目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

エピローグ:ヒーローの解

Chapter/Epilogue:ヒーローの解 -ヒイロノカイ-

穏やかな海風が、診療所の窓から吹き抜ける。水無月に入ったというのにも関わらず空はからりと晴れており、梅雨の訪れを感じさせない陽気が降り注いでいた。ぱたぱたと、階上のベランダで干した衣服がはためく音がする。窓の外のグリーンカーテンは小さく揺れ、木の床に落ちた光の粒がステップを踏みながら踊っていた。

待合室のソファに深く腰掛けて長い脚を組み、新聞を広げたれいが眉を顰める。


「……天璇てんせん大学附属病院、医療魔法応用研究室の破産。記事のトップになっている。このような事で国に名を轟かせたくは無かったのだが」

「院長先生と櫻田さくらだ教授、それに仙田せんだ教授や本郷ほんごう教授、いぬい教授まで捕まっちゃったんだって。魔法医療監理委員会も運営中止になっちゃって……地方テレビでもずっとこの話題だよ」


隣で珈琲を啜りながら、伊織いおりがそう苦笑いする。それを一瞥し、怜もまたカップに手を付ける。漆黒の液面が上下して、狭い待合室に香ばしい匂いが広がった。


……か。政府に嗅ぎ付けられたとなればもう終わりだな。全く、職場でそのような事が起きていたなど、未だに信じられん」

「あはは……それを暴いたの、僕達なんだけどね……」


のほほんと談笑する医師二人。此処が病院の待合室であるのにも関わらず、だ。今まで何とか堪えてきたが、そろそろ翠の怒りの限界だった。こ・い・つ・ら・なぁ!


「……なんでこのちっさい診療所に医者が三人も居るんだよ!しかも今、勤務時間でしょーが!何くつろいでんだよ!あと!それ俺のインスタントコーヒー!!」


ばん、と壁を叩いてそう声を荒げる。彼等に向かって真っ直ぐに伸びる人差し指がわなわなと震えている。何人んちで優雅にコーヒータイムかましてるんだよ。患者が居ないからってくつろぐんじゃないよ!!

「わぁ、顔が真っ赤っかぁ」と、ソファに横たわって漫画を読んでいるメディが笑う。コイツ。訂正、コイツら……!

伊織はそれに一切怯まず、にこにこしたままコーヒーカップを持ち上げた。


「ヒスイ先生、ご馳走様です」

「伊織、お前もなぁ……」


ふわふわ優しいようでコイツも結構肝が据わっている。この場に居るのは自分を除いてたった四人だというのに、全員クセが強すぎる。全員が全員、一筋縄ではいかない。はぁ、と盛大な溜息を吐いたひすいを横目で見て、怜が淡々と返した。


「いいだろう、別に。医者は何人居てもいい。特に、このような医療機関の乏しい地域ではな」

「そういう問題じゃねぇよ!……いや、そうなんだけどさぁ!」


いいだろう、別に。……じゃねぇよ。何しれっと悪びれる事なく今の現状を肯定してんだよ。返せよ、俺の平穏な日常────そう思って、ああ、もうそんな日常は訪れないのだとうっすら悟る。これが自分達が見つけた「解」であり、魔法抗体適応にない患者を巡る一連の事件を解決した先にある、新たな「平穏」なのだから。


────天璇大学附属病院。

かつて「中四国の魔法医療の聖地」とまで呼ばれた地域医療最後の砦、その研究部門は、今や跡形もなく消え去った。魔法抗体の運営をしていた魔法医療監理委員会も運営中止となり、再開の目途は立っていない。とりわけ抗体問題を巡る倫理違反は重く、研究に関わった者達は一人残らず魔法執行局に引き渡された。翠自身、彼等はなんだかんだ言って数か月後に戻ってくる予感がしている。魔法抗体という概念の記憶も持たず、そして何より、望んだ犯行ではない過失案件、医療事故であるのだから。いくら魔法執行局とはいえど、裁こうにも裁ききれまい。


誰しもの記憶に残っていないこの事件。問題とさえ認知されずに泡になるのかとメディに聞いた事があった。その時彼女は眉を下げながらのんびりとこう答えた。「魔法省の高官達はぁ、『真実を知り続ける』契約を大悪魔ラプラスと交わしてるんだよぉ。だからボクの〈呑噬どんぜい〉も、魔法執行官には効かなくてぇ」……と。

結果、魔法抗体に関わった人間は魔法執行官により連行され、世間では例の一件を「禁忌魔法を医療に導入できないか研究していた」という認識になるよう細工され、報道された。これも恐らく、魔法省本部が手を回したのであろう。記憶がなく裁けないのであれば、社会的制裁を持って裁きとする。それも、自分達の〝根〟に被害が及ばないようにして────つくづく魔法省も悪魔だよな。悪魔と契約してるだけあって。翠はふと、そう思う。


