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第2章 逃亡の巻

2-1

 伊織いおり和馬かずまはそそくさとコンビニのATMなるものからお金を下ろして早速どこへ向かうべきか考えていた。ちなみにATMの使い方は店員に教えてもらい、改めてコンビニの凄さを思い知ることになった。


 ちなみに下ろした金額は二十万程度で金銭感覚が乏しい和馬にとってこれがどれだけの額になるのか皆目見当もつかなかった。


「さてさてお金を下ろしたはいいけど、凄いことになっちまったなあ」


 和馬が銀行のカードを見ながら呟く。


 刀祓隊の剣士は公務員として認められているため、その活躍によって給料が与えられる。和馬は準決勝進出の時点で入金はまだだが賞金として五十万円近くを手にしている。おそらく、この騒ぎのせいで入金はされることはないだろう。それに銀行口座もいつ止められてもおかしくない。あと一時間か。それより早いか。


 総貯金額百二十万円という和馬の功績は水泡に帰す。


「ああ、熊爺にあげれば良かった。やべーもったいねー」

「あの……ごめんなさい」


 和馬のボソッとした一言一言は叶緒の耳に届いていた。


 叶緒は申し訳なさそうにしながら深々と頭を下げる。事実、頭を下げるだけで済む話でもないため和馬は空笑いすることしかできない。


「あ、もう一回コンビニ行ってもいいか?」


 叶緒がきょとんとした表情を浮かべると、和馬は満面の笑みでコンビニに入店し、すぐに戻ってきた。


「あ、あの……」

「追加で五十万下ろしてきた。そんで残りは募金してきた」

「え! そんな大金をですか⁉」

「使えなくなる前に使ってやったぜ!」


 和馬は悪戯っ子のような笑みを浮かべ高笑いし始める。


 叶緒は「変わった人だな」と思わずクスッと笑ってしまった。


 その笑顔を見て和馬は少なからず安堵した。逃亡中、それも自分と同い年くらいの少女が刀を持った連中に追われているのだ。いつ殺されてもおかしく。そんな彼女の心身を考えると張り詰めた空気が少しでも和らいでくれたのならそれでいい。


 しかし、安堵するのも束の間、何かを察知したのか和馬は『御神体』を展開し、叶緒をお姫様抱っこして空高く跳躍する。一跳びで近くのマンションの三階に当たる壁に辿り着き、落下する前にもう一度壁を蹴って五階建てのマンションの屋上に跳び移る。


 あっという間の出来事に叶緒は目を丸くする。


 だが、それでも和馬は止まらなかった。


 続けてマンションの屋上から屋上へ飛び移り、さらに何度か『縮地』を織り交ぜる。そうすることで気付けば最初にいた場所から五キロ以上離れられた場所まで移動していた。


 街並みも都会の繫華街から普通の住宅街に移り変わる。


「速いな。振り切れそうにない」


 和馬は視界の端で背後を確認しながら言う。やはり人一人をお姫様抱っこしている状態だと追いかけっこでは追手の方に分がある。


「どこかにトラックとかなかったか? ってあれ? 気絶してる? 大丈夫?」

「だ、大丈夫です。少しびっくりして。こうなることは分かっていたんですけど……思った以上に速くて、勢いがあって」

「ん? 分かってたって……」


 和馬は言い終える前に叶緒を下ろすと背後に隠れさせる。


 こうなることを覚悟していた、という意味ならそう言えばいい。少し引っ掛かりを覚える叶緒の言い方に和馬の片眉が上げる。


 そんなことを気にしている内に追いつかれてしまった。


「何か騒ぎがあったかと思えば……先輩でしたか」


 聞き覚えのある声に見覚えのある容姿。肩の辺りまで伸びた髪は淡い赤色で年齢相応の幼い顔立ち。小柄で華奢な身体だが、腰の背面には二振りの小太刀が交差するように差されている。中学二年生にして御前試合の出場権を勝ち取ったまさに『天童』である。


 和馬はハッとした表情を浮かべる。


「お前は……ちびっ子最強剣士、南条優羽っ!」

「誰がちびっ子ですか!」

「ごめんごめん。じゃあな!」


 言って何事も無かったように逃げようとしたが縮地を使って回り込まれてしまう。

和馬が「ですよね~」と言いたげな表情を浮かべると、優羽は腰の背面に携えた二振りの小太刀を抜刀する。


「……マジか」


 和馬は予想していなかった強敵の登場に心底自分の運の無さを自覚した。元々運がある方ではないことは分かっていた。


 剣士にしてはめんどくさがり屋で、地元以外の任務は移動が面倒だから全部麻衣に任せていた。東雲流の腕を磨くための稽古は学問に励むより楽しいが、それを大会やらでお披露目するのはめんどくさい。


 刀を交えるのは好きだ。


 妖魔を祓うのは任務だから。そして、困っている人を見過ごせないから。


 そもそも剣士になったのは母親に勧められたからだ。


 今思うとかなり優柔不断だと思う。


 そんな和馬がぬるっと叶緒の逃亡に手を貸している。刀祓隊に追われるということは指名手配犯と同然の扱いになる。加えてすでに刀祓隊の剣士を切り伏せてしまっているため重罪中の重罪を犯してしまっている。


 今更戻るという選択肢はない。


 だって見てしまったから。


 人を守るはずの刀祓隊がか弱い少女に刃を向ける姿を。許せなかった。


 だから和馬は刀祓隊の剣士を相手にしても御神刀を振るった。それが正しいことだと直感したから。叶緒を一目見た時から彼女を絶対に守らなければならないと直感したから。


 そしてそれは南条優羽が相手でも変わりはない。


 和馬は鯉口を切る動作をしてからあることに気付く。


「どうして俺たちが追われてるって分かったんだ?」

「騒ぎがあったからです」

「いや、それはおかしい。さっきの剣士たちは早くてもあと五分くらいは動けないはずだ」


 つまりはそれくらい強く斬りつけた。


「お前まさか……」

「はい! ストーキングしました!」


 優羽が満面の笑みで言い放った言葉はとても中学二年生が言うものではなかった。


 和馬は「こいつマジか」と喉元まで出掛かった言葉を抑え込み、代わりに困惑交じりの息を呑む。


 和馬の背後に隠れる叶緒は、ストーキングという言葉にピンと来ていないのかキョトンとした表情を浮かべ、この空気の中で唯一浮いていた。いや、逃亡者なのだから常に緊張感を持っていなければならない彼女にとって、訳の分からないストーカーが現れたのだから当然の反応だった。

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