『石野さん、石野さん』
透き通るような声が俺の鼓膜をくすぐる。
んんー? 誰だ?
『石野さん、目を開けてください』
石野?
俺は石野じゃなくて板野。人違いだな。もう少し寝かせてくれ……。体が酷くだるくて眠い……。
『石野さんっ!』
「痛っ……何? 誰……?」
思いっきり頬を叩かれ、一瞬にして脳が覚醒した。
あれ? そういえば俺……さっき受験勉強の気分転換に外でジョギングを……。
「ここはどこだ……?」
やけに白い光がまぶしい室内。
外、ではないな。
目の前には天使の羽の生えた女性。
ハハハ。なんだ、夢か。
勉強に疲れて寝ちまったんだな。
まあ良い。準備はバッチリだ。明日は大学受験当日。朝早起きして軽く汗を流しに行こう。おやすみなさい。
『あなたは
「……いや、違いますけど?」
見りゃわかるだろう。
18の若者に対して、93って。
『石野建造さん、驚かないで聴いてください』
「だから俺は石野建造じゃねぇよ?」
『石野さん……。残念ながら、あなたは先ほどお亡くなりになりました』
コイツ、ぜんぜん人の話を聴かねぇな……お亡くなり?
えっ、どういうこと?
『日課である深夜アニメのリアルタイム視聴をし、SNSと公式掲示板に長文の感想を投稿した後、高ぶる気持ちを抑えきれず、外を徘徊しているところに、運悪く積載量オーバーのトラックが……』
それ、絶対俺じゃないじゃん。
建造さんよ、あんた93歳で何やってんだよ……。
ジジィは夜更かしせずに早く寝ろって……積載量オーバーのトラック? あれ? そういえばさっき、夢の中でも似たような場面が?
俺がジョギングの途中、交差点で信号待ちをしていたら、向こうから右折してくる大型トラックがいたっけ。トラックが曲がってきた時に、後ろの荷台いっぱいに積まれていた何かが大きな音を立てて崩れ落ちてきて――。
『ワイヤーが切れて崩れ落ちてきた石材の下敷きになり、即死されました』
「死んだの俺じゃん!」
石材の下敷きになったのって完全に俺だわ……。
えっ、俺死んだの? ウソだろ……。
『はい、大変残念なことです……。普段の石野さんの日課通りであれば、交差点手前の電信柱に抱き着いて、「ワシの嫁じゃ~。この子をうちに連れて帰るのじゃ~」と騒いで、警察沙汰になってご家族に連れ戻されるので、トラックには轢かれず無事なはずだったのですが……』
完全にボケ老人……。
外を徘徊する前に止めてやれよ……って、思い出した! いたわ! そのじいさんいたわ! 電柱に抱き着いているじいさん見たわ! その横を走り抜けて俺は交差点へ……。
「たぶんそのじいさん……石野建造さん、だっけ? いつも通りに日課をこなして、警察沙汰になっていると思うぞ……」
つまり死んだのは建造じいさんじゃなくて俺……。
『石野建造さん。享年93歳。石が好きで石と共に歩んだ人生。石加工職人として生涯現役を貫いた素晴らしき人生でしたね』
「だから話を聴けって! 俺は石野建造じゃねぇって言ってるだろ! 俺は
『すっかりボケてしまわれて……。でも大丈夫です。私たち女神にはこれがあります。亡くなった方々それぞれの生涯を綴った書物です。生まれた時から亡くなるまでの全記録を参照することができます。もちろん石野さんのものもありますよ』
あんた女神様だったのか。
だったら俺の生涯を綴った書物とやらを見て、人違いだってことにさっさと気づいてくれ。そして早く帰らしてくれ!
『石野さんは本当に石がお好きなのですね。初めてしゃべった言葉は「石はワシの嫁」。初恋の相手はゲゲゲの鬼太郎に登場する、ねこ娘……の石像ですね』
「なんで生まれた時から一人称が『ワシ』なんだよ……」
それに初恋がねこ娘?
じいさん93歳なんだろ? ゲゲゲの鬼太郎の連載開始と年齢合わないじゃんか……。
その記録、本物か? ソースどこよ?
『あらあら。石野さんは石だけではなくて、動物もお好きなんですね』
ふーん?
犬か猫でも飼っていたのかな?
『犬よりも猫よりも狼がお好きなのですね』
狼?
日本の狼は絶滅したはず。たぶん、じいさんが生まれる前だよな?
外国かどこかで見たのか?
『一時期、ご自分のことを「わっち」と呼んでいらっしゃったこともありましたね』
わっち……? 狼……?
それってまさか、行商の……。
『ですが、とあるアニメ作品にドハマりし、狼からサーバルに推し変をされていますね。これは由々しき事態です』
何が……。
って、アニメ? サーバル?
まさかと思うが、じいさんは動物好きじゃなくて……ケモミミが好きなフレンズなんじゃ……。
『最近ではVtuberにドハマりして、貯金をすべてスパチャで投げてしまい、ご家族からクレジットカードと通帳を取り上げられ、無課金勢としての視聴を余儀なくされ、コメントは一切拾われなくなり……大変悲しい想いをされていたのですね』
女神が泣くな!
泣きたいのはじいさんの家族のほうだろ! その対応で合っているわ!
まあでも、Vtuberにはケモミミのキャラも多いからな……。沼にハマっちまったんだな……。
『人生の最期とは唐突に訪れるものです。後悔はおありでしょうが、生前残されていた遺言の通りに、石の下で眠れるように取り計らわせていただきます』
石の下敷きになって死んでいるんだけどな。
って、違う!
「だから俺は石野建造じゃねぇんだってば! 板野賢治! ちゃんと確認してくれって! その遺言も俺のじゃねぇし!」
『板野賢治? 誰ですか? そんな名前、リストにありませんね~』
分厚い本をぺらぺらとめくり出す女神。
「そりゃないだろうよ。だって今日死ぬはずだったのは、石野建造ってじいさんなんだろ? 俺が間違って死んだことにされているんじゃねぇの?」
間違いなら早く帰らせてくれよ。
明日は受験なんだからちゃんと寝て準備をしないと。
『あら? ここに1枚の紙が張り付いて……剥がれませんね。えい、えい!』
ビリッ。
あまりよろしくなさそうな音がした気がするが……。
女神の手から離れた紙切れが、ひらひらと空中を漂い、俺の足元に落ちた。
「これは何だ?」
破れた紙切れを拾い上げる。
『ダメですダメです。それは女神以外が見てはなりませんっ!』
女神が慌てふためき、飛びかかってくる。
「落ちたから拾ってやっただけだろ……板野賢治? 俺の名前じゃん……」
なんだこれ?