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第6話

 ──とは言っても、その目はころりとなりを潜め、ヘラヘラとした表情に変わる。


「嘘などと、なにをおっしゃいます。助けを乞うておる立場で、あなた様に嘘など申すはずが」

「そうですか。……じゃあ針の石を吐いてしまう、その原因からお話ししましょう」


 咳払いで、緊張し続けている胸元の騒々しさを誤魔化す。

 緊張してると呼吸が苦しくなるのは、なんでなんだろう。令和の世ならその理由も解明されてるんだろうか。そういえばオレの言う「ココロ」も、令和の世では「心臓」という名前がつけられてると知った。

 関係ないことばかり考えて、緊張から逃げたくなる思考を、もう一度古籠火を見ることで律する。


「石の針を吐き出す前、バチンと大きな音がする自覚はありますか?」

「もちろんでございます」

「あれは──あなたの中で、電気が走っている音だと思います」

「──なんと?」


 ちなみに、オレは電気の仕組みをよく知らない。この時代に来て、デコボコを入れ替えたり、紐を引っ張るだけで明るくなる照明を見て腰を抜かしたくらいだ。

 だからまぁ、火を吐ける古籠火が電気を出そうとしてるって銀花ぎんかさんに言われてからも、そういうもんなんだろうと思っている。

 それに確か、火で電気を作れるとか聞いたことがあった。それについてもよく分からないが、そういうもんなんだろう。


「あなたが火を吐くのは、誰も火を入れなくなった灯籠に火を入れるためですよね」

「左様でございます。なのに何故なにゆえ、電気などと。なにより電気が走ることで、どうやって石の針ができるとおっしゃる」

「あー、それは……えっと」


 まずい、この辺りの話をよく聞いていなかった。

 ちらりと暖簾に視線を逃がすと、奥でなにかが動く気配がする。助けて銀花さん。できれば怪しまれないうちに助けて。


「陰陽師様、お答えを」

「説明がむずかしくってですね……。いやぁ、どう言えばいいか」


 銀花さーん!! 銀花さんまだですかー!!

 このままじゃオレ、圧に負けて謝ってしまうかもしれない! 古籠火の目力を前にするとわりと無力感がある!!


