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第8話

 銀花さんのご実家訪問を約束した日から、二日後。


「ぶえぇえええ……」


 オレは令和の世にきてから初めて、祇園社ぎおんしゃ──八坂神社の前に立っていた。

 平安の世からほとんど変わらない佇まいに、思わず変な声が漏れる。オレが元の時代で祇園社をもうでたのは、近いうちに帝がここを国家鎮護のやしろに定めるらしいという話を聞いたときだ。体感としては昨年の夏、だが……当然、それももう千年以上昔に過ぎ去っている。


 大量の人々が門に吸い込まれていき、さらに門の奥にはなにやら出店も見える。きっと奥に行けばもっと大量の人が歩いているんだろうと想像して、なんだか目眩がした。


「なんでこんな場所に、内裏だいりと同じくらいの人間が出入りしてんだよ……」

「そらもぉ、観光地になってもぉてるからねぇ。しゃあないんよ」


 ケラケラと笑った銀花さんは、今はオレの肩の上で、くるりと巻きつくように落ち着いている。

 幸せの重みだ、まったく不快感を覚えない。なんなら見知らぬ観光客相手に、銀花さんの可愛さを自慢して回りたい気分ですらある。


 が、当然そんなわけにはいかない。


「それにしても、銀花さんが持ってるその石すごいですね。本当にみんな、銀花さんのことが見えてないみたいだ」

「みたいやなくて、見えてへんのんよ。ウチは普通のにゃんこが化けた化け猫やさかい、ホンマは誰にでも見えてまうんやけどね。これつけとると、よっぽどそういうのん見えるお人やなかったら、声も聞こえへんようにしてくれるん」


 くふふと笑った銀花さんの右手首には、小さな石のついた組紐が巻きつけられている。

 玉石の一種ではあるんだろうけど、この時代にあるような、いわゆる宝石とはほど遠い無骨な石だ。とてもそんな力を持っているようには見えない。


「よっしゅきさんと初めて会うた日ぃもつけてたんやけど、よっしゅきさん、声も聞こえてウチの姿も見えはるからビックリしたんよ」

「あの日もつけてたんですか?」

「そうえ。細道から出るときは、いっつもつけるようにしとるん。……あ、ここの道曲がってくれはる?」


 観光客でごった返す道を少しでも避けるためか、細くて急な下り坂に入る。

 いかにも地元民しか通らなさそうな坂を下り終わると、急に整った風景が目に飛び込んだ。

 令和に見慣れた街並みでも、平安の頃に見た景色でもない。けれどオレがすり抜けてきた千年の間に培われた歴史がはっきりと感じられる、なんとも見栄えのする風景だった。


花見小路はなみこうじは混んどるけど、やっぱり御陵前みささぎまえは空いとるねぇ。みんな派手なところ見たがらはるから、こっちは静かなもんやわ」


 ひょいと、銀花さんが飛び降りる。

 さっきまでの大通りと違い、ここなら地面を歩いても危険はないと判断したんだろう。事実ほとんど人もおらず、銀花さんが歩いていても蹴られる心配はなさそうだ。

 フワフワの足が歩き慣れた様子で石畳を往く。

 やがて大量の人間が行き交う道が正面に見えると、銀花さんはその直前、より細い路地に手招いた。

 そこからいくらも歩かないうちに、赤い提灯の下がった家に着く。


 ……たぶんここが、銀花さんの実家なんだろう。見るからに手入れの行き届いた、おもむきのある佇まいをしていた。

 いそいそと手首の組紐を外した銀花さんは、それを帯の中に押し込んで勢いよく飛び上がる。猫パンチの要領でインターフォンを叩くと、軽快な音が響いて──出迎えを待たず、引き戸を開けた。


「お母はん、ただいまぁー!」


 大きな声で挨拶すると、バタバタと奥くから足音が響く。

 ……一人じゃないな。慌てたような声がいくつもする。……え、なんか多いな!?

 戸惑うオレなどお構いなしに、やがて玄関に向かって、数人の女の子が走り込んできた。


「銀花ちゃんお姉さん、お帰りぃー!!」


 絶叫じみた声だ。

 たぶん個々の声量はそんなに大きくないんだろうけど、何人もが一斉に同じセリフを叫んだもんだから、圧がすごい。

 奥から駆け出してきた子達はみんな着物を着て、髪を結い上げていた。


 ……あ。

 これもしかして、舞妓とかいう子達かな。


 大音声は耳を垂れさせてやり過ごしたらしい銀花さんが、困った顔で顔を上げた。


「アンタらなぁ、二か月前に会うたとこやないの。あんまりおっきぃ声出したら、姉さんのお耳潰れてまうえ」

「そんなん嫌やー」


 銀花さん、どうやらここでもモテモテだ。優しく叱られるのも嬉しいって感じで、慕われてるのが透けて見える。キャアキャアと騒ぎながら銀花さんを四方八方から撫でる姿は……どっちかというと、近所の猫を可愛がってるようにしか見えないけど。

