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第4話

「うあ……ッ!!」

「ああ、いけません陰陽師様」


 思わず声を上げて壁に背をつけようとしたオレを、長い手が慌てたように抑えこみ、口を塞いだ。

 苔生した石のような匂いがする。

 なんだ、なにをされる。


 睡魔なんてどこに消えたか、今や必死に目を見開いて、得体の知れない妖怪らしきものの動向を注視するしかできない。


 のそりと電灯から降りてきたそれは、眼前に迫ってから苔臭い口を開いた。


「こんな深夜に大声をお出しになっては、ご近所の迷惑でござろう」

「あ……はい」


 真剣な顔での注意に、思わず恐縮するしかない。

 ……だったら驚かせるような登場をするなよ。


 でもどうやら、こちらに危害を加えるつもりはないらしい。睡眠を邪魔されたのは正直腹が立つが、昼間になったら出直してくれと言うのも酷だろう。なんせ相手は妖怪だ。

 仕方なく布団を部屋の隅に寄せ、ちゃぶ台と麦茶を出して話を聞くことにする。


「深夜の訪問に加え、このようなおもてなしまで……申し訳もございませぬ」

「目も覚めましたから、それについては全然」


 全身毛むくじゃらだと思っていたそれは、恐ろしく毛深い人間くらいの容姿だった。肩からも背中からも、なんなら腹からも生えている。眉や髭も伸び放題で、人間に近いのに、もしゃもしゃとした犬みたいだ。

 そんな相手が、ずいぶん参った顔をして大人しく正面に座っている。


「それで、用向きは?」

「私は古籠火ころうかと申しまして、古い灯籠に取り憑く妖怪にございます。陰陽師様のことは入道殿にお伺いしました」

「入道殿? ……加牟波理入道がんばりにゅうどうのことですか?」

「左様でございます。なにやら陰陽師様は、入道殿のご不調を一目見て看破なさったとか。そのお話に感服し、是が非でも我が身も見ていただこうと──」


 オレが加牟波理入道の体調不良の原因を突き止めた? そんな覚えはないぞ!?


「ちょ、ちょっと待ってください。きっとなにか勘違いを……!!」

「いいえ、勘違いなどと!  入道殿のご不調を看破なさり、薬師の河童殿に助言をなさって適切な薬をくだされた。入道殿が、現代にお越しになった大陰陽師様じゃと言っておられたのでございます」


 熱弁を奮われるが、どう考えてもオレのやったことじゃない。すべて銀花さんの手柄だ。

 きっと銀花さんは加牟波理入道に薬を持っていったとき、「オレの助言で不調の原因を特定できた」とか話してくれたんだろう。そんなイメージがある。

 あとはきっと、軽いオレの紹介とかだ。神隠しに遭った陰陽師だ、この街にもよく顔を出すだろうからよろしくしてやってくれ、とかなんとか。

 それに尾ひれと背びれ、ついでに足まで生えた結果、すごい陰陽師のオレが不思議な力で問題を解決してしまったということになったっぽい。


 いくらなんでも飛躍しすぎだとは思うが、この時代、人間どころ妖怪だって、本当の陰陽寮の仕事を知ってる奴はいないんだろう。陰陽師は全員、マンガの中と同じことができると思ってるのかもしれない。


 頭痛がする思いだったが、反論をしようにも寝起きでうまく頭が働かない。

 その隙に、古籠火は聞いてもいないことを話し続けている。


「そもそも私は人間たちが使わなくなった灯籠に取り憑き、火を灯す妖怪なのです。灯籠の無念が生む存在と言ってもいいやも知れません。もちろん明治帝の御代以来ガス燈が台頭し、灯籠などもはやただの庭飾りのようになっておることも承知! 先ほど私がぶら下がっておりましたあちらの電球とやらも、まぁ火も出ぬのに煌々とあたりを照らしおって忌々しい。だからこそ多くの灯篭が打ち捨てられ……」

「すみませんが古籠火さん。寝起きなためかよく理解できないんで、極力完結に、どういう困りごとなのかだけを聞かせてもらえますか」

「あぁ、これは申し訳もないことを」


 慌てて口を噤んだ古籠火は、とたんにフサフサとした眉毛を垂れさせた。

 これだけ眉毛が濃いと、しょんぼりしたのがよく分かる。


「……実は、火が吐けんのです」


 情けない、と、古籠火はぽつり漏らした。


「私は火を吐く際、腹の奥に溜まった無念が熱く燃ゆるのを覚えます。しかしこの数年、いやこの二十年以上、その熱く燃ゆる感覚が腹に宿らぬのです。そんなわけがないと思い無理に吐き出しても、まったく別のものが出る始末で」