 泣きそうなオレの耳に、チャッチャッと石床を歩く爪の音が聞こえた。


「お茶請け持ってきましたよって、お上がりやす。なんやむずかしそぉなお話ししたはりますけど、和三盆でも食べはったら、ちょっとはほっこりしはらへんにゃろか」


 癒やしの声だ。

 いつも通りニコニコと、笹型の小皿に盛った花のようなお菓子を差し出してくれる。

 うちのスーパーでも売ってる和菓子とちょっと似てるけど、もっと小さくて、ちょっと粉っぽい。


「わさんぼんってなんですか? 銀花さん」

「あにゃ、よっしゅきさん和三盆しらはらへん? ちょっと特別なお砂糖を、ギューッと固めたお菓子なん。甘ぁておいしいえ」

「へえ……」


 一つ摘まんで、口の中に放り込む。

 ほどけるように崩れて、甘さが広がる感覚に、目の前に星が散ったような気がした。


「なにコレうっまぁ!!」

「こないだ実家帰ったとき、お客さんにいただいたん。喜んでもらえて良かったわぁ」

「角砂糖とかとは違うんですね」

「アレよりもぉっと細かぁて、もぉっとギューッとするんやと思うわ。一生懸命、ギューッて」


 言って、銀花さんはぱちりとウインクする。可愛い。違うそうじゃない。

 ああこれが助け船なんだと、オレはようやく理解した。


「ありがとうございます銀花さん。……もう少し話があるんで、奥で待っててもらって、いいですか」


 そう言うと、銀花さんは静かに頷いてからポフポフとオレの手を二度叩いて、暖簾の奥に消えた。

 肉球の間に生える、柔らかい毛の感触とぬくもりが、オレになんとも言えない力をくれる。

 素晴らしきかな、にゃんこのお手々。


「話を戻すとですね、古籠火さん」


 古籠火は、オレが銀花さんから差し入れを受け取っている間も、じっとりとオレを睨んでいた。

 もしかすると睨んでいる自覚はないのかもしれないけど──それはもう、睨んでいる。

 大きな眼球で、眉根を寄せて、ふざけるなとでも言いたそうに。

 それを全部見下ろしながら、オレはゆっくり言い放った。


「あなたは体内で作った電気を吐き出したくなくて、押しとどめて、押し固めて──石にして吐いてるんです」


 睨んでいた古籠火の表情が変わる。

 目を見開き、ぽかんと口を開け、呆気にとられたように肩も落としていた。


「……電気を押し固めて、石にすると?」

「そうです」

「は、は。……かような馬鹿なことを。そのようなこと、できるわけが」

「人間ならできません、でもあなたは妖怪です。灯籠の無念で火を滾らせ、炎を吐き出す妖怪古籠火。──条理を歪め、不可能を顕現けんげんするのがあなたがたです」


 反論はない。ただ、古籠火の目がオレから逸れた。


「あなたは家電……主に照明器具を嫌っていましたが、その行動は真逆と言えるものでした。オレの家を訪問した際にはライトにぶら下がり、病気の原因が分かったときにも電灯を五回点灯させてくれと言った。灯籠でも行灯あんどんでも、蝋燭ですらなく、電灯をです」


 オレは目を逸らさず、古籠火は目を逸らし続けている。


「あなた自身も気づいてたんでしょう。もう灯籠すら電気で光を灯す時代に、あなたの腹に滾っているのは、電気だと」


 ぎりと、奥歯を軋ませるような音がした。


 勢いよくオレを見返った古籠火の目は、忌々しげに歪みながら、ずいぶんと潤んでいた。


「そのようなことが許せましょうや!! 私は古籠火、火を入れられることもなくなった灯籠に、火を灯す者です! 火を!! 灯すのです!! それが何故、おめおめと電気など吐き出せましょう! そのような、我が身を否定するようなことを……!!」


 そして、さめざめと泣きはじめる。まるで拠り所をなくした子どもか老人だ。

 ……まぁ、自分の存在意義を自分自身で否定するような事態だ。気持ちが分かるわけではないが、想像はできる。きっと初めて電気を吐いたときは、パニックになっただろう。

 しかもほかの妖怪に話せば、どんな反応をされるかも分からない。それで電気を押し隠し、無理に炎を吐こうとした結果──体内を走る電気は、石の針になって出てきてしまった。

 針の形なのは、電気がトゲトゲしているからだろうっていうのが、銀花さんの推理だった。

 その理屈はよく分からないけど、妖怪の理屈なんて考えたところで仕方がない。出てるものは出てる。そういうもんだ。


 肩を震わせて泣き続けている古籠火を小上りに誘導して腰を下ろさせると、妖心地ひとごこちついたのか鼻をすすり上げた。


「……もちろん私は最初、ガス燈も電灯もなにくそと思っておりました。なんと言っても、奴らの台頭によって灯籠は放置される一方。古くさい、陰気くさいと言われる時代さえございましたので、まぁ腹の立つことと言ったらございません。……しかし、人間というのは贅沢で、残酷な生き物です。あれほど長く持つ電灯ですら、放り出してしまう人間のなんと多いことか」


 古籠火の語り口は穏やかだった。

 肩を落とし、銀花さんが淹れてくれた湯呑みを手にして、水滴が落ちるような静けさで話し出す。

 その声色は人間を恐れているようでもあり、哀れんでいるようにも聞こえた。


「一方で──灯籠が洒落しゃれておると言い出す者が出てきたのですなぁ。中に火立てこそ入れませんが、煌々こうこうと電灯をつけるわけです。……喜びましょうや。灯籠の本願は周囲を照らすことにござる。灯るのが電気であろうと、火であろうと構わぬのです。それはそれで、私の役割が終わった、そう思うのですが」


 はぁ、と切なげな息が漏れる。


「今度は山中や、村と呼ばれた荒れ地にて、打ち捨てられた家々にぶら下がっておる電灯どもが哀れでならぬ。いやいや私は火を吐く妖怪、此奴こやつらの無念など晴らせるものでもないと思いはすれど、目にしてしまえば腹の底になにかが滾るのです。ははぁこれは己の腹が勘違いしておるわと、火など吹きかければ此奴らは一時に燃え上がってしまうと思い吐き出せば──」