 かしましいとはこのことだろう。女の子達が集まると元気がよすぎるのは、いつの世も同じらしい。

 その後ろから今度は、髪の白い女性が静かに歩いてくる。オレをまっすぐ見て穏やかに会釈してくれたあと、深く息を吸うのが見えた。

 直後。


「これ! お客さんいはるんに、なにしとんのや! 姉さんとはあとで話せるよって、お部屋帰っとりぃ!!」


 雷のような一喝だった。

 とたん、銀花さんを取り巻いていた女の子達は数センチ飛び上がり、慌ててまた奥へと走っていく。たぶん、階段を駆け上がってる音がした。


「えろぉすんまへん、普段はみぃんなええ子なんどすけど、銀花が帰ってくるといっつも他のもんが目ぇに入らんくなってもぉて……。恥ずかしいところをお目にかけてしもて、堪忍しとぉくれやす」


 するりと音もなく玄関口に腰を下ろし、穏やかに頭を下げる。


「この置屋兼お茶屋の女将で、銀花の飼い主やった銀杏ぎんなんいいます。この子からお話しは聞いとりますよって、どうぞお上がりやす」

「あ、はい。お邪魔します」


 靴を脱ぐ間に、オレの横を爆音のエンジン音を鳴らした灰色の影がすり抜けた。


「お母はん! お母はんただいまぁ! あんねぇ、今日ここ来る時ねぇ!」

「はいはい分かった、銀ちゃん分かったから。ええ子やからちょお待ちな」


 とてつもない音量で喉を鳴らして足元に纏わり付く銀花さんを、女将さんが抱き上げる。その間も銀花さんはずっと女将さんに擦り寄り続け、女将さんもまた、可愛くて仕方がない顔で銀花さんを撫でていた。

 それは奥のお座敷に行ってからも同じだ。グールグールと喉を鳴らしまくり、女将さんの膝の上に寝っ転がって、銀花さんは満面の笑みを浮かべている。たまにお母はんと呼びかけては女将さんの気を惹いて、目が合うとまたふにゃりと笑う。

 まるきり子猫の顔だ。


「可愛すぎやしませんか、銀花さん……」

「この子、甘えたさんでねぇ。お嫁に出した子ぉやのに、未だにうちに帰ってくるとこれなん。わろてやって」


 そう言いつつ、女将さんも嬉しそうだった。

 飼い主と言ってたから、女将さんは人間なんだろう。少なくとも化け猫には見えない。

 そんな彼女が、すぅと空気を変えた。


「ところで──あてらは妖怪の世界に行けんよって、銀花とは電話で連絡しとるんやけどな。せんだってから、あんさんのことも伺っとります。平安京からタイムスリップしはった陰陽師はんやぁ言うとったんやけど……間違いおへんか?」


 まっすぐにオレを見る目が、銀花さんに似ている。

 むしろ、銀花さんがこの人に似たんだろう。そういう意味で正しく、この人は銀花さんの母親なのかもしれない。


「信じてくれるんですか?」

「嘘やないんやったら、信じます」


 ねつけるように言われたわけでもないのに、妙に背筋が伸びる返答だった。自分が何者かくらい、自分で責任を持てと言われているような気分だ。

 それでも不思議と、キツい口調には思えない。


「うちはいろんなお客さんがおいやすし、銀花が化け猫になりましたやろ? あまつさえ河童さんにお嫁入りや。タイムスリップごとき、へぇそうどすかぁてな話ですわ」

「さすがにそれは順応性がありすぎませんか」

「世の中いろんなことがあるんやし、生きとる間に一個や二個、そんな話があっても不思議やおへん」


 きっぱり言い切った。

 こんな女将さんだから、銀花さんが妖怪になった今でも受け入れられてるんだろうか。平安の頃でも、ここまで肝が太い女性はそう多くはいない。

 銀花さんがそれを、膝の上からキラキラとした目で見上げているのが見えた。


「ただ……銀花は子猫の頃にひろて来た、可愛い可愛い娘やよって。もしおかしな嘘でたぶらかすようなお人なら、蹴り出したろと思てねぇ」


 皺の刻まれた手が、銀花さんを撫でる。

 心底愛しむ目だ。娘の幸せを一番に考える、母親の目だと思った。

 背筋を伸ばしたまま、卓上に額がつくほど頭を下げる。


「賀茂光栄が二子、義行と申します。縁あって銀花さんと親しくさせていただいており、このたびお仕事のお手伝いをさせていただく運びとなりました。ご夫君ふくんの河虎さんにもお許しをいただいており、決して銀花さんに危害は──」

