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第3話 血の始まり

 私と遊馬さんはスマートフォンのライトよりも月明かりの方が頼りになる荒れた森の中を彷徨っていた。

 ビーチのあった方へ歩いているつもりだが、大まかな方向しか分からない上に、来た時と景色が違い過ぎるので、状況は遭難と変わりない。


 龍と嵐が過ぎ去った方角に目を向けると、まだ風は強いものの、快晴の夜空と星々。それと、大小の二つ並ぶ半月が妙に強い光を発していた。


「嫌な匂いがする」


 不意に足を止めて、遊馬さんがそう呟いた。

 私も彼女の側に行き、辺りの匂いに意識を向ける。


 酸化した鉄の様な香り、濡れた土に入り混じるアンモニアの様な腐敗臭が鼻を突いた。


「動物の死臭……」


 雨が降った後にしては気温が高く、当然ながら湿度も高い。とは言え、嵐に巻き込まれたのが原因だとしたら、腐敗が早すぎる。短くても丸一日くらいは掛かるはずだ。


「宮沢、今……あっちで何か光った」


 一人考えに耽っていると、遊馬さんに肩を揺らされた。彼女が指差したのは、私たちが逃げてきたと思われる方向とは、少し違う。


「光った、って……?」

「分からないけど、月光が何かに反射したんだと思う」


 水音は聞こえないから、川や池じゃない。

 焦って走っていたから見逃していたかも知れないな、私たちが来た時に水場があった記憶はない。


 私たちは一度来た道から逸れて、遊馬さんが指差した方へと向かった。


 少し歩き、何かに近づくに連れて腐敗臭は強くなっていく。

 しばらくしてたどり着いたそこに有ったのは──


「これは……」

「っ……うぇっ」


 ──人の死体だった。


 思わずと言った様子でえずいた遊馬さんの視線の先には、大きな木の枝が喉元に突き刺さった馬と、馬車の下敷きになった二人の男性。

 一人は頭を打ったのか頭部が変形しており、もう一人は辺りに内臓が散らばるほどに腹が裂かれてしまっていた。

 まるで、腹の中から何かが飛び出して来たかの様だ。


 遊馬さん隣で口元を押さえて表情を歪めている。

 人の死をこうも間近で感じる事になったのは初めてだが、何故か私は小さい頃に住んでいた田舎で時々見かける、動物の死骸を思い出した。


 初めて遭遇した人間は、まさかの死体。

 幸先の悪さを感じながら、取り敢えず胸の前で両手を合わせた。


 恐る恐ると言った様子で、木の枝で馬の死体をつつく遊馬さんを見て「やめておきなよ」と注意をしてから、私は横転している馬車の荷台に入った。


「……うーわ……。光ってたのはこれか」


 そこにばら撒かれていた物を一つ手に取り、荷台の外で月明かりとスマートフォンのライトでそれを照らす。


「遊馬さん、これ」

「えっ……金貨? もしかして、純金?」

「多分ね」


 スマホケースのマグネットに反応しなかったし、剥がれもない。重量や色味からしても、信憑性は高いだろう。


 そこで私が考え込むと、遊馬さんが私の手からスマートフォンをするりと取った。そして馬車の荷台をのぞき込み、足を踏み入れた。


 取り敢えず、死体とは言え、この世界にも人間が居ることは分かった。硬貨を使って商業をする文化もある様だ。


 死体の服装、馬車の装飾は中世ヨーロッパのゴシック時代を彷彿とさせる様な文化形態だ。

 ただ、龍の様な化け物が居る世界で、人々の生活様式や文化の発展が遅いとは思えない。


 それに、私たちが見たのは日本や中国の神話で見られる龍であり、ヨーロッパの方で見られる神話のドラゴンとは別物だった。


「……ほんとに、異世界に来てる……ってことか」


 夜空を見上げると、月の様な大きな衛星が二つ見える。その時点でこの場所が地球じゃないことだけは分かっていたつもりだ。


「宮沢、中に服あったよ。着替えたほうが良い」


 まるで旅人の様な装いに着替えていた遊馬さんが、そういって馬車から出てきた。


 言われた通り、自分の身体に合うサイズの服を見繕った。幸い、女性物の下着も見つかったので服装で不自由することは無さそうだ。


 羽のように軽いブーツ、肌触りの良い衣類。

 一旦何の素材を使っているのやら。

 少なくとも、これらが高級な物であることは疑いようもない。


 そしてあの大量の金貨で何となく察していたが、この馬車……というより、商人だろうか。何にせよ、どこかおかしい


 この原生林は、木々の隙間に人が歩ける様な幅はある。だがこんな大きな荷台を引いた馬を連れて歩ける場所ではない。


 嵐に巻き込まれてここに飛ばされたという線も無くはないが、私や遊馬さんがほぼ直撃しても大丈夫だったのだから──


「いや、寧ろ……?」


 この荒れ切った森の中、私たちが無事だった事の方が特殊なのだろうか。

 遊馬さんのお腹に残っている痣が何を示しているのかは分からないが、原因は十中八九あの龍だ。