「ばちんと電気が走って、電灯がついたんですね」

「左様にございます」


 ほとんど、銀花さんが予想していたとおりだった。

 別に古籠火は電灯が嫌いなわけじゃなく、むしろ自分に無念を預けてくる存在として気になって仕方がないわけだ。でもそれを許容してしまうと、火を吐く妖怪という自我が揺らいでしまう。

 だからあえて、嫌っているような言動で自己暗示をかけた。

 自分は家電の無念など拾ってはいない、腹の底に滾るものなどなにもない。石の針はなんらかの病だと。


「これに、薬を出していただこうなどと思ったのが間違いだったのでしょうか。己の思いをあざむき、河童殿のお手を煩わせるべきではなかったのやもしれません。なんとも妖騒ひとさわがせなことをしでかし、申し開きようも──」

「いえ、薬は必要だったんですよ。だからあなたは今、こうして胸の内を話せてるんですから」

「……なんと?」

「騙すような形になってしまいましたが、もうあなたは薬を飲んでるんです。さっき銀花さんが出してくれた、お茶があったでしょう?」


 あれは警戒心を緩め、不安をほぐし、素直さを引き出す薬効があるらしい。

 つまり古籠火に必要だったのは、自分の気持ちを素直に認め、受け入れることだった。

 左様でございましたかとお茶を見つめる大きな目は、それでもなお悲しそうに見える。


「しかし──では私はこれより、どう振る舞えばよいのでしょうなぁ。火を吐けぬと分かってしまえば、もはや古籠火とは……」

「そげんこと、気にする必要はなかろうもん」


 飛び込んできたのは、トラさんの声だった。

 にこやかな銀花さんの隣で、腕を組んで目を吊り上げているトラさんが目に入る。

 たぶんこの妖怪ひと、ウジウジしてる相手は苦手なんだろうな。


「しかし、河童殿」

「さっきお前も言いよったが、灯籠にも電灯が入れられとぉ時代や。どうせまた使ぅてもらえな嘆く灯籠ん一つや二つ、すぐに出てくるに決まっとぉ。むしろ火ぃば吐けたところで使い物にならんやろう。気にするこたぁなかばい」


 バッサリ言った。

 いやまぁ正論なのかもしれないけど、古籠火のこの雰囲気からいくと、正論でねじ伏せるのはあんまり良くないんじゃないだろうか。

 ……あー、やっぱり。もの凄くヘコんでる。古籠火の唇が少し震えながら、噛み締められてるのが見えた。

 トラさん、他妖ひとの気持ちに寄り添うのは下手なタイプなんだろうなぁ。もしかしたらこういうところも一因で、途中で薬をもらうのやめたお客もいたりするんじゃないだろうか。


 ほんの少し同情心が頭をもたげたところで、ゴワついた毛むくじゃらの背中にフワフワの手が添えられた。


「あのねぇ。ウチ、人間の言葉って面白いなぁと思うん」


 突然始まった、まったく関係のなさそうな話に、古籠火の顔が怪訝に上がる。


「火ぃは『つける』って言うやろ? でも、電気も『つける』って言うん。例えば誰かに門灯を明るぅしてってお願いするんやったら、火ぃでも電気でも両方『門灯つけといて』になるんよ。電気と火ぃの共通点やと思うんね」


 ……確かに、わざわざ言い換えたりしないかもしれない。

 今例えられたのは門灯だけど、きっと灯籠だって同じだろう。


「ほんでね、最近お台所も電気にしたはるお家、よぉさんあるやろ。せやけど、お鍋温めたり焼いとるときにその場離れるとしたら、みぃんな同じように言わはるんよ。『今火ぃつけとるからお鍋見といて』って。電気でも、火ぃなんやなぁ」


