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第5話

「まず……古籠火が吐き出す、石の針の現物がコレです」


 ポケットに押し込めていた財布から、石の針を取り出す。

 小銭入れに入れておけるほど小さい針だ。細さは爪楊枝よりも太く、箸よりも細い程度。印象としては太短い。その両端が、黒曜石の矢じりのように尖っていた。


「こいつが、バチンッて音と一緒に転がり落ちてくるんです」

「ばちん?」


 きょとんとした顔で、銀花ぎんかさんがしげしげと手の中の針を覗き込んでくる。

 ふんふんと匂いを確認するたびに、前側にせり出たヒゲが当たってくすぐったい。でもそれがとてもいい。


「ばちんって、なんの音やろか。トラさん、わからはる?」

「いや、分からん。火ば吐くときにそげん音はせんちゃろうし、なんやろうな。石と石がぶつかったような音に近かとか?」

「石同士がぶつかるっていうと……ガツーンとか、ゴンッとかだと思うんですよ。でもバチンッなんで……」

「そしたら、ゴムが弾けたみたいな音とかどうやろ」

「あー、かなり近づいた気もしますけど……やっぱりなんか違う気も……」

「違うんかぁ、ちょっとややこいなぁ……」


 銀花さんはむむむと口元を突き出すと、気持ちを落ち着けるためか、少しお顔を洗う。もしかしたら集中しようとしてるのかもしれない。

 猫の仕草ってのは、いくつも効果があると聞いたことがある。愛煙家が煙草を吸うのと同じようなもんだろうか。

 アレも確かリラックスと集中とか聞いたことがある気がするが──煙草なんて存在しない時代から来たオレにとっては、お顔を洗う銀花さんのほうがよっぽど素晴らしい存在だ。煙たくないし、臭くもない。


 なによりもう、そこにいるだけで可愛い。なにをしてても可愛い。好き。


「よっしゅきさん、他にはなんかある?」

「え! あ、そうですねぇ!」


 思わず見惚れてしまっていたが、銀花さんに声をかけられて我に返る。

 ……横からトラさんに睨まれている気がする。視線が痛い。

 大丈夫です、オレは既婚者に手を出すタイプの通い婚はしたことのない男です。大丈夫だから見惚れるくらいは許してください。だって可愛いんですもん。


「んー、症状に関係のありそうなことはなんにも……」

「関係なさそうなことでもええのんよ。好きな食べもんとか、嫌いな匂いとか、そんなことでもええし」

「とは言っても、昨夜は麦茶を出したくらいしか……あっ」


 好き嫌いと言われて、思い出した。


「そういえば古籠火、家電は嫌いみたいでしたね」

「家電? 例えばどんなん?」

「炊飯器とか、テレビんごたぁ物んことか」

「あぁすみません、そっちじゃなくって。蛍光灯とかですね」

「あーね。あいつは灯籠に取り憑く妖怪やけんな。確かに灯籠ば無用ん長物にした電気んことは、好かんかもしれん」


 ……ビックリした。いきなりトラさんが今どきの女子言葉を話したのかと思った。たぶん方言だなこれ。


 そう、古籠火はオレの家に来たとき、ずいぶん照明器具の愚痴を話していた。忌々しいだか憎々しいだか言っていた気がする。こっちが話題に出してもいないのに、独り言みたいにブツブツ言っていたからよっぽどだ。

 寝ているところを叩き起こされた結果、愚痴を聞かされるのかと、内心ちょっと腹が立っていた。


「まぁ自分が取り憑く対象がどんどんすたれていった原因でしょうから、嫌いな気持ちも分かるんですけどね。だったらせめて胸に秘めておけばいいのに、わざわざ話題にも出していなかったことをブツブツと……。ああいうのって、言わずにはいられないんでしょうか」


 そんなことを言いつつ、オレが話しているのもほとんど愚痴だ。そう考えれば、確かに人に聞いてもらうとスッキリするような気がする。

 銀花さんも分かってくれてるのか、ニコニコと頷きながら、文字通り耳を傾けてくれていた。

 視線だけはオレじゃなく、斜め上を見ている。なにか目で追ってるのか、考えごとでもしてるのか。


「言わずにおられへん気持ちかぁ……そらよっぽど溜まったはるんやねぇ。そんなお嫌いなんやったら、近づくのも触るんもイヤやったりしはるんやろか」

「どうですかねぇ。少なくともオレのところに来たときには、電灯にぶら下がってたんです」

「あら、そうなん?」


 今度は丸目が、オレを見る。

 興味深そうに耳を立てて、ワクワクを隠しきれないヒゲがオレに向かって突き出していた。

 一番分かりやすいのは猫じゃらしを前にしたときの、お尻を振っているにゃんこの状態だろうか。

 もちろん銀花さんは、お尻までは振っていないけど。


「そうなんですよ! 電球には情緒がないとかなんとか言っときながら、結局は照明器具ってもんから離れられないんですかねぇ。それに、用があったら電灯を五回点滅させてくれって言うんです。そこは蝋燭ろうそくじゃないんだなーって」

