「なあ恵瑠(える)」
それで俺は恵瑠(える)を呼んでみた。すぐ隣を歩いていて恵瑠(える)は「ん?」と俺を見上げてくる。
「なんですか神愛君? おこづかいですか?」
「殴るぞお前」
なんで俺がお前に金をやらないとならないんだよ。
「そうじゃなくてさ、慈愛連立(じあいれんりつ)ってなにかあるのか? なんとなく楽しそうっていうかさ」
「楽しそう? ああ! そんなの当然ですよ!」
すると恵瑠(える)は勢いよく答えてきた。彼女も期待しているのか熱い眼差しを向けてくる。
「なんだってもうすぐ『教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)』があるんですよ!」
「教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)?」
「知らないんですか神愛君?」
知らん。というか無信仰者の俺にはそういうもの全般ザ・他人事だがらな。
「え、神愛知らないの?」
「私も知ってるわよ」
「え、お前ら知ってるの?」
他の信仰者のこいつらも知っているということはかなり大きな行事なんだろうか。
俺は疑問の表情を浮かべるがすぐに恵瑠(える)が答えてくれた。
「教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)というのは名前の通り、慈愛連立(じあいれんりつ)を主教としているゴルゴダ共和国の教皇様の誕生日なんですよ」
「へえ、誕生日ねえ」
それでこの賑わいというわけか。
「教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)の日は祝日で国を挙げてのお祭りなんです。盛大なパレードを開いてみんなで踊っておいしいものを食べるんですよ」
「おいおい、たかが一人に国を挙げてか?」
「たかがじゃないですよ、慈愛連立(じあいれんりつ)でもっとも権威のある教皇の誕生日ですよ!」
恵瑠(える)はえっへんと平らな胸を張ってくる。とはいえなにがすごいのか俺にはイマイチ分からん。
「お前は参加するのか?」
「うーん、どうだろう。参加してみたい気もするけど……えへへ~」
「なんだ、参加できないのか?」
恵瑠(える)は誤魔化すように笑っている。
「出来ないっていうわけでもないんですけど、教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)は祝日ですし、その日を迎えただけでもお祭り気分を味わえるっていうか、それだけでいいかな~って。誕生祭の様子もテレビで流れますし」
「ま、そんなもんか」
ちなみに教皇誕生祭(きょうこうたんじょうさい)の日は学校もお休みだった。慈愛連立(じあいれんりつ)の生徒を抱えた学園側の配慮だろう。
加えて俺たちが暮らしている全寮制の神律(しんりつ)学園は商業地区と呼ばれる三つの信仰がごちゃまぜになっている街にある。だからこの学園にもいろいろな信仰者がいるんだな。
「教皇、ね~。いったいどんな奴なんだろうな」
「慈愛連立(じあいれんりつ)は人助けをする信仰だし、そのトップならやっぱり優しい人なんじゃない?」
加豪(かごう)が言う。うん、俺もそう思う。
「慈愛連立(じあいれんりつ)は愛という感情に重きを置いている信仰だから、きっとすべての線引きも超えて愛する人かもよ」
「天和(てんほ)、いいこと言ったつもりかもしれないが止めておいたほうがいい。お前が言うとややこしくなるんだよ」
「どういうことよ」
天和(てんほ)はむくれているようだが日頃の行いというやつだ。
「恵瑠(える)、お前は知らないのか?」
「うーん、教皇様ですか~」
考え事かなにかを思い出しているのか、恵瑠(える)はしばらく上を向いていたが、すぐに視線を俺へと向けた。
「ボク、前に教皇様とは会ったことあるんですよね」
「「ええええええええええ!?」」
驚いた。俺と加豪(かごう)から大きな声が上がる。
「恵瑠(える)、あなた会ったことあるの?」
「おいおい、嘘だとしたら盛り過ぎだぞお前」
「ほんとですよ!」
恵瑠(える)はほんとだと言うがにわかに信じられん。
「教皇って慈愛連立(じあいれんりつ)の一番偉い人なんだろ? なんでお前が会ってるんだよ。あ、パレードで見かけたとかいうのはなしだぞ!?」
「そういうのじゃないんですけど~」
「じゃあどういうのだよ」
「うーん……えへへ~」
「笑って誤魔化すな!」
恵瑠(える)は頭を掻いていた。
「なんだ、話せないのか?」
「うーん、ごめんなさいです」
「まあ無理にとは言わねえけど」
気になるし分からないのは残念だがきっと事情があるんだろう。なら仕方がない。てか、言えないなら何故言ったし。
それで正門が近づいてきた時だった。
正門前にいくつもの車が停まっていたのだ。それもすべてが黒塗りのいかにも高級そうな車だ。
「なんだ?」
周りの生徒もこのことにざわついている。
車からは黒のスーツにサングラスをかけた男たちが続々と下りていく。そして周囲を警戒するように立った後、真ん中の車から一人が下りた。
それは、あらゆる汚れを漂白されたような白だった。
水色のセミロングの髪、純白のスーツを着ている。肌も雪のように白い。男装なので分かりづらいが胸のふくらみから女性だと分かる。青い瞳はするどい眼光を宿し見る者を圧倒してくる。その立ち姿に纏うオーラ、ただ者じゃないと一目で分かる。
彼女の後を追うように黒の男たちが歩いてくる。その物々しい集団に生徒たちから道を譲った。
そんな彼女たちが、俺たちに向かって近づいてくるのだ。
おいおいなんだ?
