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第14話

…………。



またこの感覚か。


意識が、どこか深淵へと沈んでいくような、それでいて、次の瞬間にはパッと何かが始まるような──


白い神域の景色が、急速に歪み、色を変え、形を変えていく……。


 フワリ、と何かが剥がれるような感覚と共に、耳には周囲の喧騒が、鼻には現実的な匂いが届き始めた。



ああ、なるほど。今度は夢か。



──前世の夢だ。



目の前には、今日の獲物……じゃなかった、素晴らしい未来へと導くべき「金持先生」が、ふんぞり返って座っていた。年齢は50代後半。

着ているスーツも、身につけている時計も、身につけているアクセサリーも、見るからに高そうだ。

顔には「私は成功者です」と書いてあるが、どこか胡散臭いというか隙が多い顔だ。

どうせ、あくどいことして稼いだ輩だろう。俺には分かるのさ。……いや、決して同族だからとか、そんなことはないよ?



「金持先生ぇ!本日はぁ、私のような若輩者の為にわざわざお時間を作ってくださり……本当にありがとうござまぁす!」



俺は旧知の親友に会ったかのような、最高の笑顔で彼に近寄る。そして、これ以上ないだろうってくらいの丁寧な言葉を紡ぐ。

この出迎えで、相手の懐に入り込む第一段階は成功だ。こういう高慢なタイプは過剰な敬意に弱いんだよな。

俺が満面の笑顔で迎えた時、一瞬見せた『お、俺ってそんなに偉い?』という顔。あれを見たら、もう簡単よ。チョロいぜ。

きっと、金は持ってるが、人からの尊敬や承認に飢えているタイプだ。これぞ、慈善詐……じゃなくて、導きの最高のターゲットだ。


そして、俺自身の格好は……フッ。抜かりない。数年前に大仕事で手に入れた金で仕立てた、超高級スーツだ。

触り心地の良い生地、体に吸い付くようなシルエット、控えめながらも品の良いデザイン。見る者が見れば一目で「この男は成功している」「信頼できる」と思わせる、武装だ。

百万は下らない逸品だが、これは『必要経費』だ。外面という包装紙に、一番金を掛けるのが、一流なのさ。

そう。

中身を隠すための、包装紙は一番大事だからな──。



「うむ、うむ。君から、いい話があると聞いてなぁ。私も社会貢献には興味があってね」



来た来た!『いい話』と『社会貢献』!分かりやすい奴め!



「はい、もちろんでさぁ!」



俺は金持氏の言葉に笑顔で応じる。

もちろんその笑顔は、事前に鏡の前で何時間も練習し、計算され尽くした一切の嘘偽りがない(という演技の)信頼できるビジネスマンといったペルソナそのものだ。


表情。声のトーン。ジェスチャー、目の輝き。

そう……全てが計算され尽くしている。

目の動き、指先の微かな震え、口角の上がり方まで、全てが俺の長年培ってきた詐欺……いや、伝道師としての神業だ!



「先生には、この私どもがですねぇ、全身全霊をかけてご用意させていただきました、未来を変えるとっておきの、そして先生だからこそお預けしたい、選ばれし方だけへの素晴らしいお話がございますのでぇ、是非とも……ご一考の程を!」



この言葉の洪水で、相手に考える隙を与えない。

期待感を煽り、承認欲求をくすぐる。これで落ちない奴はいないね。まず間違いなく。

さあ、餌は撒いたぞ。食いつくがいい。



「……」



金持氏が俺の言葉にゴクリと喉を鳴らしたのが見えた。

完璧だ。



「ほう、未来を変える、とっておきの話、かね」



金持氏が前のめりになる。目の色が、明らかに変わった。

金と名誉の匂いを嗅ぎつけた顔だ。

よしよし、食いついてるぞ。



「左様でございますぅ!先生にご紹介したいのは……こちらです!」



俺は用意しておいたタブレット(※中身はフリー素材とパワポで作ったデモ画面)をスッと提示した。

画面には、やたらCGが綺麗で、専門用語が並んだプレゼン資料が表示されている。



「『未来世代のための革新的グローバル・エネルギー・ソリューション開発機構』……通称【FEGESEED(フェゲシード)】プロジェクトでございます!」



FEGESEED。なんか凄いっぽい響きだろ?

