迫って来た動く死体、虚ろな瞳が向けられているのは──遊馬さんの方だ。
今にも転びそうな前傾姿勢、歪な走り方。死体は大きく腕を横薙ぎに振るった。
振り私は慌てて逃げたのだが、遊馬さんは上手く避けて刀の鞘で素早く殴打していた。
「っ……何やってんの!?」
何故遊馬さんは抗戦すると言う判断に至ったのか。それを悟るのに時間は要らなかった。
どう考えたって、彼女が手に持っていた刀が原因だから。
どういう経緯かは分からないが、どうも遊馬さんは刀剣に造詣があるらしい。
「キュキュ!!」
「セアァッ!」
それだけでなく、武芸にも精通しているようだ。
遊馬さんが隙をついて刀を振り抜くと、動く死体の左腕を肘から先で切り飛ばした。
彼女の妙な特技に感心しつつ、動く死体の切り落とされた腕から血が出てない事に気付いた。
遊馬さんが反撃したのをキッカケに、もう一体いた動く死体も彼女の方へ常人離れした速度で迫って行った。
結果、私は若干の置いてけぼりを食らった。
自分よりも力が強くて動きが速い相手を二体同時、にも関わらず遊馬さんは致命傷を避けながら上手く捌き、時に反撃を入れる。
「凄……。って言ってる場合じゃないか」
あまり感心している場合でもなくて、どう見ても長時間は保たないのが分かっているのだから、何か打開策を考えなければ行けない。
見ている範囲で分かることは、動いてる死体にどれだけ攻撃をしても痛覚がないから怯まないこと。
それに──
「腕が戻ってる……?」
それだけじゃない、付けた傷がすぐに塞がっていく。
そんなのどうやって倒せば良いのか、こんな短時間では考えつく訳も無い。
ふと、攻撃をすり抜けて遊馬さんが私の方に走ってきた。
「ちょっ!? なんでこっちに──」
「糸だ。中に蜘蛛がいた」
私の横を通り過ぎつつ、遊馬さんは端的にそう言った。
「キュキュキュキュキュ!!」
「わっ……!」
私は彼女を追う二体からまたも慌てて距離を取ってもう一度、思考を働かせる。
遊馬さんが見つけた攻略のヒント、蜘蛛、糸、そしてさっき話していた操り人形。
操り人形なら、糸を切れば動きは止まる。
ならば蜘蛛の糸の弱点は──
「……水」
蜘蛛の糸は水を吸うと収縮する。
遊馬さんは死体の中に蜘蛛を見つけたと言っていた、そして糸を使って操り人形にしていると。
ならば糸を動かしにくくするだけでも、遊馬さんが有利になるだろう。
だが、動いてるあの死体たちは雨に打たれたばかりでかなり湿っている。
今から水をかけたとて、あまり状況が変わるとは思えない。
そもそも蜘蛛の糸は耐熱性、強度、伸縮性等など、何処を取っても高性能だ。
例え異世界の蜘蛛だろうが、そこに付け入る隙を見つけるのは困難だと思われる。
「操り人形の糸が切れないなら……人形の方をどうにかするしかない」
死んでる人をどうすれば良いかを考える。
死体、死体、死体────
「……火葬?」
燃やすくらいなら、この状況でも問題なく出来る。
そうと決まれば、簡単な事だ。
遊馬さんが遊んでいた黒いポーチ、どうやら入れた物を頭に思い描きながら手を入れると、想像していたものを取り出せるようだ。中に入っている物を覚えていなければならないという、ちょっとした制限はある様だが。
私はさっき入れたばかりのランタンと、不思議な燃える石、刀身の黒い短剣を取り出し、肩で息をする遊馬さんの元へ走った。
激しい動きで暴れ回る二体の死体は、あまり精密に動く訳ではなくて、遊馬さんの居る場所を大まかに判断して大振りな攻撃を繰り返している。
遊馬さんは落ち着いて避けられている様に見えるが、あの異常な身体能力から放たれる攻撃を避け続けるのは心身ともに疲弊している筈だ。
その証拠に、この短時間で遊馬さんには反撃する余裕が無くなっていた。
一体はすぐにでも処理しないと、遊馬さんが危険だ。
私は馬車の下敷きになっていた時、腹部が破裂していた片方の死体に狙いを付け、そいつの背中に目掛けて刀身の黒い短剣を向け、走る勢いのままに突き刺した。
