俺たちの間に僅かな時間が流れる。その中で徐々に理解と感情が追いついてきた。
「お前、なにしてるんだよ?」
「これは」
「なにしてるかって聞いてんだよ!?」
ミルフィアが犯人だったのか? なんで? なんでこいつがそんなことしてるんだよ!
「神愛、落ち着いて」
「落ち着けるかよ! なんでお前が、なんでこんなことしてんだよ?」
「私はただ……」
加豪が近づき落ち着くように言うが、そんなの眼中の外。悪いが今はミルフィアのことしか考えられない。
現場を見られては言い逃れも出来ない。ミルフィアは観念したように、それでいて悔しそうに瞼を閉じた。
「許せなかったんです。主にあんな。だから。なにか変えようと」
「それで容疑が俺に向いて退学寸前なんだぞ!」
「そんな」
「本当よ、ミルフィア」
こいつのやってることは逆効果だ、それで俺への風当たりはさらにきつくなるし、退学なんて話も出てきた。
「すみません主! 私はそんなつもりじゃ」
怯えるような瞳で俺を見る。こいつが俺を陥れようなんて考えるやつじゃないのは俺が一番知ってる。本当に俺のことを思ってしてくれたんだろう。
だけど、こんなの間違ってる。
「こんなやり方で変わるわけないだろ。俺がそうして欲しいなんて言ったか?」
こいつが善意でやってくれたことだとしても、先にやつらが仕掛けたことだとしてもやっていいことと悪いことがある。それくらいの分別俺にだってある。
「すみません……」
ミルフィアは頭を下げてる。その姿勢も、その声も、その表情も、とても反省しているのが分かる。自分でも悪いことをしている自覚はあったんだろう、それを堪えきれなかっただけで。
だからこれはもう終わった話だ。だけど聞かなきゃならないことがある。
「ミルフィア、どうしてお前はここまでするんだ? 普段は奴隷だとか言ってるが、自分からこんなことする奴隷いないだろ。お前は奴隷でもましてや道具でもない、自分の意思を持った人間だ! だから教えてくれ、お前はなんなんだ?」
俺の前に現れ王と呼び奴隷を自称する少女。俺は彼女のことを全然知らない。聞いても教えてくれない。だからミルフィアは俺の中でいつまでも正体不明だ。こんなにも大切なのにだッ。
「いつものらりくらりと躱してるがな、今回は言うまで絶対に放さないぞ。言えよ」
この機会を逃せばもう聞けない。だから絶対に正体を聞く。ここではっきりさせるんだ。
俺からの追及に逃れられないと悟ったか、ミルフィアはその重い口を動かした。
「主は、昔を覚えていますか?」
「昔? いつだよ」
「生まれてくる前のことです」
唐突な言葉にどういう意味か分からない。意図が読めず黙って先を促した。
彼女は話す。それはかなり突飛で、少しだけ驚くものだった。
「主は、何度も人生を繰り返しているんです。生まれて、亡くなれば新しく生まれる。転生と言えば分かりやすいでしょうか。その度に記憶をリセットして。私はそんなあなたを支えるために作られたんです。私だけは記憶を引き継いで、あなたと一緒に転生してきました」
「…………」
彼女の言葉を、どう受け取ればいいのか分からない。彼女の言っていることが分からないのなんて昔からだが。だけどこれは今までのそれとは違う。
「あなたはそこで、多くの人生を歩んできました。ある時は琢磨追及であり、慈愛連立であり、無我無心でした」
俺が? 彼女の言っていることを信じたわけじゃないが俺が信仰者なんてちょっと想像できないぞ。
「そこで私はある時はあなたの支援者であり、妹であり、相棒でした。たくさんの人生で辛い時もあれば楽しい時、幸せな時もありました。そうして私たちは共にいくつもの人生を過ごしてきたんです」
そう語る彼女の表情は遠い昔を思い出しているようだ。言葉の通り、そこにはいろいろなことがあったのだろう。そう思わせるほどにその声と表情には積み重ねてきた思いを感じ取れた。
「ですが」
けれど、その表情が引き裂かれるような痛みに歪んだ。
「前世で、あなたはひどい仕打ちを受けたんです。本当に惨い裏切りにあいました。世界中の人間から悪者にされ、あなたは全てを憎みました」
彼女の苦しそうな表情、そして言葉に俺たちはなにも言えない。
「そして、私も、その裏切りに加担したんです」
ミルフィアが? その言葉は意外過ぎて、それもすぐには想像出来ない。だってこいつがだぜ? いつも俺のためになにかしようと懸命なこいつが俺を裏切るなんて。
「すみません、主。本当はあなたの側に立つべきだったのに、私には出来なかった。あなたのためを思っていても、あなたを傷つけることしか出来なかった。私は……本当に……!」
そう言うミルフィアは、泣き出した。本当に申し訳なくて泣いていたんだ。
「そして、あなたは無信仰者として生まれ変わった。それを見て私は確信したんです。あなたがどれだけ信仰を恨み、世界を忌むものとしていたのか。それで私も決心しました。あなたの役に立てないなら、せめてあなたの道具であろうと。奴隷であろうと。そう決めたんです」
夜の教室。光源は窓から差し込む月の光だけで。その淡く弱々しい光に彼女は照らされていた。まるで罪人を指すように、その光の中で涙に濡れた瞳で彼女は告白した。過去の行いとその罪滅ぼしを。
その受け止め方を、俺は迷っていた。
「えっと、口を挟んで悪いんだけど、神愛が転生してるなんてそんなの不可能よ。全ての人は輪廻界を通ってくる。転生なんて、そんな勝手なことは出来ないわ」