「別のものを吐くんですか? 本当は火を吐く妖怪なのに?」

「はい」

「火じゃないなら、なにが出るんです?」


 まさか吐瀉物ゲロとか言うんじゃないだろうな。


「石の針でございます」


 これこのようにと、古籠火が大きく口を開いた。え、今吐くのか。

 まぁ石の針ってなら、別に汚いわけでもないし、いいか……?

 と思っていたら、まるでおっさんが喉に絡んだ痰を吐くような音の直後、バチンとなにかが鳴った。

 古籠火の口からカラカラと石の針が転がり落ちたのは、そのあとだ。

 ……おう。

 汚くはないけど、なんとなく、嫌悪感。


「本当に火を吐こうとして、これが?」

「石の針を出して得もございませんので……」


 それもそうか。誰も使っていないはずの灯籠に火が入っているからこそ成り立つ妖怪が、わざわざ石の針を吐き出す理由がない。

 しかし、さっきのバチンって音はなんだ? 火を吐くときも、あんな音が鳴るんだろうか。


 かといってこれをオレに訴えられたところで、正直困ってしまう。なんせオレはただ、陰陽寮の勤め人だっただけだ。暦を作り、星の動きで吉兆を読み解き、卜占ぼくせんをする程度ならできるが、妖術の類は使えない。

 そういうのは父上や晴明はるあきら様、道満とかいう野良術師の得意分野だ。


「それにしても、この電球、蛍光灯、エルイーデーとやらは凄まじい眩しさでございますな。雷神様のお力をば利用し、かようなものを作り出すとは本当に人間のさかしさには驚くばかりです。こんなもの一つでこの部屋を隅々まで照らし出すとは、情緒のかけらもございません。火の回りだけがゆらゆらと明るく、離れるうちに暗くなるその温かみというか、明かりのありがたみというものがどうにも」

「……令和の家電はお嫌いですか?」

「あ、いやその。嫌いとまでは」


 とたん、口ごもる。あれほどぺらぺらと話していたのが嘘みたいな静かさだ。


 こうしている間にも、体はだんだん重くなる。無意識に睡眠をとりたがってることを自覚しつつも、かといってこのまま放り出すのも、自分の甲斐性のなさを突きつけられるようで嫌だった。

 どうしたもんかと悩むオレの沈黙を、古籠火は打つ手なしの重症状態とでも受け取ったらしい。やがて耐えるようにこぶしを握り締めたあと、ちゃぶ台から少し引き下がり、頭を下げた。


「深夜に益体もなき話にお付き合いさせてしまい申し訳もございませんでした。いかに陰陽師様と言えど、かように面妖なことには戸惑われましたご様子。これ以上はお引き留めいたしますまい」


 そのままうっすらと消えようとするのを、あわてて引き留める。


「ま、待ってくださいちょっと! あの、なにか薬は……!」

「薬でございますか?」


 消えかけていた古籠火は、ぎょろりとした目をさらに見開いて実体に戻る。


「火を吐けなくなったころ──ですので、もう二十年以上も前ですな。薬師の河童殿にご相談申し上げたのですが、いっこうに良くはならず……。むしろこの不調を調伏せんと、孤軍奮闘くだされた河童殿のほうこそやつれていってしまわれましてな。もう治ったと芝居を打って以来、薬には頼っておりません」

