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第13話加豪切柄

 それから時間は経ち今は昼休憩、気乗りのしない授業に参加した俺は良くやったと思う。……そのほとんどを机に伏していても。周りからの冷たい目はあったが確固たる証拠もないので警戒だけされている感じだ。


 嫌われ者として過ごす憂鬱な時間を耐えた俺はトイレの帰り道、さきほど恵瑠に言われた言葉を思い出していた。


「ありがとう、ねえ?」


 そんなことを言われた記憶を振り返ってみたが、俺の過去にそんなことは一度もなかった。そして今思えば人を助けたことなどなかったかもしれない。思い出すのは周りに対する憎しみと見下す気持ちだけで、そもそも誰かを助けようなんてこと、発想すらなかったんだ。


 黄金律。これで、礼を言われた? そして、この思想があれば俺でもミルフィアと友達になれるのか? そう思うと希望なんて持ったこともない俺の胸が少しだけ高鳴った。


 だけど、誘えなければ意味がない。はぁ。浮いた期待が落ちる。


 そんな気持ちで教室の扉に手を伸ばす、その途中。


 扉が勝手に開いた。


「あ」

「あ」


 扉を開けた相手と目が合う。視線の先にいたのは、学校初日に喧嘩をした女子、加豪切柄(かごうきりえ)だった。


 ゲッ!


 突然の再会に固まった。加豪も驚いて固まっている。おいおい、どうすればいいんだよ、めちゃくちゃ気まずいんだけど!


「……なによ?」

「ああッ?」


 嫌な空気が流れる。加豪の問いについ攻撃的な声が出てしまい、それで加豪の表情も険しくなった。俺たちは黙ったまま睨み合う。


 だが、今にも喧嘩が起こりそうな中、今さっきのことを思い出した。


 自分がされて嬉しいことは人にもしてあげる。自分がされて嫌なことは人にもしない。前者はさきほど恵瑠にした。


 なら、今度は後者じゃないのか?


 俺は拳を強く握り、苛立つ感情をぐっと我慢した。


「その」


 俺は怖いにらめっこを止め、スッと顔を逸らす。


 声は依然と荒い。苛立たしい気持ちは消えていない。それでも、俺は口を動かした。


「……昨日は、悪かった」

「え?」


 俺の言葉が意外だったんだろう、加豪が驚いた。


「いや、だから、悪かったって言ってんだよ。俺だけのせいとは思わねえけど、まあ、俺の機嫌が嫌な思いをさせたのは認める。……すまなかった。あと、お前は十分美人だよ」


 ちらりと加豪の顔を見る。彼女の顔はなんだか固まり黙ったままだった。そのまま様子を待っていると加豪の顔が元に戻った。


「フン。当然よ」


 こいつ!


「昨日は強く言い過ぎた、ごめん」

「え?」


 と、加豪はそれだけを口にして横切って行った。早足で廊下を歩いていく背中が遠ざかっていく。その後ろ姿を、俺は信じられない気持ちで見つめていた。


「…………」


 謝った? あいつも? いや、てか謝った? 本当? 俺に謝った奴なんて過去何人いる? すぐに思い出すのはミルフィアと教師のヨハネくらいで、あとはいないんじゃないか? そんな俺にあいつが謝った? 


 奇妙な体験に戸惑う俺は言葉が見つからず、とりあえずは、


「お、おう」


 とだけ、もう姿の見えない背中に言っておいた。


「なんていうのかな~、今日は」


 学校の日程は終わり、誰もいない夕暮れの教室に俺はいた。机に腰掛け今日の出来事を振り返える。


 屋上では不思議というよりもおかしな女の子、天和と出会った。そこで俺は人の喜ぶことをしたらしい。


 次に学校の外では恵瑠を助け、人から感謝された。


 最後に加豪に謝罪したら、相手からも謝られた。


 これらの出来事は黄金律の教えに従ったからだ。


 変化を実感している。だけどそれで仲良くなったわけじゃない。知り合いくらいにはなれたかもしれないが、まだまだ誕生会に誘うような仲じゃない。もう今日は会わないし、残るは明日だけだ。


