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第7話

「……専属の、陰陽師?」


 ポカンとしてしまったのが正直なところだ。

 復唱したオレの言葉に、銀花ぎんかさんはコックリと頷く。


「うちは薬屋やけど……妖怪にお医者さんはおらへんのよ。せやからお客さんの言わはる症状を聞いて、薬をお渡しするしかないんやけど──さっきの古籠火さんみたいに原因を隠さはる妖怪ひととか、前の加牟波理入道さんみたいに、別の症状が原因になっとるって気づいてはらへん妖怪ひともいはるん」

「ああ、それは分かります」


 平安の時代にも、典薬寮てんやくりょうと呼ばれる部署に所属していた医者は一応存在していたけど──ほとんどは当事者からの聴き取りでいろいろ処置する役職だった。

 陰陽寮で作ったまじないの紙ごと漢方を飲ませたり、はりを打ったり灸を据えたり、果てはできものやコブにヒルを吸いつかせるなんてこともしていた。

 当然、令和の世の医療とは比べられるものじゃない。効果がないわけじゃないが、今思えばごく軽い病気で命を落とす者だって相当存在した。


 陰陽師が卜占して体調不良の原因を突き止めたりしてたんだから、まぁ、そういうことだ。


「初めてよっしゅきさんをうちにお招きした日ぃ、トラさんが言うてはったん。陰陽師て、占いで病気の原因見つけるお仕事もしてはったんやろ?」

「あー……そうですね。オレはまだその仕事、したことはなかったんですけど」

「お勉強はしたはった?」

「それはもちろん! うちは父が……」


 じいさんが天文道を晴明様に譲ったことにブチ切れて、絶対取り返すって全方面スパルタ教育されたんで。

 ──とは、言えない。


「……うちの父が熱心だったんでぇ……」

「なんや、急に目が濁ろうもん」

「濁ってないでぇす」


 うちの家の生々しい話なんて聞きたいモンじゃないだろうし、オレも話して楽しいことじゃない。

 そんな内心を汲んでくれたのか、トラさんはじっとりとオレを見たあと、思い直したように目を逸らしてくれた。

 トラさんとしては、本来こういう話は興味深いんだろう。だけどオレが乗り気じゃないことを察して、探るような真似はしてこない。やっぱりこの妖怪ひと、いい妖怪ひとだな。


 ぴる、と銀花さんの耳が動く。


「うちはお客さんが隠しごとしたはることとか、勘違いしたはることを見つけるんが得意でなぁ。こういう目聡さみたいなんを買われて、トラさんのお嫁に来たん。せやけどお客さん、みぃんな妖怪やろ? 長生きしたはる分、うちみたいな女子おなごはお店の飾りやぁ思わはるんか『詳しいことはトラさんに話す』言うて、うちにはなかなか話してくれはらへんの」


 ぺこりと、銀花さんの耳が垂れる。

 今さらだけど、大きいとは言えないお耳だ。どちらかと言えば小さめだと思う。

 それがぺたんと横向けに垂れると、まぁ可愛い。しょぼくれたお顔と総合してかわいそうで可愛い総合芸術。イヤなことを思い出しているからか、下顎がほんの少し前に出てるのもめちゃくちゃ可愛い。可愛いしか表現できない己の語彙のなさが悔しいほどに可愛い。