「それ、きゅうりマタタビ堂のトラさんですか?」

「左様でございます。当時はまだ嫁御よめごを迎えておられませんでしたゆえ、河童堂と看板をかけておられました」

「銀花さんが一緒にお店をするようになってからは、行ってないんですね?」


 はあ、と頷いた古籠火の返事に、少しホッとした。

 銀花さんは、直接話を聞かなかった加牟波理入道の便秘にも気づいた妖怪ひとだ。そんな妖怪ひとが、石の針を吐かなくなったなんて嘘を信じるとは思えない。

 患者の完治まで試行錯誤を繰り返すトラさんを気遣ったとしても、銀花さんは嘘を信じる方向じゃなく、問題を解決する方向に尽力するはずだ。


 それなら、やりようがある。


「わかりました」

「え」


 古籠火の目に、期待が灯る。


「あと数日ください、いろいろと考えてみます。あと、きゅうりマタタビ堂のお二人にこの件をお話ししてもいいですか?」

「もちろん、もちろんでございます! どうぞ、どうぞお救い下され陰陽師様! 御用とあらば、五回、電灯を点灯させてくだされませ。いつなり馳せ参じましょう」


 なにとぞ、なにとぞと拝むようにしながら、今度こそ古籠火はその姿を消した。麦茶が手つかずなこともあり、さっきまでここで話していたのが嘘みたいだ。

 それでもちゃぶ台の上に転がる石の針が、古籠火がお悩み相談にやってきたことを実感させる。


 すべて片付け、改めて布団に入りながら、明日の夜持参する手土産について考えた。


「そういえば最近うちのスーパー、キウイが大量に割引になるんだよなぁ。キウイってマタタビの仲間だって聞いたことあるし、明日はキウイをお土産にしてみるかぁ」


 うまくいけばフニャフニャになった銀花さんが見られるかもしれない。こてんこてんと転がるところが見られたらどうしよう、腹を撫でたくなる衝動を抑えられる気がしない。

 寝落ち寸前の顔でもいい。


 トラさんにバレたら睨まれるどころか、滝行のような量の水をかけられる予想をしながら、ニマニマと眠りにつく。

 トラさんには勘違いしないでほしいが、オレは銀花さんを女性として好きなわけじゃない。ふくふくフワフワふくよかニャンコの銀花さんが大好きなだけだ。他意はない。



  ◆  ◇  ◆



 翌日の夜、きゅうりマタタビ堂を訪問したオレは、二人に古籠火のことをすべて話した。

 トラさんはすぐに思い当たったのか、神妙な顔で腕組みをはじめ──銀花さんは困った顔をしながら、ときどきオレたちの目を盗むように、キウイの入ったビニール袋を覗き込んではうっとりしている。

 可愛い。


「古籠火んことはずっと気になっとったんやが、そうか。……やはり治ってはおらんやったか」


 気ぃば遣わせてしもうたと悔恨するトラさんの膝を、丸い手がぽんぽんと叩く。後悔の気持ちが勝っているのか、いつもよりずいぶんと気落ちした様子の爬虫類の目が、縋るように銀花さんを見た。

 フワフワの毛に埋もれた大きな丸い目が、ふんわりと笑ってトラさんを見返す。


「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ウチがおるよって、大丈夫え。トラさんはどんなお薬でも作れるんやもの。見つけなあかんモンは、ウチがぜぇんぶ見つけあげるよって、心配せぃでも大丈夫」


 優しい声だ。ゴロゴロと喉を鳴らしながら、コツンとすり寄る。愛しい相手を守る、母親のような愛情を感じる。

 その声と仕草が安心を誘うんだろう。険しい顔をしていたトラさんも、しっとりと目元の力を緩めた気がした。

 うーん、相変わらず人前で遠慮なく見せつけてくれる。独り身にはつらい。


 あえて二妖ふたりから視線をそらしていると、クフクフと笑う銀花さんの声が聞こえた。


「そんなあからさまにお顔そらさんでもえぇのんに。人間さんから見はったら、犬猫がくっついて寝とるみたいなもんやろな」

「いやー、姿形はそうだとしても、やっぱ人の言葉でイチャイチャが聞こえると、気恥ずかしくなっちゃうもんで……」

「なにがイチャイチャや。いつ俺らがそげんことばしたっつうったい」

「トラさんは自覚してほしいんですけど、無理そうな感じですか?」


 首を傾ぐトラさんには、たぶん言っても分かってもらえないだろう。つまり今後も、不意打ちで二妖ふたりのイチャイチャに当てられる可能性は高いということだ。

 しかしそんなやり取りをケラケラと笑った銀花さんが、それでと言葉を区切り、瞳孔を細めてオレを見た。


「聞かせてくれはる? よっしゅきさんが見て、聞いた、古籠火さんの症状の話」


 まるで獲物を狙う猫の目だ。いつも黒目がちな銀花さんと雰囲気を一転したその視線に、オレは知らず、緊張と興奮で心臓を高鳴らせていた。


 古籠火について言えることを探しながら、口を開く。

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