昨日俺が三秒で考えた、実に素晴らしい単語だ。



「ほう……フェゲシード……」



金持氏は、訳も分からず鸚鵡返しに呟く。言葉の響きだけで凄いと思っている顔だ。

実際には何の意味もない伽藍洞の単語なので訳が分からないのは当然なのだが。



「このプロジェクトはですねぇ、先生!単なるビジネスではありません!これは、未来の子供たちのために!地球環境のために!持続可能な社会の実現に貢献する!まさに人類の未来を拓く、壮大な社会貢献事業なのです!」



社会貢献。未来。子供たち。

響きが良ければ中身は何でもいいんだ。コイツの「良い人だと思われたい」という欲求にブッ刺さるワードを連発。

これでテメェは、投資するだけで素晴らしい社会貢献者になれる気分になるんだよ。実際は俺様の懐を潤す最高の慈善家だがね。



「ほぅほぅ……!」



金持氏の顔が、感銘を受けたようにフンフン、と頷き始めた。

素晴らしい。ここまでこれば、もうこっちのもんよ。



「うむ、うむ。素晴らしい志だ。……だが、慈善事業であるならば、利益は二の次になりそうだのぅ?」



来た来た。金の亡者と思われたくない金持氏のポーズだ。

だが、大丈夫だ先生。利益は最優先でもいいんですよ。俺が美味しくいただきますからねぇ。



「いえいえ、先生!そこがこのプロジェクトの革新的な点なのです!【FEGESEED】は、社会貢献と莫大な利益を両立させます! なぜなら、我々は比類なき量子エネルギー触媒技術という、他社には決して真似できない独占技術を持っておりますので!」



量子エネルギー?触媒?何でもいい、響きが強そうで、相手が知らなそうな専門用語を並べるんだ。

難しい言葉を使えば、人は簡単に騙さ……いや、信じる。信じてくれるんだ。



「これにより、エネルギー生成コストを極限まで抑え、爆発的な利益を生み出すことが可能となりました!先生にご出資いただければ、その利益の一部を……いえ、大部分を還元させていただき、なんと!月利30%を最低保証!……年利ではありませんよ?月利で30%です!」



月利30%……!もはや、出鱈目すぎて誰も信じないレベルだ。

普通ならここで疑うだろう。正気か?ってね。


──だからこそ騙されるのさ。


欲に目がくらんで計算もできない輩は意外に溢れてる。コイツみたいにな。

金持氏の目が、完全に金の色に変わった。顔色が興奮で紅潮している。呼吸が荒い。



「月利30%……!?」



食いついた──!

この魚、完全に針が刺さったぜ!あとは釣り上げるだけだ!



「左様でございます」



俺はダメ押しだ。



「しかもこれは、政府の特別助成金も決定しておりましてね……安全かつ確実、そして100%元本保証。まさに先生のような成功者がさらに資産を増やし、同時に社会的な名声も手に入れていただける、またとない機会なのです!」



政府助成金?

──俺の脳内政府の助成金だ。0.05円ほどの助成金が付いてるぞ、良かったな。


安全確実?

──この世に安全で確実なもんなんて、存在しねぇんだよ。勉強になったな、感謝しろ。


元本保証?

──馬鹿が、保証されるのは俺の懐に入る金の量だけだ。 テメェの資産は保証しない。



「先生の素晴らしいご資産を、この【FEGESEED】プロジェクトにお預けいただければ、必ずや先生の資産を飛躍的に増やし、同時に未来の子供たちからも感謝される、偉大な慈善家としての名声も手に入れていただけると、この私が保証いたします!」