「ああ、それについてはもう心配してへんよって、大丈夫え。あんさん、嘘つける子ぉやないやろ?」

「え。……あ、そうですか?」


 ……結構、結構気合い入れたご挨拶だったんだけどな。笑い飛ばされてしまった。

 嘘がつけない人間という評価をいただいたのはありがたいんだが、なんというか、肩すかし感が否めない。

 なんとなくしょぼくれてしまったオレを、女将さんはにんまりと笑って見ていた。

 ──ああ。こういう顔、ちょっと銀花さんと似ている。


「そんなしょんぼりしはらへんでも、本番はこれからやから。あてなんぞで緊張したはったら、肝も心臓も、いくつあっても足らんえ」

「え、女将さんが本番じゃないんですか!?」

「ややわぁ、よっしゅきさん。トラさん言うたはったやろ? お客さんがいはるぅて」


 くふんと、銀花さんが顔を上げた。正直、今日はもう甘えるのに徹して、おしゃべりしてくれないのかと思ってたが、甘えん坊モードは充分堪能したらしい。

 そういえば、そんなことを言われた気がする。客のほうが厄介だとかなんとか。


「でも……オレの認識が間違ってたら申し訳ないんですけど、芸妓とか舞妓とかいう女の子達がお客さんを相手にするのって、夕方からじゃないんですか?」

「ほうえ。普通のお客さんやったら予約入れてくれはるし、その時間にお相手するだけでええよって、ウチらも楽なんやけど……」

「なにか、問題が?」


 疑問に、女将さんと銀花さんが顔を見合わせる。

 そのとき、玄関のほうで物音がした。


「あれ。誰か女の子、降りてきました?」

「ううん。たぶん、おいやしたんやわ」


 未だ女将さんの膝上に転がっていた銀花さんが、ひょっこりと立ち上がる。乱れた着物をするすると整えて、銀花さんは初めて出会った時のような表情を見せた。

 そのまま、慣れた足取りで奥に進んでいく。


 ……来た? お客が?

 それにしてはインターフォンも鳴らなかったし、挨拶とかもなかったけど……。


 女将さんは口元に人差し指を立て、沈黙を指示してくる。そのまま一緒に銀花さんの後ろをついていくと、銀花さんは玄関横にある引き戸の前で耳を立て、こちらにウインクをしてくれた。

 うん、安定の可愛さ。

 そのままそっと引き戸に肉球をかけ、勢いよく開く。


「これ! ぬらさん!!」

「うひゃあ!!」


 銀花さんの怒声に、侵入者が飛び上がる。

 しわがれた男の声だ。それにハゲ頭が見えた。


「んもぉ、また勝手にお酒飲もうとしたはったやろ! お座敷上がらはるんやったら、ちゃんとお花代はなだいはろてもらわな、お母はん困らはるんえ!」


 ぷりぷりと怒っている銀花さんの後ろから、中を覗く。どうも台所らしい。


「分かっとる、分かっとるよ銀花ちゃん、そう怒らんでおくれ。銀花ちゃんが帰ってくると聞いて、健気に駆けつけただけじゃないかね」

「健気に駆けつけた御贔屓ごひいきさんは、勝手にお酒飲んだりしはらへんの!」


 猫なで声で寄ってきた犯人に、銀花さんはプイとそっぽを向く。その態度にすらメロメロになってるらしい人影は、すまんすまんと言いながら銀花さんに手を伸ばしていた。


 ……というか、その、犯人。銀花さんの客というその男の輪郭が、どうにもおかしい。

 着物を着ているのは分かるが、その頭が──妙に長く、後ろに伸びていた。


 銀花さんの機嫌を取っていた男の目が、ちらりとオレを見る。途端、にらみつけるように顔をしかめたそのヒトは、不愉快そうに腕を組んでこちらに進んできた。


「お前さんか。新たに銀花ちゃんに群がってきた男ってぇのは」


 照明のついていない台所から、ゆっくりとその異様な姿が現れる。

 気難しそうな頭の長い爺さんの姿に、オレはこの三年間で読んだ妖怪漫画のキャラクターを思い出していた。


「……もしかして、ぬらりひょん?」


 呟きに、フンと鼻息が返ってくる。──否定じゃない。つまり、肯定だ。


「う、嘘だぁ……」


 まさか妖怪の総大将が銀花さんの客だとは思ってもいなかった。

 つまりオレは……これからそんなのを相手に話をしなきゃならないのか?

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