」



俺の渾身の、そして意味不明な脅迫を聞いて、エルセアは胡散臭そうに俺を見つめた。

そして、吐き捨てるように言う。



「ウサギって……。お前みたいな、心も見た目も、ついでに経歴も汚いウサギが、どこにいるでちゅか。そもそも、孤独死なんて、この神域でできるわけないでちゅ」



そう言ってエルセアは、心底面倒くさそうに、大きく溜め息を一つ「はぁ……」とついて見せた。

そして、重い腰を上げるかのように、ノロノロと立ち上がった。


よし! 作戦成功か!? 『寂しいと死ぬウサギ(汚い)』作戦、意外と効果あったぞ!

……いや、寂しいから死ぬとかじゃなくて、ただ単に俺がうるさくて邪魔だから寝るのを諦めただけか?

きっとそっちだろうな。どちらにせよ、五億年睡眠は回避できた。汚いウサギ作戦、大成功だ。



「はぁ…… これじゃお昼寝もできないでちゅ」



エルセアは心底うんざりした顔で、そして若干恨みがましい目で俺を見た。



「どうすればお前は静かになってくれるんでちゅか? 」



俺は即答した。そして、今回の問題の根幹に切り込む。



「なぁエルセア? 時間を早めることって、できねぇのか? もっとこう、神様のスーパーパワーみたいな感じで、撒いた生命の粉を『ハイ、今から五億年経過ね!』って、チート並みにスキップできないのか?すぐ生命誕生……!ってな感じでさぁ!」



俺の提案を聞いて、エルセアは「んー」と、顎に指を当てて何か考えるような仕草を見せた。

できるのか? できないのか? はっきりしろクソガキ……。



「まぁ……やろうと思えば、できまちゅけど」



エルセアは、歯切れの悪い言い方をした。



「はぁ?できるのかよ。だったら早くやってくれよ」



俺は前のめりになった。出来るんなら最初から言え。

いや、まあ、神様だから全部お見通しで、俺が聞いてくるのを待ってた、とかいう可能性もあるな。よし、そう思っておこう。

そして、俺の催促に、エルセアは「でもぉ……」と、さらに歯切れ悪く続ける。まるで、何か悪いことでもしているかのように。



「世界創造ガイドラインには、生命誕生の時は『気長に待ちましょう』って、ちゃんと書いてあるでちゅし……」



俺は思わず固まった。ガイドライン? 神様に? そんなものがあるのか?

世界を創るのに、マニュアルとかルールブックとか、誰が決めたんだそんなもん。神様にもお役所仕事とかあるのか?

しかも『気長に待ちましょう』とか、なんだその緩すぎる指示は。



「──ガイドライン、か。なるほどな」



俺はエルセアの顔を覗き込んだ。このチャンスを逃してはいけない。

神様にガイドラインなんてあるのかと内心ツッコミまくっていたが、そのツッコミは飲み込む。今は、目の前の餌に食いつかせる方が重要だ。



「はぁ、分かってねぇな、エルセア」



俺は、人生の先輩が子供に教えるかのように、諭すような声色で言った。

もちろん、中身は真っ黒な詐欺師の理屈だが。



「いいか? ガイドラインってのはな、無能な奴が、自分の仕事の遅さや出来なさを正当化する為に作った、クソみたいなルールのことだ。そんなもんは無視していいんだよ。むしろ、そんなもん律儀に守ってる奴こそ、無能の証明だ」



エルセアは俺の言葉に目を丸くしている。よし、効いてるか?



「世界創造なんて、大それたことマニュアル通りにやろうなんて、無理な話なんだよ」



俺は畳み掛ける。



「そんなもん、破ってナンボだ。大事なのは、結果を出すこと。それも、期待を遥かに超える結果をな……」



そして、一番の決定打を放つ。神様の孫である彼女にとって、最大の逆鱗であり、最大のモチベーションになりうる爺さんというのを……。



「そんなクソみたいなガイドラインに従って、五億年もチンタラやってみろ。せっかくお前の世界創造を楽しみにして、わざわざ様子を見に来てくれた爺さん……いや、神様が、何も出来てない世界を見て、どう思うか。失望するだけだろ?」



俺の言葉を聞いて、エルセアはピタリ、と動きを止めた。ド

ヤ顔も消え失せ、俯いてしまった。そして、小さな指を、まるで子供が不安な時にするみたいにツンツンと突き合わせ始めた。



「しつぼー……」



消え入りそうな声で、そう呟く。まるで、爺さんに失望されるのが、何よりも恐ろしい、と言っているかのようだ。

おぉ、意外と爺さんには懐いてるのか、このド外道。そして、失望という言葉に、明確に弱い。



「──失望、か」



エルセアはそう呟き、俯いたまま、さらに小さく、そして、独り言のように言葉を続けた。

その声色には、先ほどの子供っぽい落ち込みとは違う、張り詰めた響きがあった。



「それは、まずい。これは、私の『計画』に、大きな綻びが出てしまう。今は、何よりも、奴の信用を得なくてはならないというのに……」



……?


おっと。


急に変な言葉が聞こえてきたぞ。しかも『素』の口調で。


なんか聞き捨てならない単語が満載だ。


『計画』?『綻び』だぁ?『信用を得る』だと?

これはアレだな。別に、心底ジジイが好きで、失望させたくない、とかいう可愛い話じゃないね?

なんか別の、もっとドス黒い、よからぬ企みの為に、失望されるのがまずい、とかそういうアレだね?

この世界創造も、その計画の一環で、おじい様からの信用を得るためのステップってことか?

なんだ、ヤベェのは口調だけじゃなかったのか。知ってたけどね。



「……」



俺の前世で培った、危険な匂いを嗅ぎ分ける詐欺師の勘……いや、聖人の直感が、ギリギリ、ギリギリと俺の脳味噌に警鐘を鳴らしている。


──絶対、そのことに反応するな。聞かなかったことにしろ。深入りするな。面倒なことに関わるな──


俺は、聞こえてしまったヤバすぎる呟きに、内心では冷や汗がドッと吹き出していたが、表情には出さないように努めた。

そして、エルセアが俯いている隙に、聞こえなかったフリをして、最初の会話に戻る。



「……そう、失望さぁ。うん」



俺は、まるで彼女の独り言なんて聞いていませんよ、という顔で、確認するように頷いた。

今の呟きなんて、俺の耳には入ってこなかった。俺は五億年待つのが嫌なだけで、エルセアが何かの計画のために爺さんの信用を得たいとか、そんな複雑な話は一切知りませんよ、という顔をキメる。

よし。完璧だ。というか完璧であってくれ。


俺は、背筋をゾワゾワと這い上がる悪寒を感じながらも、冷や汗を拭うフリをして、再びエルセアに向き直る。

神様の計画だろうが、エルセアの計画だろうが知ったこっちゃねぇ。俺の目的は、五億年待たずに生命を誕生させて、さっさとこの世界創造とやらを終わらせることだ。



(さて、と……どうやって、この『ガイドライン絶対順守の無能な奴は失望される』作戦を、さらに強化して、あのド外道幼児を言いくるめるか……ここは腕の見せ所だな)



俺は、表面上は何事もなかったかのような顔をしながら、再びフル回転し始めた頭脳で、最適な言葉を探し始めたのであった──。

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