 が、遅まきながら銀花さんが侮辱されているような言葉が脳に到達し、ふつりと血管が動いた気がした。


「客が銀花さんをお飾り扱い……? トラさん、それ放置してるんですか?」


 銀花さんは物凄く可愛いから、そういう意味ではよく分かる。が、内面を一切評価しないってのは意味が分からない。

 こんなに視野が広くて、いろんな可能性を考えられて、少しの違和感にも気がつく銀花さんをないがしろにする客がいるなら、説教の一つもかましたい気持ちだった。

 もちろん、それを黙認しているというのなら、トラさんにも。


 けれどトラさんはむっすりと腕を組んで、強く鼻息を吐く。


「しとぉわけがあるか。そんたびに銀に話せぇて言いよぉったい。なんに、聞く耳ば持たん」

「なんでですか。トラさんがもっとしっかり言えば──」

「むずかしか話は女子おなごには分からんて、思い込んどぉごたぁ」


 ……なるほど、と思ってしまった自分が嫌になる。


 要は、女は男に劣っているという考えだ。考え方も、性質も、成り立ちも、女は劣っていてけがれているから、むずかしい話をしても理解できないと思われている。


 だけど実際にはそんなことはないのだと、オレはこの三年で嫌と言うほど突きつけられた。

 男が優秀とか女が優秀とかじゃなく、オレより物覚えがよくて優秀な人間は、男女関係なくたくさんいるってことをだ。


 そしてそこには、銀花さんも入っている。


「そういうことなら、専属陰陽師の件は引き受けるのも構いません。でも──オレがいることで、銀花さんはやっぱりお飾りでしたってことには、なりませんか?」


 じっと銀花さんを見る。


 銀花さんは優しいし可愛いし、頭がいい。なんてことない会話も覚えていて、引っかかりを見つけると自分の記憶を探って違和感を突き止めるような妖怪だ。そんな妖怪が、見た目の可愛さ、華やかさだけを評価されるなんてのは、なんだかすごく嫌だった。


「オレに求められてるのは、陰陽師だから妖怪に詳しいぞっていう設定と、お客さんたちへの問診役、ですよね。聞き取ったことをオレが銀花さんに伝えて、銀花さんが見つけた答えを、オレがお客さんに伝える。……やっぱりそれは、オレが銀花さんの手柄をかすめ取ってるみたいで」


 バツが悪くて、最後はボソボソと言ってしまった。

 優秀な人も優秀な妖怪も、正しく評価されてほしいと思う。血筋とか性別とか関係なく、仕事に見合った評価を受けるべきだ。

 平安の世でも、令和の世でも、わりを食っている人はたくさん見てきた。

 銀花さんにはそうなってほしくない。


 銀花さんはしばらく、無言でオレを見つめていた。

 ペタペタと歩き寄って、不思議そうに見上げている。金まじりの緑の目。電灯の下にいても、夜の暗さでいつでもまん丸大きな目が、オレの内心を見ていた。



 太ももに、ポフンと肉球が触れる。


「そんなお顔せぇへんのんえ」


 困った顔で、銀花さんが膝に乗った。

 柔らかくて暖かい。それだけでなんだか泣きそうだ。


「よっしゅきさん、よぉさん嫌なもん見てきはったんやなぁ。ウチの気持ちや立場、それにご近所さんからの評価とか──いろんなこと考えてくれてはる。客商売やっとる側にとって、こんなありがたいことないえ。……せやけど、そない背負わはることないのんよ。ウチかて、ちゃあんと理由があってお願いしとるんやし」

「理由、ですか」

「ほうえ」


 オレの頬を撫でながら、くふんと笑う。


「ウチのことお飾りや思てはる妖怪ひとはな、みぃんな頭が堅いんよ。女子おなごにも頭はついとるんやってことを、うまいこと飲み込めはらへん。そんなお妖怪ひとらに、こんな可愛いにゃんこが頭までええってバレたら、どうなる思う?」

「どうなるか……。……えっと」

「腰抜かさはるやろ、きっと」

「ぶはっ」


 自慢げに胸を張った銀花さんの言葉に、思わず噴き出した。


「間違いないですね」

「せやろぉ」


 敵わないなぁというのが、正直な感想だった。

 これが銀花さんの本音であれ虚勢であれ、こんな切り返し方は、オレにはできない。


「でも、お客さん達の腰が抜けた方が、お店は繁盛するんじゃないですか?」

「そうなんよ。せやさかい、お客さんがあんまり来はらへんようになったらバラして、湿布薬の売り上げ伸ばそぉ思て」

「バカ言うんやなか。銀にそげん苦労かけさせるわけなかろう」


 トラさんがいると、冗談が冗談じゃなくなってしまう。というかトラさんのこの溺愛ぶりは、本当にわざとじゃないのか。独り身のオレに対する嫌がらせとかじゃないのか。

 だとすると本当にタチが悪いんだが。


 銀花さんまで嬉しそうに、あにゃあにゃなんて言いながらほっぺたを押さえている!! 可愛い!!