俺の渾身のピッチングを聞いて、金持氏は完全に射抜かれた魚のように、前のめりになり紅潮した顔で叫んだ。



「なんて……なんて素晴らしい話だ!是非この『フェゲシード』プロジェクトに、私の資産を、未来のために、社会貢献のために参加させてほしい!」



──完璧だ。このデブ金魚、完全に餌に食いついたぜ。

俺は、金持氏の熱意に「感銘を受けた」演技へと、瞬時に切り替えた。

ここからは、感情に訴える最終フェーズだ。そして同時に、実務もサクサク進める。これぞ、詐欺師……いや、人の心を動かす伝道師のマルチタスクの神業だ。

時間との勝負。相手が、冷静になる前に、全てを決めるんだ──。



「おぉ……金持先生……!流石は先生だ! 私、私……っ」



俺は言葉を詰まらせる迫真の演技を披露する。



「先生の未来と世界を思う、清らかで高邁なる御心に触れ……感動で、涙が、涙が止まりません……!」



よし、涙腺、開け! オープン・ザ・ウォーターゲート!

俺は感極まった演技で目元を抑える。そして、誰かに見られているわけでもないのに舞台役者のように顔を歪め、嗚咽を漏らす演技を披露する。



「うお……うぉぉぉおん!!!金持先生ぇぇぇぇ!!!ありがとうございますぅぅぅ!!!これで世界が救われますぅ!!」



鳴き真似、よし!顔芸、よし!

さあ、感極まっているフリをしつつ、契約書だ!

涙で濡らすわけにはいかねぇから、そこは注意が必要だぞ、俺!


俺は涙にむせぶフリをしながら、片手で用意しておいた偽の契約書を、金持氏の前にスッと差し出した。そして、もう片方の手で、ペンを優しく握らせる。



「先生……この感動を胸に……ここにサインを……」



サインだサインだ!アッチのジャンル映画で見るような、指詰めろとか脅迫するとか、そんな野暮なことしない!

相手に『自分の意思で』サインさせるんだ。そしてサインした本人が、後で『自分で決めたことだ』と納得するように仕向ける。

これが洗脳……いや、自己肯定感を高める導きだ。


金持氏は、俺の演技と場の雰囲気に完全に飲まれ、疑う様子もなく、震える手でサインした。

感動しているのか、興奮しているのか、怖気づいているのか。

まあ、どれでもいい。サインしてくれればそれでいいんだ。早くしろ、愚図が。


そして、彼がサインをし終えると……。



「──ありがとうございます! これで先生も、輝かしき【フェゲシード】の一員です!」



くっくく……何がフェゲシードだ。テメェは、カモだ。カモ。

あぁいや、そんな口汚いこと言ってはいけないね。金持氏という名の聖なる献金者……ヴィクティム……だ。

彼のような人を聖人と言うのだろう。俺には敵わないけどね。


そのまま、送金の手続きについても、矢継ぎ早に、だが優しく、そして分かりやすく指示する。



「こちらの口座に、ご出資いただける額を……」



そう、俺のダミー口座にな。そしてそれは二度と先生の元には戻りません。俺は別に戻ってもいいと思うけど、お金が戻りたくないって言ってるからしょうがない。

送金手配も金持氏が担当者に電話で連絡し、滞りなく進む。俺は、最後まで感涙にむせぶ演技を続けながら、手際よくクロージングを完了させた。



──契約成立。


──握手。



「この感動を胸に、必ずやプロジェクトを成功させ、先生の期待にお応えいたします!」

「いやぁ、素晴らしい方に出会えた。キミのような未来を任せられる若者がいてくれるとは……。この国の未来も明るいなぁ!」



金持氏は満足そうに胸を張り、ラウンジを出て行った。

俺は、最後の最後まで「未来を託された慈善家」の顔を崩さないまま、金持氏を見送った。

金持氏は、自分が素晴らしい社会貢献をした、偉大な投資家になった、と満足げな顔でラウンジを後にする。その背中には、一点の曇りもなかった。


そして。


金持氏の後ろ姿が、ラウンジの出口に完全に消えた、その瞬間。



「……」



俺の顔から、張り付けていた感涙の演技も、未来を憂う慈善家の表情も、ピタリと跡形もなく消え去った。

代わりに顔に浮かんだのは、これ以上ないだろうというくらい下卑た、勝利を確信したドス黒い笑みだ。



──くくく……。



俺は込み上げる笑いを堪えきれずに、肩を震わせた。



──ははは……。



──はーっはっはっは!!!!