「ほんまにぃ。……なるほどなぁ、難儀なんぎなお人やわぁ。そんなことばっかり言ぅたはるから、石の針ばっかり吐いてしまうようにならはったんやね」


 にんまりと笑った銀花さんは、水掻きのついた手をポフポフと叩いた。


「トラさん。古籠火さんがご入り用のお薬、なにか分かったわ」

「ほんなこつか」

「ウチ、トラさんに嘘なん言わへんえ」


 にっこり目を細めた銀花さんが、トラさんと見つめ合う。

 ……はい。はい、またですね。またイチャイチャタイムが発生しました。この夫婦本当に無自覚で困る。

 それとも妖怪の夫婦ってのは、みんなこうなんだろうか。

 種族も超えてラブラブなのは心の底から羨ましいが、羨ましすぎて奥歯から変な音が出そうだ。

 できるだけ感情を表に出さないように気をつけて、静かに深い息を吐く。


「じゃあ、今回は銀花さんが古籠火に症状の説明を……」

「あかんのんよ、それやと。せやから良かったら今回も、よっしゅきさんに説明役、お願いでけへんやろか」

「そりゃオレは構いませんけど──でも銀花さんの手柄、オレが横取りしちゃう形になっちゃいますし」

「手柄なん言うてぇ、そんなたいそうなモンやないわぁ。こういうんは、肩書き持ったはる人が言うたほうが説得力あるもんなんよ。せやしねぇ」


 まるでナイショ話みたいに、一人と二妖で頭をくっつけて、銀花さんの見解を聞く。

 トラさんへの処方の指示、オレへの症状解説。それをいたずらっ子のようにくふくふと笑いながら話す銀花さんは、まるでガキ大将だった。


「え、ホントにそれで大丈夫ですか!?」

「だいじょーぶ、だいじょーぶ。ウチが言うんやから間違いない」

「じゃあ俺は薬ん用意ばしてくるけん、古籠火ば呼び出すとは頼むくさ」

「トラさん仕事にかかるの早すぎません!? こっちはまだ心の準備が!!」

「よっしゅきさぁん。電球、何回点滅させたらええんやった? 五回で合うてる?」

「合ってますけど待って、待ってください銀花さん!!」


 この夫婦、やるとなったら準備が早すぎてビックリする。たぶん出かけるときにグダグダしないタイプの人たちだ。

 オレはというと行くまでに思うさまグダグダし、なんなら二回くらい家の鍵を確認しに戻ってから出かけるくらいの人間なので、このスピード感は未知の領域と言っていい。

 令和の忙しない生活観は妖怪までハキハキと動かすようになってしまったんだろうか。悲しい。人間、もっと牛車に揺られるくらいのスピードで生きるのが楽なのに。


 それに古籠火への症状の解説役を任されたのはいいものの、実はちょっと、自信がない。

 銀花さんの推理を疑っているということじゃなくて──その説明を、ちゃんと間違いなく覚えられているかどうかってことだ。

 なにかあれば助け船を出してくれるとは言ってたし、オレはきっかけを与えるだけとも言われたけど、心臓が飛び出そうなほど鳴り続けている。


 せめて詳細を聞いてから返事をすれば良かったと思っているオレの後ろで、銀花さんが照明のスイッチに肉球をかけた。


 かちかち、かちかち


 音と共に、きゅうりマタタビ堂の照明が点滅する。

 消えた瞬間、通りを彩る提灯ちょうちんの光彩が、鮮やかに店内に差し込んだ。


 かちかち、かちかち


 まるで夢のようだなんて言葉が頭に浮かんだ直後、正しく今まさに、ここが夢の中のような場所なんだと思い直した。

 やれ内裏だいりの大火だ、やれなゐ地震だと騒いではコロッコロコロッコロ元号を変えていた時代から、大天災が起こっても、それこそひどい疫病が流行っても元号が変わらないどころか、平然と日常を送っている時代に来たわけだ。