 慈愛の目が古籠火を見る。体は銀花さんのほうがずっと小さいのに、金色まじりの目は明らかに、母性に満ちていた。

 一見すると毛むくじゃらのおっさんにしか見えない古籠火の目に、不意に希望がさした気がする。


「古籠火さんが一番活躍したはったとき、なんて言われとったん? 使われとらん灯籠に、火ぃが入っとったって言われとったんやろか。それとも」

「灯籠がついておると、言われておりました」


 こぼれ落ちた声色だった。

 口を開いたとたんに、ポロッと出てしまった言葉。意図せず転がり落ちたようなその音に、銀花さんはいっそう華やかな笑顔を見せた。


「そしたら、今も昔も一緒やわ。古籠火さんの特徴は、使われとらんはずの明かりに、勝手に明かりをつけること。電灯でも灯籠でもそこは変わらへんし、火ぃでも電気でも関係ないんよ。それさえ合っとったら、古籠火さんは古籠火さんなんやから」


 ──この言葉を最後に。

 古籠火は、深々としたお辞儀と共にきゅうりマタタビ堂をあとにした。

 トラさんが用意した不安を和らげる薬を持って、何度も何度も振り返りながら妖怪細道に消えていく背中を見送る。

 ようやくそれが妖怪ごみの向こうに見えなくなると


「ぶはぁあああああ……」


 気が抜けたオレは、情けない声と一緒にその場に座りこんだ。


「よっしゅきさん、お疲れさんどしたなぁ」

「疲れもしますよー! めちゃくちゃ緊張したんですからねマジで!!」

「なんば言いよぉ。サマになっとったやないか」

「それについてはありがとうございます!」


 膝を抱えて蹲るオレの両隣から、ご夫婦の慰めが降ってくる。よくやった、頑張った、上手だったと褒められ続ければ、極度の緊張が過ぎてなんとなくふて腐れ気分だったオレも、だんだんと機嫌が上がっていくのを感じる。

 チラッと視線を上げると、慈愛の笑みを湛えた銀花さんが目の前に迫っていた。


「ぎ……ッ!」

「ホンマ、よぉがんばらはりました」


 額にコツンと、フワフワの物がぶつかる。

 デコに。銀花さんの。おでこ。


 銀花さんに頭突きしてもらうのは二回目だが、前回の社交辞令的な感じじゃない。猫好きの本能的なアレで分かる。

 これは。


 愛情表現とかマーキングとか、なんかそういう身内に対するアレだ!!


 何度かコツンコツンと頭突きをされた幸せを言葉にできず、餌をねだる鯉の有様で呆けてしまう。

 面白いものを見るようにくふくふと笑ったサバ白にゃんこに正気を取り戻し、それでも動揺は変わらず言葉がどもった。


「ぎ、銀、銀花さん……!! あの、オレにごっつんことかしていいんですか! うっかりするとメロメロになっちゃいますけど!?」

「あにゃ? まだメロメロになってくれたらへんかった?」

「嘘です初対面からメロメロでした!!」

「んふふ、せやろぉ」


 こんな可愛い銀花さんを前に、メロメロにならない人間がいるか!!

 もうなんか、気を抜いたら凄い勢いで水をかけてきそうなトラさんの気配を感じながら、それでもテンションの上昇が止まらない。

 銀花さんに褒められたら、分不相応な役を回された緊張感や、バイト先のスーパーで遭遇したクソ親様、クソじじい様のことも全部水に流せてしまう。令和の世ではこういうのを、オギャるとか言うらしい。

 赤ん坊に由来した言葉だと言うから、わりと気持ち悪い人間を表現した言葉だとは思うが──オレの心はもう決まっていた。


 猫にオギャる平安貴族がいたっていいだろ。令和なんだから。


「銀花さん、オレの母上に」

「ほんでなぁ、よっしゅきさん」


 言いかけた言葉が、銀花さんの言葉と重なって相殺されてしまった。

 低い声より高い声のほうが通りがいい。当たり前だが、銀花さんにオレの言葉は聞こえていなかった。

 もう一度言わせてくれようとしたけど……さしものオレにも、勢いで口をつきかけた言葉を言い直す度胸はない。

 くだらないことなので気にしないでと進言すると、銀花さんはしばらく不思議そうに首を傾げたあと、気を取り直した様子で肉球を合わせた。

 可愛い。


「ほんでな、よっしゅきさんにご相談なんやけど」


 金まじりの丸い目が、きゅるんと潤んでオレを見上げる。

 その次の瞬間、俺が聞いたのは予想もしていなかった言葉だった。


「よっしゅきさん、うち専属の陰陽師さんにならん?」

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