女神の持つ書物から千切れて落ちてきた紙。
そこに書かれていたのは――。
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東京都八王子市で生まれる。
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八王子で生まれたこと以外、その下には何も書かれていない。
何だ、これ?
『ちょっと! 見ないで! 返してくださいっ!』
女神が俺の手にある紙切れを強引に奪っていく。
その拍子に、また「ビリッ」という音がして、さらに紙の破れが酷くなった気がしたが……。
「それは何だ? 俺の名前が書いてあったんだが……」
『これは……この世界で生まれ、お亡くなりになった方すべての記録がまとまっている書物です。これは女神が参照するものですので、人間が見て良いものではありませんよ。まったくもうっ!』
ちょっとお怒りなご様子。
でも俺は落ちてきた紙を拾ってやっただけなんだが……。
「ああ、さっきじいさんの生涯についていろいろと読み上げていたもんな。初恋がどうとか、ケモミミがどうとか、わりと細かく……。俺のは八王子で生まれたことだけ? それ以外の項目は別ページにあるのかな?」
『いいえ、お1人につき、A4のコピー用紙1枚分です』
コピー用紙って。
せめてもうちょっと上等な紙を使おう?
少し引っ張っただけで破れちゃうのはどうかと思うぞ。
「俺の初恋の話とか……」
『板野さんに初恋の記録はありませんね。初恋はまだなのではないでしょうか』
いやいや、一応幼稚園の時にいつも木の枝を集めて俺のカバンに詰め込んできていたあの子……みっちゃんのことが気になって……たぶんあれが初恋だろ? まさか告白していないから、初恋として認められないのか?
「生まれて初めてしゃべった言葉とか……」
『初めての言葉の記録はありませんね。板野さんはまだ言葉をしゃべったことがないのではないでしょうか』
「そんなわけあるかー! 現に今こうしてしゃべっているだろうが!」
何言ってるんだ、コイツ? 正気か?
『ちょっと石野さん、急に怒鳴らないでくださいよ……。石の下敷きになった時に頭でも打ったんですか?』
「だーかーらー! 俺は石野じゃなくて板野! それに石の下敷きになったら頭を打ったどころの騒ぎじゃないだろ! ぺしゃんこだよ、ぺしゃんこ!」
だから死んで魂だけの存在になっているんだろ!
ん、俺ってたぶん今、魂だけの存在なんだよな?
『そうですか……。亡くなったショックで頭が……。それはおかわいそうに。でも大丈夫ですよ。あとは静かに眠るだけですからね。女神の私にお任せください。ええ、大丈夫です。何も心配はいりません。今からゆっくりとお休みできる場所にお連れします。さ、こちらですこちらです。誰にも見られないうちに、急いでついてきてください!』
急に早口になりやがって……。明らかにめんどくさそうにしてやがるな。
「待て。だから俺は石野建造じゃない。その破れた紙に書かれているが、俺の名前は板野賢治だ。さっきからずっと人違いをしているぞ」
『またまた~。女神が人違いなんてするわけないじゃないですかぁ。石野さんったら~、ボケちゃったんですね。ふふふ』
何でこっちがおかしいみたいになっているんだよ……。
ホント話を聴かねぇ女神だな。
「たぶん話を聞く感じ、石野のじいさんはたまにボケていたと思うぞ。だが、俺は別人だ。帰らせてくれ!」
だからこの続きの話は、石野建造本人と頼むわ。
『それはできませんよ。もう「死亡」の決裁をしてしまいましたし。ほら、こちらの書類と、あなたの左手にも』
促されて左手の甲を見る。
丸で囲われた『死亡済み』の文字。
「『死亡済み』ってえらく直球だな! え、俺、マジで死んだの⁉ 人違いなのに⁉」
『はい、たしかに手続きが完了しています。それでは話を続けますね。石野建造さん、享年93歳は――』
「だからー! 俺は板野賢治だっ!」
『でもこれは……ページがくっついていて破れちゃいましたし……。クシャクシャクシャポ~イ! これでよし、と。こんな人はいなかったということで~』
おい、何してんだ!
今、人の人生が書かれた紙を丸めて投げ捨てたな⁉ 八王子生まれしか書いていなかったがな!
「お前、今証拠隠滅しようとしたろ。絶対お前のミスだよな? なあ、俺が死んだのって、お前が何かやらかしたせいなんじゃないか⁉」
『何の……ことですか? 私は女神ですよ、ミスなんてありえないです。言いがかりはやめてもらって良いですか?』
明らかに挙動不審。
玉のような汗がしたたり落ちて……さてはコイツ、マジでやりやがったな?
「おい! もっとえらいヤツを呼んで来い! クレームだクレーム! 徹底的にお前のミスを追求してやる!」
おーい、誰かー!
この女神、人違いをした上に証拠隠滅を謀ろうとしましたよー!
誰かえらい人来てー!
『わ~わ~! ちょっと待ってください、板野さん!』
「おー、とうとう俺のことを板野だって認めたな。良いだろう、話を聴いてやろうじゃないか」
話の内容次第では、出るところに出るからな⁉