当然ながら、天璇大学附属病院の信頼は地に落ちた。それでも、中四国の患者の行き場は必要だった。再建に向けた象徴として、病院はひとつの診療所と提携を決める。────そのような経緯で選ばれたのが、瀬戸内の離島にある「たちばな診療所」であった。


高度な治療を望むなら天璇へ。だが、そこに至る最初の窓口として、この診療所が「門」となる。そしてその一環として、一人の外科医……兼、アドバイザーが派遣された。一色怜いっしきれいである。


「なんでうちなんだよ……伊織のとこでいいだろ、尾道おのみちの。近いし。伊織の方が天璇と関わり深いじゃん。働いてんだろ、天璇で」

「あはは……そうなんだけど、うちは内科専門だから……。外科医は必要じゃないっていうかぁ……」

「何それ。はぁ~~、俺の負担が増える増える」

「申し訳ないけど、僕もお世話になるつもりだよ、ヒスイ先生。前にも言ったけど、養護施設に外科医が必要だから……ごめんね?」

「……はぁ……」


怜がその様子を無感情に眺めながら、さらりと口走る。


「病院としては、どこでも良かったのだろう。ただ、信頼できる医師のもとが第一候補になるのは当然だ。三ツ橋みつばし院長も言っていただろう、『有事の時は頼ろう』と」

「俺、信頼されてるって事?非魔法しかやらねぇのに」

「悔しいが、そうなるな。……俺とて、お前の診療所でなければ断るつもりだった」

「え」


不愛想な彼の口から飛び出た言葉の理解が及ばなくて、数秒思考が停止する。……俺の診療所じゃなければ断るつもりだった?つまり、俺が居るから此処に来た?

確かな信頼の音色が紡がれたような気がして、翠は目を見開く。彼は、俺の事を、信じていると。尊敬していると────。


「それに、給料もいい」


前言撤回。金かよ。ハイハイそうですか、結局金が決め手ですか。……コイツはいつもそうだ。余計な一言を最後にくっつけて台無しにする。それ、最後の縫合を敢えて蝶々結びにして傷口開くリスク上げるのと同じ事だからな。少しだけ、むっとする。


「成る程?よ~し、給料さ~げよ」

「ま、待て、待ってくれ櫻田!俺にも生活というものが、」


軽い口調でその部分を拾えばいやに怜が慌てふためいて、それがたまらなくおかしくて。「えぇ~?だって、医者そんなに要らねぇしぃ」とつい揶揄からかった。……あんまり揶揄うのも悪いよな。ちょっと反省。そこで空気を読まないメディが上半身を持ち上げて伸びやかに笑う。


「ねぇおにーさん、お腹空いたぁ。お昼ご飯作ってぇ」

「あ、僕も食べたいな。ヒスイ先生の手料理。上手ってメディちゃんから聞いてるし」

「うん、本当に上手いよぉ。ミシュラン申請してもいいと思うんだぁ」


伊織が便乗して此方を見遣る。彼の横にちょこんと大人しく腰掛けていたサナが目を輝かせながら「サナも!サナも食べたいですぅ!」と声を上げた。声だけでなく、小さな右手もぴんと挙がっている。


「……だそうだぞ、天才。俺の給料を下げるなら、その分昼食を提供するくらいしてみてはどうだ」


怜が肩をすくめながらそう答える。

いや、遠慮ってものを知らねぇのかよ。開き直りやがって────心労・メーターが急上昇していく。違うな、今回はイライラ・メーターだ。間違いない。その間にもわいわいと待合室は賑わっていて、メディが「おにーさんおにーさぁん、お腹空いたぁ」と捲し立てて……。あぁ、限界。堪忍袋の緒がぷつんと切れた。


「~~~~ッ、お前らなぁぁぁぁぁぁ!!」


瀟洒しょうしゃな診療所に、笑い声が響く。波の音がそれに重なり、どこまでも平和な時間が流れていった。これは、彼等が導き出したひとつの答えの物語。世界とは、見方次第でこんなにも平穏な日々を綴っているのだと、彼等は知った。


魔法とは、概念を力にすること。

契約とは、概念とともに生きること。

刻印とは、概念をその身に宿すこと。

そしてその概念とは、人々の主観に依存する、世界の側面である。


海風が、彼等の営みを見守っていた。広がる世界は一面の青で、緋色の記憶を少しずつ、少しずつ溶かしていく。全ての罪を赦し、受け入れ────世界は少しだけ、良い方向へと歩み始めていた。翠の心の中に、あたたかなものが芽生えていた。


これが、俺が何よりも欲しかったものなのだな。

彼の色をした光が窓から柔らかに落ちながら、それを静かに肯定していた。




────シャルラッハロートの診療録 -ヒイロノカイ- Fin.


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?