 ふと、まだ荷台を物色していた遊馬さんが、なにやら真っ黒い布の袋を取り出した。


「宮沢、面白い物見つけた」

「何その……土嚢袋みたいなやつ?」

「見てて」


 何処となく機嫌の良さそうな表情をしている遊馬さんは、真っ黒の袋に手を入れる。


 何かを掴んで、ゆっくりと中の物を取り出した。

 せいぜい小さめのエコバッグくらいの袋から取り出されたものは明らかに、その袋の容積よりも大きい。


「見て、大刀たちだよ」


 妙に遊馬さんのテンションが高い。あまり口調には出てないが、さっきまでと比べて異様に表情が明るい。


「玉鋼……とは少し違うかな、でも似た合金を使ってる──」


 ブツブツと呟きながら遊馬さんがうっとりと眺めているのは、刃渡り七十センチメートル程の直刀。西洋的な衣類にはあまり似合わない不思議な武器の形態だ。


 それにしても、遊馬さんが刀剣的な物に興味のある人だとは知らなかった。

 元々あまり関わりのあるタイプではなかったが、こう言う一面を知る彼女の友人がどれほど居ることやら。


「遊馬さん、もしかしてその袋、他にも何か入ってたの?」

「ん、本当に色々入ってるけど……全部の確認はまだ。ただ今のところ武器ばっかり」

「出てきた武器って、全部そういう……刀みたいな物?」

「いや、全くの別物。両刃の直剣とか、突撃槍ランスみたいな物もあった。寧ろ、刀はこれだけ」


 と言うことはこの世界で使われるポピュラーな武器の形態は西洋剣なのだろう。


 まだ銃器が発展していない世界。

 不思議な化け物の生息する世界。

 魔法のアイテムが存在する世界。


「……武器はともかく、何か使える物はあるかも知れないか。遊馬さん、その袋って多分、幾らでも入るんだよね?」

「多分、そうだと思う」

「なら、ちょっと貸して」


 私がそう言うと、遊馬さんはこちらに黒い袋を投げ渡してくれた。

 遊馬さんの確認した物が確かなら相当な重量になっている筈だが、私には空の土嚢袋にしか見えない。手に持っていても、やはり重量感はない。


 もう一度馬車に戻り、ばら撒かれた金貨を筆頭に使えそうな物を一通り黒い袋に放り込んでいく。


 妙な黒い刀身の短剣、構造がよく分からないランタン、模様を擦ると火や水が湧き出る石、等など。

 ひと通り物色を追えて荷台から体を出した、その時。突然、馬車が大きく吹き飛ばされた。


「うわぁっ!!?」


 慌てて飛び出し、着地に失敗して転ぶ。痛みに悶えながら顔を上げた。


「っ……痛っ!? 遊馬さん何して──」

「私じゃない、そいつ!」


 遊馬さんの叫びと、彼女の視線の先にある物を見て、私も咄嗟に距離を取った。


 馬車の下敷きになっていた筈の男二人が、ユラユラと立ち上がったのだ。

 いつの間にか傷が塞がっており、ミイラの様な赤茶けた様な肌をしていた。


「な、なにあれ……」

「分からない。急に死体が動いたと思ったら、異常な腕力で荷台を投げ飛ばした」

「どういう原理で!?」

「だから分からないって……!」 


 死体が動くなんて現実味の無い状況。だが目の前で起こっていることは紛れもなく現実。

 ならば何かしらの原因がある、死んだ生き物が動く理由、傷が治ってる様に見えるのは何故か。

 人間離れした腕力を持っているのは何故か。


「遊馬さん、ゆっくりこっちに来て」

「……わかった」


 今のところ死体の動きは遅い、考える時間はある。


 死体は死体だ。遊馬さんが木の枝でつついていた時は何も起こらなかった。外的な刺激が理由である可能性は低い。


 ここは異世界だ。自分の中にある常識は大した意味を持たない。視野を広げて、よく観察するしかない。


「……映画でしかこんなの見た事ない」

「ああいうのって大抵、ウイルスに感染してるだけで辛うじて生き物でしょ、こっち完全に死んでたよ」

「ウイルス……は母体が死んでたら意味ないか。なら、寄生虫とか」

「生体を乗っ取る奴は居なくもないけど……」


 死体を乗っ取るなんて、それでは寄生じゃなくて操り人形だ。


 いや、まさにそうなのかも知れない。

 死体を操り人形にする何かが、この近く居て私たちを襲おうとしている。


 そんな可能性も、無いとは言い切れない。


「……何にせよ、動かないと」


 隣に来た遊馬さんのそんな呟きを聞いて、私は一度思考を止めた。

 彼女の言う通りだ、ここで立ち止まっているだけでは襲われるだけ。


「そうだね、じゃあ──「戦おう」──逃げ……えっ?」


 意見が一致しなかった様な気がして、私は思わず隣を見た。

 すると、遊馬さんも目を丸くしてこちらを見ていた。


「「えっ?」」

「キュキュキュキュ!!!」


 声を揃えて困惑する私たちに、ゆっくりと動いていた筈の死体が異音と共に猛然と迫ってきた。

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