「はぁ、やばいな……」


 焦りが口を動かす。とてもじゃないが無理だ。諦観が俺の意志を虫食いのように穴を開けていく。


「おや、宮司さんではないですか」


 すると陽気な声が聞こえてきた。声がした扉に目を移せばそこには担任教師のヨハネが笑顔で立っていた。


「どうしたのですか教室に残って。寮には戻らないのですか?」

「いや、今はここで考え事がしたくて」

「おやおや、それではお邪魔でしたかね。良ければあなたとお話でもと思ったのですが」


 そうは言いつつもヨハネは俺の隣にまで近づいて来る。物腰は柔らかいのにどこか強引だよな、この男。頬の治療の時もそうだったと苦笑する。


「なんだよ、俺に話って?」


 そうは言うがだいたいのことは分かってる。ただ犯人は俺じゃない。


「分かってるはずですよ、皆さんの机が傷だらけになっていたことです」

「あれは俺の――」

「それも分かっています」


 俺が言い切る前にヨハネは違うと言ってくれた。


「宮司さんはそんな人ではない。私はそう確信しています。ですが聞いておくことは必要でしょう。聞きますが、あれをしたのは宮司さんではありませんね?」

「ちげえよ。机刻むくらいなら直接やつらを刻んでやる」

「駄目駄目、駄目ですよもう。ですが分かりました。あなたを信じます」


 俺のことを信じているというのは本当だと思う。ただ立場があるからな、聞いておかなければならないというのは理解できる。


 だからこの人はいい。でも他の人は違う。


「クラスの連中は、俺を疑ってるのか?」

「……何人か、そうではないかと話に来た人はいました。ですが証拠はなくただの憶測です。人をそのような目で見てはいけないと伝えておきましたよ」

「それで理解するようなやつらじゃないだろう」

「宮司さん、それも良くない。相手を信じること、それはとても大切なことですよ。初めから決めるのは悪い行いです」


 この人にそう言われては言い返す言葉もない。これがどこの馬の骨とも知れないやつなら怒鳴り返していたんだろうが。この人にはそんな気は起こらなかった。


「この件については私がなんとかします。皆さんへは落ち着くよう言っておきましたから。朝礼の時にね」


 ああ、それで俺に言いに来るやつがいなかったのか。


「分かった、助かる」


 ヨハネ先生のおかげだったんだな。なんていうか、ほんといろいろしてもらってるな、俺。


「それと、宮司さん、昨日は黙って帰られたではないですか」

「あ」


 そういえばそうだった。


「それに今日は一限目には姿がお見えにならない。それで私は不安になりましたよ。二限目からは出席していたので安心しましたがね。ですが、約束を破るのはいけません。せっかく私は宮司さんと仲良くなりたいと、これでも真意に思っているのですから」

「ああ、悪い。その。まあ……」

「ええ、気持ちは分かります。辛かったですね」

「…………」


 そう言ってくれる気持ち、投げかけられる言葉。それは俺のひび割れた心に傷薬のようにすっと馴染んでいった。


 なんだか、救われたようだった。


「明日は一限目から出られそうですか?」

「ああ。今度こそ約束は守るよ」

「そうですか、それは良かった」


 返事にヨハネはにっこり笑いそれで注意は終わった。生徒を信頼しているのか、叱ることはあっても怒ることや長い説教はしてこない。クラスで耳にするヨハネの評判はいいがこういう理由からなのかもしれない。


 ヨハネは席から椅子を出し腰を下ろす。その後夕日を眺めていた。


「それにしても静かなものですね。朝はあれだけの喧騒に満ちていたというのに、今ではこんなにも静かだ。落ち着きますが、まあ、反面寂しい気もしますかね」


 穏やかな声がオレンジ色の教室に溶けていく。地面には机の影がいくつも伸びているが机の数に反して人の影は二人分しかない。


「それだけここには多くの、そしていろんな人たちがいた、ということなんでしょうね。そういえば昨日は信仰によって性格に傾向があるとお話しましたが、宮司さんは神理を創った神様のことを知っていますか? 実は、それが大きく関わっているのですよ」

