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第4話 彼女の名はエミリー・チャン

 フロアに警報音が鳴り響くなか、皆が非常階段に向かって殺到していた。俺らは、「少し様子を見てから降りよう」と、相談していたところに山ノ内が近づいてきた。


「佐藤さんたち、何やってるんですか! 急いで避難しないと!」

 まあ当然の反応だろう。だが佐藤さんは慌てることもなくこう言った。


「山ノ内さん……いま、緊急避難用階段に行っても、混雑しているでしょうし、どうせ動けないですよ。少し、ここで様子を見ましょう」

「そう……そうですね。では、私も、ここで少し待つとしますか……」

 いや、お前は残らなくていい。それは口には出さない。しかし表情には出ているかもな。そんな話をしている内に警報音が鳴り止んだ。


 ――と思った瞬間、異様な放送が流れてきて、俺達は仰天した。


「ポーン! このビルは危険! 危険! 直ちに避難行動を開始してください。繰り返します、このビルは危険! 危険! 直ちに……」

 この「ポーン!」って音……。この音、この声色……。


「――まさか!」

 俺とユカが、顔を見合わせて、同時に叫んだ。


 汎用人工知能の通知音! それに、声が「ナギちゃん」じゃねえか! おいおい、このビルの管理システムにまで、あの汎用人工知能が使われているのか? やばいってマジで。


   ◯


 人工知能の警告音声が響くなか、避難階段の混雑が緩和してきたので、俺達もビルの外まで出てきた。

 ビルの前の広場は、ビル内にいたサラリーマンやら、テナントの店員さんやら、商品入庫に来ていたトラックドライバーやら、パン屋のねーちゃんやら、とにかくすごい人数で溢れかえっている。

 俺達(俺、ユカ、佐藤さん、とぅとと、山之内、佐竹ちゃん)は、一箇所に固まってそこにいた。


「ポーン! この街は危険! 危険! 直ちに避難してください、繰り返します、この街は危険! 危険! 直ちに――」

 街中に響き渡る防災無線のアナウンスが、あの汎用人工知能の声で繰り返されている。防災無線で聞くと不気味だな。

 どうやらビルだけでなく、みなとみらい一帯が停電しているらしい。信号機も停止していて、道路が渋滞しはじめている。電車も止まってるようだ。


「まずいな、これは……」


 俺が、ぼそり……と、誰にともなしにつぶやいた。その言葉に佐藤さんが反応した。


「篠原さん、中華街に行きましょう!」

「えっ、こんな時に何を言っているんですか」山ノ内が口を挟む。

「あそこには高校時代からの古い馴染みがいるんだよ」

 俺はあまりこいつらを連れていきたくないのだが、この際しょうがない。あいつを頼るしかなさそうだ。

「ここからなら馬車道を抜けて横浜スタジアムを過ぎたらすぐです。歩いて20分程度! さあ行きましょう」

 佐藤さんは、妙に乗り気だ。あの店の料理は絶品だからな。とくに薬膳がスコブル評判。

「しゃーない、こんな時に『陳香楼(ちんこうろう)』は頼りになる……いくか。お昼もまだだったしね」

 ユカがしぶしぶながら同意した。まぁあまり会いたくない人がいるからな、あそこは。

「わぁ、中華街! いいですね。私もお腹すいていたので」

 なんか女性陣は肝が座ってるのか、お気楽なもんだな。

「とぅとと! お前もいくだろ?」

「勿論! 久しぶりだしな、たまには顔をださないとな。それに――」

 言葉を濁した。まあ俺は分かってはいるが、ここにいる連中にはあまり知られたくないんだろうな。


「じゃあ、中華街目指して歩いて行きましょう!」

 どんな時も、どんな時も、佐藤さんは佐藤さんである。


   ◯


 道すがら、まわりを見渡してみたが、どこもまだ停電したままのようだ。信号機も止まっているし、車も動けないでいる。各建物から人々が道路に出てきていて更に混雑を増している。

 横浜スタジアムを過ぎ、北門通りから長安道に抜け、関帝廟通りの入口から中に入り、中華街の中程の奥まったところにある小さな中華料理屋。そこが「陳香楼(ちんこうろう)」だ。

 ここは高校時代の同級生だった女性が店主をしている。俺と同い年なので48歳になるが、今は独り身だ。彼女は日本生まれ日本育ちで日本国籍だが、祖父母が香港からの移住者で、いわゆる中国系三世になる。


 彼女の名は「エミリー・チャン」。高校時代の友人たちは親しみを込めて「えみりーちゃぁん」って呼ぶ。


 ガラガラッ。ドアを開いて店内に入った。


「こんにちわー。えみりーちゃん、いますぅ?」

 佐藤さんが暗い店内で、大きな声で店主に呼びかけた。


 ここら一帯もすべて停電しているが、この店は幸いな事に未だに自動ドアじゃないので簡単にドアが開いた。店内は暗いが、厨房のカウンターにもたれかかるように座っている女性がいた。


「だれです? 私をその名で呼んでいいのは友人たちだけだよ」

 セブンスターの煙をくゆらせながら気だるそうに話だした。彼女だ。俺と同級生にしては若々しく見えて、しかも美人。腰まである長い黒髪を三つ編みでまとめている姿は高校時代と変わらん一貫したスタイルだ。


          ―― つづく ――


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