「キュキュッ」
短剣を引き抜くと、死体から何故か青みがかった透明な液体が噴き出した。
その後、ビクンッ!と妙な挙動で体を震わせ首や四肢が崩れる様に地面へと転がった。
「宮沢っ……!?」
遊馬さんが驚いた様にこちらに目を向けた。
だがもう一体は動いているのだから、こちらに意識を向けてる暇など無い。
まだ遊馬さんを狙っていた動く死体の大腿へ短剣を突き立て──刀身が通らずに弾かれた。
「痛っ!?」
あまりの強度に私は思わず短剣を取り落とした。
死体は怯みすらしなかったものの、急激に静止して遊馬さんへの攻撃を止めた。
死体はこちらに顔を向けることはせず、腕だけを振るって攻撃をして来た。
その動き出しを見て、思わず私は「ばーか」と呟いた。
死体の攻撃に対して、私は馬車の荷台で見つけたランタンを投げ返す。
壊れたランタンから撒き散らされたオイルを間近で被った死体に、同じく荷台で見つけた燃える石を発火させて押し付ける。
「キキキキキキ」
ランタンオイルに引火し、急激に立ち昇る火柱。動く死体は発火した上半身でのたうち回る。
燃え上がる炎の熱を感じながら、私と遊馬さんは燃える死体から離れた。
「……宮沢、ありが──」
「まだ」
「え?」
「出て来るよ。そっちは私、追い付けないから」
私はそう言ってる間も、燃える死体の観察を続けた。私の言葉で、遊馬さんも死体へと目を移し、ゆっくりと歩いて近づいた。
しばらく観察していると、拳大の影が燃え上がる炎から飛び出て来た。
「ッ……!」
遊馬さんは即座に踏み込み、飛び出した影に刀を突き刺した。
刀の切っ先にぶら下がる赤黒い虫。
薄青い血を垂らし、まだ少し動くソレは十本脚の蜘蛛だった。
「……こんな奴が原因だったのか」
遊馬さんの呟きに私はゆっくりと頷いた。
この蜘蛛が死体の腹部周辺に入り込み、内側から糸を使って無理矢理に動かしていた。
赤茶けた肌は内部から補強に使われた糸の色、傷口や切り落とされた四肢も、即座に糸で繋ぎ直していただけだった。
「……宮沢、燃やした方はともかく、一人目の方はなんで本体の位置を?」
「別に。動き出す前に見た時は、内臓ほぼ無かったなって思ったから……居るかなって」
「意外、よく見てる」
「意外で悪かったね」
私は自分の体を動かすのがあまり得意ではない。
観察して、頭を使って、色々考えて段取りを組んだ上で、やっと人並みになれる思っている。
「ありがと、宮沢。お陰で助かった」
「海で助けられたから、お互い様」
私がそう返すと、遊馬さんは汗を拭いながら微笑んだ。
「……疲れた。これなら、逃げた方がマシだったかも」
「いや……あの速度で追われたら私は逃げられないから、結果良かったと思う」
近くの木に寄りかかってため息を吐き、一つ気になった事を遊馬さんに聞いた。
「遊馬さん、どこでそんな剣術覚えたの?」
「……父親の実家が古武道の色々やってたから、それの名残り。実戦的な剣術と、護身程度の体術を教えてた馬鹿みたいに時代遅れな道場」
「刀とか、好きなんだね」
「美術品としては好きだけど……剣術は別に。私は弓道やりたかったのに、親の方針と都合で反対されて、反発して髪染めたりしてたから」
とてもよく似合っているから気にしなかったが、ただの金髪にそんな理由があったと思わなかった。
そんな話をしてくれた遊馬さんの横顔はとても不機嫌そうだった。
結果、親の教育が現在役に立ってる事が気に入らない様だ。
「……バスケも、本当は道場に行きたくなくて時間潰すために居残りとかで練習してたんだけど、気付いたら本気でやってた」
「不良っぽいと思ってたけど、意外に真面目なんだね」
この世界に来る前に思っていた事だ。言ってはみたものの、こうして関わると意外だと感じる事もなかったが。
遊馬さんは汗ばみ、はねた泥で汚れた顔でも美しい笑みを浮かべた。
「意外で悪かったね」
同じ返しをされるとは思わなくて、私も思わず微笑み返した。