「いや……」


 知らなかった。ヨハネはニコニコと、自分が教えてあげられるのが嬉しそうに笑っていた。


「真理を得た者は神となり、神は新たな神理を創る。真理とは世界の仕組み。神理とは人を導く真理である」

「なんだよそれ」


 どういう意味だ? それに神理と真理って同じ発音だから分かりづらいんだけど。


「そういう言葉がありましてね。要するに、自分に合った真理を見つけ、それを極めれば天上界(てんじょうかい)へと昇り、神になれる。そして自分の真理を神の理(ことわり)である神理として天下界に広める、というものです。天上界(てんじょうかい)にいる三柱(みはしら)の神も、元は私たちと同じ人間だったのですよ」

「それくらいは知ってるよ」

「あははは、これは失礼。では話が早い」


 天上界にいる三柱(みはしら)の神々が元人間というのはいわば常識で、それくらいの知識は俺にだってある。ヨハネは笑って誤魔化した後、表情を戻した。


「そのために三柱の神には人間時代だった頃の多くの文献が存在します。それで琢磨追求の神の名前がですね、リュクルゴス。昔のスパルタ帝国の王だった人なんです」


 リュクルゴス。どこかで聞いた名前だなと思ったが、ああ、そういえば加豪が神託物を出す際、詠唱の中に出てきた名前だったな。


「私の信仰している神理とは違うので詳しくは知らないのですが、まったく、恐ろしい方だったみたいですよ。彼は国を強くするために男子全員を鍛えることにしたのですが、体が弱いだけで使えないと殺してしまったんです。生まれてきた赤ん坊も小さければその場で、です。いやー、当時に私が生まれていれば誕生と同時に殺されていましたよ。恐ろしい恐ろしい」 


 話の内容にヨハネは怖そうに顔を振ってはいるがその仕草は芝居掛かっている。本気で怖がっているようには見えないが、普段から浮かべている笑顔とそうした仕草は愛嬌がある。


 次にヨハネは表情をパッと明るくし、持ち前の笑みを作った。


「その点、私が信仰している慈愛連立の神は優しい方でしてね。名前をイヤスと言います。彼はまだ人間だった頃病人や怪我人を治して各地を歩き回ったそうです。争いがあればそれを収めたりもしました。立派な方だ、素直に尊敬の念を抱きます。ですので、私はこの神理を選んだのですがね」


 そう言うヨハネの顔は誇らしそうに笑っている。いつも笑顔だというのに、この時浮かべている笑顔はその中でも一番芯のある笑顔に見えた。


「ついでに無我無心の神の名ですが、シッガールタという女性です。彼女は天下界でのあらゆる誘惑を断ち切って心を無にする、悟り、という境地に達したために神になったそうです。ちなみに、かなりの美人さんだったそうですよ?」

「だったらなんだよ、興味あるか」


 顔を近づけるなうっとうしい。俺は冷たくあしらうが、真面目な話の中にもおちゃらけたことを言う人柄は実にヨハネらしいと思う。


「とまあ、信仰する者には神理上の性格と言いますか、傾向がありましてね。そういうのを把握していれば多少は人との接し方が分かり易いかと思います。まあ、そうやって考えて人と話すよりも、自分らしく振る舞える方がいいんでしょうけれどね。それに、宮司さんにはもう心配する必要はなさそうですし」