 風情ふぜいはないし忙しいしイラついている人間も多いけど、餓えはなく、生きるための助けは数多あまた存在している。

 その上ここは、妖怪たちが行き交う町だ。夢のよう、としか言いようがない。


 なんだか感慨深くなって、思わずため息が出る。


 かちかち


「陰陽師様!! なんとお早い、陰陽師様!! お助けくださるのですか陰陽師様!!」


 ──前言撤回。

 感慨深くなりきる前に、古籠火がオレの目の前に迫っていた。

 毛むくじゃらの顔を引っ掴み、思わず力いっぱい引き離す。


「近いんですよ、毎回!! あと来るの早すぎるだろ!!」

「なにをおっしゃりますやら。合図くだされば、いつなり馳せ参じますと申し上げましたのに」


 オレの言葉に、古籠火は心外だと言いたそうに唇を尖らせていた。

 ……いや、言ってたよ。言ってたけどさ。

 秒で来るとは思わないだろ、普通!

 緊張とは違うドキドキと、もしかしてこの妖怪はオレを驚かそうとしてるんじゃないかという怒りで、ちょっと口が汚くなってしまう。

 けれど、もしかして大声で銀花さんを驚かせてしまってないだろうかと我に返ったところで、後ろから声がかかった。


「ようこそ、おいでやす古籠火さん」


 普段より無邪気に思えるくらいの声だった。

 小上りにちょこんと座った銀花さんは、やっぱりニコニコと表情を緩めている。なのになぜか、いつもより子猫じみているように見えた。

 ほんの少し、声が高くなっている気がするのが原因だろうか。


「きゅうりマタタビ堂の家内をしとぉります、銀花ぁ申します。うちの河虎が昔お世話になっとったと伺ったんどすけど、お力になれんで、ほんまに申し訳ありまへん。このたびはどうぞ、よろしゅうおたの申します」


 深々と頭を下げた銀花さんの姿に、古籠火は飛び上がった。

 慌ててオレに背を向け、銀花さんに頭を下げる。


「ああいや、これは! こちらは河童殿の薬屋でございましたか! 陰陽師様がお呼びくだされたので、居ても立ってもおられず駆けつけまして、失礼を……! 嫁御をとられたとは伺っておりましたが、どうもご丁寧に!」


 最初にオレの家に来たときもそうだったけど、古籠火はわりと、礼儀とかそういう物を気にするタチらしい。

 だったらまず距離の近さをなんとかしろとは思うんだが、今は指摘できるタイミングじゃないんだよなあ。


 しがない古籠火でございますと名乗ったモサモサ妖怪に、フワフワ妖怪の銀花さんは静かにお茶を差し出した。


「急いでおいでにならはって、お疲れでっしゃろ? 今お薬用意しとりますますよって、よっしゅきさんとお話ししはって、待っとっとくれやす。よっしゅきさんも、おぶぅお茶置いときますよって、お好きに飲んでねぇ」

「あ、ありがとうございます」


 それだけ言い置いて、銀花さんは通路の暖簾の奥に姿を消した。

 たぶん、話しやすいように控えてくれてるんだろう。つまり舞台が整えられてしまったってことだ。

 緊張から吐き出す息も震えているが、銀花さんのれてくれたお茶を手に、一気に飲む。


「どうぞそちらも、せっかくですから淹れたてを」

「ああ、これはお気遣いを。いただきます」


 ごくり、と古籠火の喉が上下するのを確認する。

 少々変わった味ですな、なんて話しているのを耳にしながら、オレは深く深く、腹の底まで満たすつもりで息を吸った。


「それで、その。石の針についてなんですけど」

「はい! もしや、もうなにかお分かりになりましたか!」


 期待でキラキラ──いや、ぎらぎらとしたデカい目玉が、詰め寄らんばかりにオレを見つめてくる。古籠火の手にある湯呑みは、軋みそうなほど強く握りしめられていた。

 万が一あの手がオレの首に掛かったら、なんて不吉なことを考え、息を飲む。だけど今さら逃げ出すなんてできやしなかった。

 銀花さんがかけてくれた期待に、応えてやらなきゃ猫好きがすたる。


 睨むように、古籠火を見た。


「あなた、オレに嘘をついてますよね」


 言葉に、古籠火はぴたりと動きを止める。

 狼狽うろたえたのか、図星を突かれたのかは分からない。ただそれきり、しばらく指先、目線すら動かさなかったのは確かだった。

 だけどやがて──顎を引く。

 じっとりと恨めしそうな目が、はっきりとオレを捉えていた。

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