店長復帰の日
ついに雪乃が店長として正式に復帰する日がやってきた。
だが、店内の光景は以前と変わらない。雪乃はカウンターの端で、いつものように優雅に紅茶をすすっているだけだった。
「雪姉様、せっかく復帰したんだから、少しは働いてよ。」
月がため息をつきながら、帳簿をめくりつつ呟く。
「働いてるわよ。こうして店の雰囲気を整えているの。」
雪乃はふわりと微笑みながら、紅茶を置く。
月が眉をひそめて問い返す。
「それ、ただの飲み物休憩じゃない。」
「そんなことないわ。だって今日は花もいるもの。」
雪乃の隣を見ると、小さな花がちょこんと座って、何かに集中していた。
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花の不可思議な作業
花は無言で紙に複雑な紋様を描いている。初めて見る人がその光景を目にすれば、ただの不思議なお絵かきをしているように見えるだろう。
しかし、よく知る者が見れば、それがただの落書きではないことが一目で分かる。
それは、精緻な魔導回路の設計図だった。
月がちらりと花の紙を見て、小声で呟く。
「花、またそんな難しそうなものを……。」
花は目を離さずに答える。
「うん、次のアイテムの試作。もう少しで完成するから。」
月はため息をつきながら、店員たちに目を向けて声を張り上げた。
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開店前の厳命
「みんな、改めて言うけど、花は私や雪姉様の妹だけど、普通の8歳の少女よ。」
弥生が少し困った表情で問い返す。
「えっと……普通、ですか?」
「そうよ、普通。」
月はきっぱりと断言した後、続ける。
「だから、花の秘密は絶対に口外禁止。特に、あのスタードールの店長には知られないようにね。」
クラリスが不安そうに尋ねる。
「どうしてですか?スタードールの店長が何か……?」
月は腕を組み、少し厳しい口調で答える。
「あの店長なら、花の価値を知ったら、何かしら企むに決まってるからよ。」
セリーヌが納得したように頷いた。
「確かに、あの方ならありえますね……。」
すると雪乃が、相変わらず緊張感のない声で口を挟む。
「月、考えすぎよ。まぁ、秘密にするのは当然だけど。」
「雪姉様……もう少し危機感を持って。」
月が呆れたように雪乃を見つめるが、雪乃は気にせず紅茶を一口飲んでいた。
雪乃の内なる思考
雪乃は紅茶をゆっくりと飲みながら、一見すると緊張感のない穏やかな表情を浮かべていた。だが、その内側では別の思考が巡っていた。
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発酵時間短縮ストレージの価値
花が描いている魔導回路の設計図に目をやりながら、雪乃は静かに考える。
(発酵時間を短縮できるストレージ……そのアイデアがもし完成すれば、スイーツやパンを提供するどんな店でも革命的な影響を及ぼす。材料の品質を保ちながら効率を最大限に高められるなんて……。)
雪乃はカップを置きながら、さらに考えを巡らせる。
(実際、花が作るものはそのどれもが普通じゃない。もし、これが表に出れば、この子の価値は計り知れないものになる。……いや、すでに十分にとんでもない存在なのよね。)
紅茶をすするフリをしながら、雪乃は花に目を向ける。その小さな手がスラスラと魔導回路を描いている様子を見て、彼女の才能を改めて実感した。
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守るべき才能
(だけど、その才能が利用されることは絶対に許せない。だからこそ、ここにいる間は、普通の子どもとして扱ってあげないと……。)
雪乃は紅茶をそっと置き、ふと視線をカウンター越しに向けた。月がスタッフたちに指示を出しながら店を仕切る様子が見える。
(それにしても、月もよく頑張ってくれているわね。私が店長復帰しても、結局すべて月が回しているけど……それもこの店の安定につながっているのかもしれない。)
雪乃は再び花に目を向け、優しく微笑んだ。
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冷静な裏の決意
(花の発明は、私たち姉妹だけで守り抜くもの。この子を巻き込むつもりはないし、どこかの誰かに利用されるなんてことは絶対にあってはならない。)
雪乃の表情に一瞬だけ冷静な光が宿るが、それはすぐに消え去り、再び柔らかな微笑みが浮かぶ。
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その場の誰も気づかないうちに、雪乃は静かにこう結論づけた。
(まずは、花が楽しんで過ごせるようにしてあげること。それが今の私たちにできる、最善の守り方だわ。)
雪乃の穏やかな表情の裏には、姉としての強い決意が隠されていた。
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開店宣言
店員たちが準備を終え、店内が静かに整った。
月が店の入り口に立ち、深呼吸を一つしてから、いつものように宣言する。
「では、開店します!」
こうして、雪乃の復帰初日となる一日が、静かに始まった。
しかし、彼女たちの周りには、まだ誰も気づいていない小さな嵐が潜んでいる――。