「え?」


 どういうことかとヨハネの顔を見る。俺がどうやって人と接していくか、その参考のために神の話をしていた。しかしヨハネはそんな心配は無用だと言ってきたのだ。


「初めはどうなることと思いましたが、正直私は安心しているんです。こう言うとまた怒られそうですが、宮司さんから変化が感じられます」

「分かるのか?」

「私は教師です。ものを教えるのも仕事ですが、何よりも生徒を見て、導くのが仕事です」


 語るヨハネの顔には自信と誇りがあった。一切の迷いも躊躇いもない、真っ直ぐとした表情。


「なにか、目標でも出来ましたか? ここに残っていたのも、それについて考えていたのでしょう?」

「……敵わないな」

「これでも教師歴長いですから」


 穏やかに語るヨハネの表情を、俺は躊躇いがちに見つめる。


 俺のクラス担任で、こうして話をしてくれる。クラスに馴染めない俺を案じ黄金律を教えてくれた。話しているだけでもこの人の人柄の良さは伝わってくる。


 相談してみようか。ミルフィアのこと。


 恥ずかしいので顔を下げるが、黙っていようとは思わなかった。この人ならいい気がしたんだ。


「昨日教えてもらった黄金律、考えてみたんだ」


 チラ、とヨハネの様子を窺う。特に聞き返してくることはなく、黙ったまま聞き入っている。俺は再び地面に視線を戻した。


「俺は、ミルフィアと友達になりたいんだ。今はまだ違うんだけど。それで自分がされて嬉しいことをしろっていうからさ、ミルフィアの誕生会を開いたらどうだろうと思ったんだ」

「ほう、いいではないですか」


 俺の報告に温かい声で頷いてくれる。しかし、問題はここからだ。


「だけど、俺には親しい人がいない。誕生会に誘う人がいないんだ。ただ、もしかしたら黄金律なら仲良くなれるかもとは思った。それでも、明日までに見つけないと間に合わなくて……」


 話していて、自分がどれだけ滅茶苦茶で無謀なことをしているのか思い知らされる。親し人はいないのに誕生会に参加してくれる人を集める。それも明日まで。都合のいい夢物語、甘いと一蹴されても仕方がない。


「なるほど」


 けれど、聞こえてきた声調は穏やかで教師としての芯があった。振り向けばヨハネの顔は諦めていなかった。


「確かに宮司さんは無信仰者です。そして周りは信仰者ばかり。これでは誘うのは難しいでしょう。しかし、今の宮司さんは黄金律について考えて行動している。黄金律という思想の下、宮司さんは自らの道を手探りながら進んでいるのです。では、それを続けることです」


 そう言うと、ヨハネは俺に振り向きニコッと微笑んだ。


「やってみればいいではないですか。信仰とは続けることに意味があります。ここで止めることにどんな理由がありますか。宮司さんは、ミルフィアさんとお友達になりたいのでしょう?」

「ああ」


 即答だった。それでヨハネは一回、大きく頷いた。


「それでは、もう答えは出ているではないですか」

「え?」

「諦めますか?」


 ヨハネからの問いに、俺の表情が引き締まった。


 そうだ、なにを弱気になっているんだ俺は。ここで諦めることになんの意味がある。どの道やるしかないんだ。確証なんてない、それこそ信じるしかない。手探りでも、この道が正しいって進むしかないんだ。


「どうやら決まったようですね」


 ヨハネはそう言うと立ち上がった。


「おっとっと」


 が、身体がよろめき転びそうになった。せっかくいい感じだったのに!


「まったく、しっかりしてるのか抜けてるのか分からないな」


 ヨハネは「あははは」と苦笑しながら頭を掻いた。そして姿勢を正す。


「それでは、私はこれで」

「待ってくれ!」


 教室から出て行こうとするヨハネを慌てて呼び止める。俺も立ち上がり、ヨハネは足を止め振り返った。


「その、あの」


 ヨハネが向ける「なんでしょうか?」という眼差しに言葉がなかなか出てこない。俺は言葉にすることに躊躇するが、けれども言った。


「ありがとう。その、ヨハネ、……『先生』」


 尻すぼみに声は小さくなっていき、最後の言葉は霧のように消えてしまう。せっかく出した言葉なのにこれでは伝わるか分からない。


 だが、俺の不安とは裏腹にヨハネの目が少しだけ開かれた。その後すぐに微笑を作る。


「いえいえ」


 温かな声を残して、ヨハネは教室から出て行った。俺はその場に立ち続け静かにヨハネの背を見送った。そして窓から差し込む夕日を追いかける。


 空は茜色に染まりこれから夜に変わることを告げている。一日の転換期をもうすぐ終えようとしていた。


 けれど、俺はこれからだ。明日にすべてを賭ける。信じろ。無信仰者が自分まで信じられなくなったらお終いだ。


 俺は夕日に背を向け、教室を後にした。

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