「オレ、トラさん個人はとても好きなんですけど、銀花さんへの溺愛をだだ漏れにしてるトラさんはわりと嫌いかもしれません」

「なんや急に。いつオレがそげなモンばだだ漏れにしたって言うったい」

「そういうとこー! そういう無自覚なところですー!!」


 ひとしきりトラさんと口論して銀花さんを笑わせ、やがて静かに息を吐く。

 改めて膝に乗ったままいてくれた銀花さんに向き合うと、ふんわりとした毛に埋もれた大きな目も、ゆったりと緩んでオレを見返してくれた。


「オレでいいなら、専属陰陽師、やらせてもらいます」

「よろしゅうおたの申し上げます」


 静かに頭を下げるとその額に、銀花さんがおでこをこすりつけてくれる。

 さっきもしてくれた、身内に対する挨拶の頭突きだ。幸せの温かさがじんわりと、額から染み込んでくる。

 自分の素性すらろくに話せず、たまに時代に沿わないことを言っては怪訝な目で見られていたオレが、初めて素で話せた相手。この時代に来て初めての、身内だ。

 安アパート以外に帰れる場所ができたようで、胸の奥に灯が点ったような気分だった。


「オレのことが必要になったら、連絡とかもらえますか?」

「そやな。お手紙出すか、ウチがお邪魔させてもらうか、どっちかにしよか。あとで住んだはるところ、教えてくれはる?」

「わかりました。それと……用事がなくても、ここに遊びに来ていいですか?」

「もちろんえ、いつでもおいでやす。お仕事手伝ってくれはったら、ちゃんとお給金も出すよって」

「え、給料もらえるんですか!?」

「当たり前やないの。こう見えてもウチ、それくらいの甲斐性はあるのんえ」


 むんと袖をまくって見せてくれた銀花さんの前足は、やっぱり細くてフワフワだった。甲斐性があるかどうかは分からないが、とりあえず腕まくりしてくれただけでなんらかのお礼金を渡したい気分にはなったから、きっとそういう人間が他にもいるのかもしれない。

 ……いや、その稼ぎ方はよくない気がする。よくない気がします銀花さん。


「銀花さん、お金くれるからっていい人とは限りませんからね!? 体は大事にしてくださいね!?」

「うんうん、分かってるえ」


 オレの考えをどこまで理解してくれたのかは分からないが、とりあえず了承してくれた。


 ──かくして、オレはきゅうりマタタビ堂専属の陰陽師として、ダブルワークを始めることとなったのですが。


「あぁそうや! ごめん、よっしゅきさん」

「え、はい!?」


 ぽふんと肉球を合わせて申し訳なさそうに目をつむった銀花さんの様子に、思わず声がひっくり返る。


 専属陰陽師を了承したとたんに謝られた!? なんで!?

 やっぱりオレの手を借りるのはやめとくってこと!? そういうことか!?


 勝手にどんどん被害妄想に突き進んでいく思考を、銀花さんの上目遣いで止められる。

 可愛さの前には被害妄想も白紙に戻る好例だった。


「ウチ、実家が過保護でなぁ。結婚してからも、殿方のお友だちができるようなら一回連れてきてからやって言われとるん。……近いうちに、時間作ってもらえへんやろか」

「あ、あぁ、そういうことですか……!」


 よかった、お払い箱だって言われなくて本当によかった。

 しかし結婚後も異性の友人関係を気にする実家って、本当に過保護だな……。トラさん、結婚するのにかなり苦労したんじゃないだろうか。


 ちらりとトラさんを見ると、ほんの少し、疲れた目をしている。


「家族はよかばってん、銀ん客が厄介なんや。……まぁ一度行ってこい」

「銀花さんの客!? なんですか、銀花さんのご実家って、接客業かなにかしてるんですか……?」

「あぁ、せやなぁ。接客業のド真ん中やわ」


 接客業なら、銀花さん目当てにお店に通ってたお客の一人や二人いたのかもしれない。そう考えると、確かにそう言うお客のほうが厄介そうだ。

 というか化け猫の銀花さんのご家族って、全員化け猫なんだろうか。そこも気になる。


「分かりました。ちょうど明後日はバイト休みなんで、その日でいいですか? 泊まりで行くような場所だったりすると、追加の休みを申請しなきゃなんですけど」

「あぁ、それは大丈夫え。日帰りできる場所やよって」

「ちなみにどちらに?」


 疑問に、銀花さんの口元がにんまりと弧を描く。


「祇園いうところなん。よっしゅきさん、きっとウチの妹らによぉモテはるわ」

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