「いえ、主なら可能です。主に、出来ないことなどありません」
「でも」
「加豪、真に受けなくていい」
加豪の意見はきっと多くの信仰者が思うことなんだろう。そうした常識から考えればミルフィアの言っていることは寝言や妄言と変わらない。だから信じられないのは仕方がない。俺だってそうだ。
「俺が転生してる? 何度も人生繰り返して以前は信仰者だったって? お前は昔から訳わからないやつだったけどさ、今回ので分かったことがある。お前はおっちょこちょいでドジっ子ってことだ。だから真っすぐやってるつもりでも曲がっていくんだよ」
「主! 私はドジっ子ではありません!」
「黙れ。ドジっ子はみんなそう言うんだ」
どこで反発してるんだこいつ。
「俺を裏切ったとか知らないことで謝罪しやがって。そんなところが不器用なんだよ」
「ん……」
言い返せないってことはきっと心当たりがあるんだろう。
「なあ、ミルフィア。お前の言ってることは正直分からん。信じるとは言えない。でもだ、お前は俺に負い目があってそれで奴隷になろうと決めた、そうだろ? なら分かるだろ」
こいつはプログラムとかルールで奴隷になってるわけじゃない。自分の意思でなっているんだ。なら選べるはずなんだ。
「俺が望んでいるのはそんなことじゃない! 俺の!」
こいつが俺のためにしてるっていうなら、奴隷なんかより欲しいものがある。それは何年も前に言ったこと。何度も願い、その度に断られたこと。
「俺の、友達になってくれよ! 俺が欲しいのはそれだけなんだよ! お前の誕生日会を開いたのだってさ、お前に喜んでもらってそれで友達になるためだったんだよ。お前も俺のことを思ってくれてるならさ、友達になってくれよ!」
それが俺の望みだった。本心だった。それだけでいい、ずっと俺はそれを望んでいたんだから。
「すみません、主」
なのに、なんでだよ。なんでそれが駄目なんだよ。
「私は、あなたの友にはなれません」
俺がこんなにも欲しいと言っているのに、なんでそれが断られなきゃならないんだよ。
ミルフィアが俺に近づいてくる。すると目の前で片膝を着き、頭を下げた。
「私は、奴隷であろうと決めたんです。それでしかあなたのお役に立てません」
「ふざけんなよ!」
言ってることめちゃくちゃだろ、やってることと矛盾だらけじゃねえか。
「なんだよ、過去俺と友達だったのが失敗したからもうなりたくないって? また同じ失敗するのが怖いってか?」
こいつが俺とどんなひでえ別れ方してそれがトラウマになってるが知らないけどさ。
「そんなの関係ねえよ! 俺がそうして欲しいって言ってるんだからそれでいいだろ!」
「すみません」
俺は友達になって欲しい。こいつは俺のためになりたい。だけど友たちにはなってくれないと言う。俺のための奴隷だと。
「じゃあなにか、お前はずっと俺の奴隷だって言うのかよ?」
「はい」
「それじゃあお前の幸せはどうなるんだよ!?」
俺のため、俺のためって。お前にだって人生があるんだろ? これから先の人生ずっと奴隷として生きるつもりなのか? 今だけじゃない。転生の話を信じるならこいつは永遠に奴隷のままだ。
そんなの駄目だろ!
「私に、そんなものは必要ありません。望むのは主の幸せだけです」
「なら友達でいいだろ!」
「それはなりません」
俺は何度も言うが、ミルフィアは一向に認めてくれない。
「私では。あなたの友になれません」
頭を下げて、片膝を折り、俺たちの関係は友情ではなく主従なのだと見せつける。
「なんだよ、それ……」
何度言っても、彼女は絶対に認めない。友達にはなってくれないんだ。
希望が、真っ二つに引き裂かれる。俺が頑張れば、黄金律でもなんでもいい、なにかすればいつかこいつとも友達になれるんじゃないかと思ってた。
でも違う。こいつは俺と友達にならない。どんなに願っても、どんなに頼んでも。
ずっと。ずっと奴隷なんだ。
「そうかよ、分かったよ。なら」
それを理解した。ならどうする? こいつをずっと奴隷になんてさせられない。だから。
「……命令だ」
俺は初めて、ミルフィアに『命令』した。
「もう、二度と俺の前に出て来るな」
生涯で初めての命令。それは、二人の別れだった。
痛みが全身を支配する。悲しみが心を染めていく。悲痛が涙となって零れそうになる。指先が熱くなり声が震えた。
「そんな、どうして」
「お前が望んだことだろ! なら命令してやるよ。お前は俺から離れて生きろ! いいか、命令だからな! 二度と現れるな!」
俺の奴隷として生きるくらいなら、俺から離れて自由に生きて欲しい。
それが、たとえ俺たちの別れになろうとも。
俺からの命令にミルフィアは驚いたように顔を上げた後、そっと顔を下ろした。
その頬を、涙が通っていく。
「……はい。我が主……、あなたが……、それを望むなら……ッ」
それは彼女にとっても矛盾した願いだった。俺のために奴隷になったのに、奴隷だから遠ざけられる。それでは俺のためにはなれない。だけど断れない。
けっきょくのところ、奴隷でしかないから。
彼女は姿を消した。そこには友情もなにもない。主人の命令を実行に移した奴隷がいただけだった。
「くっそおおおおおおお!」
それが、たまらなく悔しくて、悲しくて、涙が止まらない。
なんで、なんでこうなるんだよ。なんでこうもうまくいかないんだよ!
俺の願いは、お前と友達になりたかっただけなのに。
頬を、涙がこぼれ落ちていく。