最高の気分だ。

やってやったぜ。口先三寸で、他人の懐からやすやすと大金を引き出す。これこそ、俺の人生最大の喜びだ。


──楽して儲ける。これぞ、真の英知。


なに?詐欺だって?


馬鹿をいうな。


これは投資家と社会、そして俺……。三方良しのビジネスモデルだ。

金持氏は社会貢献と名声を得た。まぁ、得たつもりになっているだけだが、本人が満足ならそれでいい。

社会は……まあ、特に何も得てないが、金持氏のような強欲な人間から俺という清く正しい人間に資産が流動したと思えば、微々たる社会貢献になっているのかもしれない。

そして、俺は莫大な富と最高の気分を得た。これほど素晴らしいビジネスがあるか?



「今日は寿司でも食べるかぁ。くくくっ……」



このお金で俺は美味しいものを食べ、暖かく安全な家に住める。精神的に満たされる。これも立派な社会貢献だ。

俺の機嫌が良い方が、世の中のためになるに決まっているだろうからな。


そして、俺は金持氏が出て行った扉を見つめたまま、誰にも気づかれないように呟いた。



「それにしても、実に愉快な表情だったねぇ、金持先生」



──あぁ、最後まで完璧な魚だった。善意の仮面を被りつつ、目の色は金だ。


哀れな人だ。金儲けと承認欲求の奴隷になっている。その欲望で、自分で自分を縛り付けている。

だが……俺が彼の資産を奪うことで、その束縛から少しだけ解放してやったのかもしれないな……。

これで彼は少しだけ、欲望から自由になれる……。やれやれ、聖人の仕事は辛いぜ。


そうだ、俺は金持氏を騙したんじゃない。彼の愚かさに対して、必要不可欠な人生経験を与えたのだ。

その経験を通して、彼を素晴らしい未来へと導く言葉を紡いだのだ。これは俺の慈愛の御業だ。


クロージングは完璧。


高笑いは宇宙一。


そして俺の自己肯定感は、神の領域に達した。


くく……はは……はーっはっはっは!!!


ラウンジの一角で、俺は一人、勝利の余韻に浸っていた。この成功こそが、俺が清廉潔白な聖人である揺るぎない証拠なのだ──




♢   ♢   ♢




…………。



ドンッ!



「いってぇ!?」



不意に、柔らかく、そして妙に温かい感触が遠ざかり、代わりに何か硬いものに体が打ち付けられたような衝撃。

それと同時に、気付く。


──手足がある!

──体がある!


消滅したはずの肉体が、いつの間にか元に戻っている。


そして、俺を蹴り飛ばした犯人を見上げると、そこには──



「スゥースゥー……むにゃむにゃ……この詐欺師のゴミクズが……あっち行けでちゅ……ワタチの邪魔するなでちゅ……」



容赦のない幼児の足が、俺の身体を蹴ったらしい。結果、俺は突然の衝撃と共に目が覚めたのだ。

どうやら、寝てても俺を邪魔者扱いしているようだ。タチの悪い寝相だぜ、このド外道幼児。



「しかし……なんだか、なんか素晴らしい夢を見ていたような気がするぞ……?」



俺は蹴られた痛みを忘れ、身体が再生したことに驚きつつも頭の中に残っている夢の余韻を思い起こした。

俺が清廉潔白な聖人として、迷える子豚を真実へと優しく導いてあげる……そんな崇高で、神々しい夢だった。

悪の道に迷い込みそうだった哀れな金持氏を、俺が正しい投資詐欺……いや、人生の道へと導いてやったのだ。

あれは紛れもない、大いなる善行だった。そう、前世での俺の「導き」の軌跡を描いた、崇高な夢だったなぁ……。


俺は蹴飛ばされた衝撃と、夢で得た高揚感に浸りながら寝ているエルセアを見る。



「むにゃ……」



幼児らしく寝ている……まぁそれはいいのだが……。



「コイツと俺が寝てから、どれくらい経ったんだろうな……?」



俺の呟きは、真っ白な神域に響いて消えていった。

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