緊張と警戒が同時に高鳴る。感じるのは敵意ではないが威圧感がはっきり分かる。
俺は近づいてくる一団を睨むが、隣で恵瑠(える)がつぶやいた。
「ガブリエル……」
ガブリエル?
見れば恵瑠(える)は震えていた。驚いたように。怯えるように。まるで虐待をしてくる父親と出会ったようなそんな感じ。
恵瑠(える)は、明らかに怯えていた。
「久しいな」
集団の先頭を歩く女性が俺たちの前で止まる。
「…………」
彼女の挨拶に恵瑠(える)は応えない。表情を固くして見上げるだけだ。
彼女も彼女でするどい姿勢を崩さない。百八十センチはあるだろう高身長から恵瑠(える)を見下ろし、無言の圧力は傍から見ている俺でも圧されそうになる。体の小さい、ましてや直に見つめられている恵瑠(える)はそれ以上だろう。
それが分かっているはずなのに、ガブリエルと呼ばれた女性は威圧を止めず、言い切った。
「ついて来い、話は車中でする」
決定事項のように、それが当たり前のように言ってガブリエルは振り返ろうとした。
「いや、だよ」
しかし、恵瑠(える)は断った。表情には怯えを残して、けれど強い意思を感じる瞳で告げる。
「ボクはもう戻らない。そう決めたんだ!」
小さいながらも勇気を感じる声だった。それだけに恵瑠(える)は真剣で、思い切って言ったんだと伝わってくる。
それでも、目の前の女性は変わらなかった。
「ついて来い」
たった一言、恵瑠(える)の思いを無視して言ってくる。恵瑠(える)が悔しそうな顔をする。
それが、無性に我慢できなかった。
いつも笑顔でアホなことして、いちいち驚いて。でも、そんなこいつが俺は好きだった。底抜けに明るくて、たまにイラッとくるこいつのアホさが、俺は好きだったから!
もう、見ていられなかった。
「止めろ、嫌がってんだろ!」
「神愛君」
俺は恵瑠(える)の前に立つと女性と対峙(たいじ)した。彼女の青い瞳が俺を見る。どこか恵瑠(える)と似た澄んだ青い瞳だった。
「だれだ、貴様」
すさまじい圧迫感だ。それでも俺は退かない。
「てめえこそ誰だよ。断られたんだ、しつこいと嫌われるぜ?」
「神愛ッ!」
そこで加豪(かごう)が耳打ちしてきた。
「この人、ゴルゴダ共和国の国務長官よ!」
「国務長官? すごいのか?」
「主に外交を務める、実質的なゴルゴダ共和国の最高責任者よッ」
珍しく加豪(かごう)が焦った様子で俺を見てきた。それだけすごいやつなんだろう、雰囲気だけじゃないってことか。
「レベルが違い過ぎる。どんなことか知らないけど、あんたが首を突っ込むことじゃないわ」
後ろから肩を掴んでくる。掴む手の力強さから加豪(かごう)の必死さが伝わってきた。
だけど。
「いいや、退かねえ」
「神愛!」
俺は加豪(かごう)の手を振り解いた。振り返り加豪(かごう)を見つめる。
「じゃあ、お前は恵瑠(える)が心配じゃねのかよ!?」
恵瑠(える)は今でも怯えたような表情をしている。それなのに見て見ぬフリをするのかよ?
「そうじゃない。そりゃ私も恵瑠(える)のことは心配よ。でも! あんたの心配もしてるのよ!」
その時、はじめて加豪(かごう)の気持ちが分かってハッとした。
「神愛は慈愛連立(じあいれんりつ)の人間じゃないでしょう? なのに、あんたまでなにかあったらどうするの? そんなの、心配するに決まってるでしょう!」
加豪(かごう)は俺の心配をしてくれていたんだ。顔も見れば真剣で、俺のことをまっすぐに見つめてくれている。
「その通りだ」
そこでガブリエルが口を挟んできた。
「部外者は外れてもらおう。これは、私と彼女の話だ」
俺が入り込むような話じゃない。立場的にも、状況的にも。俺は無関係で、仮にそうだとしても次元が違う。学生一人がどうにか出来ることじゃない。
加豪(かごう)の心配とガブリエルの断言が俺にそう言ってくる。そりゃそうだ、普通に考えれば出来るわけがない。誰だってそう思う。
「加豪(かごう)、ありがとうな」
「え?」
「でもわりぃ」
二人が俺に止めるように言ってくる。俺では無理だと。
だけど、俺は絶対に諦めない。
「俺は慈愛連立(じあいれんりつ)の信仰者じゃない。でもな、俺は俺なんだよ。信仰なんて関係ねえ。俺のやりたいようにやらせてもらうぜ」
友人が苦しんでるのを、放ってなんておけるか。
「俺は、無信仰者(イレギュラー)だからな!」
俺は叫んだ。それこそが俺の信仰だと言わんばかりに。