スタードール店長の来店と第一王子の来訪
店内の忙しさがひと段落し、客足が途絶え始めた頃、スタードール店長のアルベルトが姿を現した。
月がすぐに気づき、微笑みながら声をかける。
「いらっしゃいませ。繁忙店の店長がお店を抜け出してきて、大丈夫なのですか?」
アルベルトは軽く肩をすくめて答える。
「新しいパティシエを採用したおかげで、どうにか軌道に乗ったよ。」
月は満足そうに頷きながら返す。
「それはよかったですわ。私が提供したレシピのせいで、お店が混乱して立ち行かなくなったのではないかと、少し心配しておりましたの。」
アルベルトは苦笑しながら首を横に振る。
「いやいや、むしろ感謝している。人材の補強は以前から考えていたが、なかなかきっかけがなくて躊躇していたところだ。おかげで踏ん切りがついたし、客足も増えたよ。」
月は控えめに笑みを浮かべる。
「それは何よりですわ。」
アルベルトは店内を見渡しながら続ける。
「しかし、こちらは客が減っていると聞いていたが、今日はなかなかの繁盛ぶりだな。どうやら雪乃店長が戻ってきたおかげか?」
そう言うと、アルベルトは雪乃の方へ歩み寄った。
「久しぶりだね。君のいない間に、妹君からいくつかのレシピをいただいたよ。感謝している。」
雪乃は紅茶を一口飲み、相変わらずののんびりとした口調で答える。
「あ、あれね。あれはもともと工程が多くて面倒くさいから、うちでは提供するつもりがなかったレシピばかりよ。気にしなくていいわ。」
アルベルトが少し驚いた表情を見せると、雪乃は続ける。
「むしろ、あなたのお店で提供してくれるなら、お客さんも喜ぶでしょうし、私も宣伝しておくわ。『スタードールさんで食べられますよ』って。」
アルベルトは苦笑しながら手を広げる。
「まったく、君らしいね。でもそのおかげで、こちらも助かっているよ。」
月はそんなやり取りを静かに見守りながら、心の中で呟いた。
(雪姉様、本当にさらりと厄介事を人に押し付けるのが得意なんだから……。)
店内には一瞬の静けさが訪れたが、次のお客様が入店した音で、再び賑やかさが戻るのだった。
第一王子の来訪
アルベルトが店を出て行ったその直後、タイミングを計ったかのように第一王子が店内に入ってきた。彼はいつものように変装をしており、周囲の客たちにはその正体が分からないようにしている。
雪乃が復帰したことを知っていたらしく、王子は迷いなくまっすぐ雪乃のもとにやって来た。
「店に復帰したと聞いてやってきた。改めて、謝罪をしたい。」
雪乃は驚いたように首を傾げる。
「え?なんのことでしたっけ?」
王子は少し苦笑いを浮かべながら答える。
「……店内で他の客と口論になって、迷惑をかけた件だ。」
雪乃は少し考え込んだ後、軽く手を叩いた。
「ああ、そういえばそんなこともありましたね。もう忘れていたわ。あなたも忘れてください。」
王子はその言葉に一瞬驚いたような表情を見せた後、真剣な顔で雪乃に向き直った。
「……君は、優しいな。忘れたことにしてくれようとしているんだな。ありがとう。でも、それでも謝罪だけはさせて欲しい。本当にすまなかった。」
そう言うと、彼は王子でありながら深く頭を下げて謝罪をした。
雪乃は慌てたように手を振る。
「もうやめてください。本当に忘れていたことですから。」
そのやり取りを厨房から見守っていた弥生は、隣にいる忍にだけ聞こえる声で小さく呟いた。
「あれ、雪乃様、本当に忘れてたよね?」
忍も小声で返す。
「多分ね。」
一方で、店内にいる他の客たちは、変装した王子の正体に気づくことなく、いつものようにスイーツや飲み物を楽しんでいた。
雪乃は改めて柔らかな笑みを浮かべながら王子に言った。
「もうその話はおしまいです。それより、せっかくいらしたのですから、何かお召し上がりになってくださいな。」
王子はその提案に少し驚いたようだったが、次第に穏やかな表情になり、頷いた。
「それでは、君のおすすめをいただこうかな。」
雪乃が「忍、お客様におすすめをお願い」と軽く手を振ると、忍は「了解です」と笑顔で応じた。
こうして、店内には再び和やかな雰囲気が戻り、第一王子もいつものように静かに店の空気を楽しむことができたのだった。
花の素朴な疑問
店内で第一王子と雪乃が話している様子を見ていた花が、隣に立つ月に小声で尋ねる。
「月姉様、あれ誰?」
月は少し驚いたように花を見たが、すぐに苦笑いを浮かべて答えた。
「この国の第一王子よ。」
花は目を丸くしながらさらに問いかける。
「?なんで王子が、こんな市井の喫茶店に?」
月は小さく溜息をつきながら、雪乃と王子を見やり、肩をすくめた。
「そりゃ、雪姉様が目当てだからよ。」
花はしばらく考え込むような表情をしてから、ふと思い立ったように言う。
「ん?じゃあ、雪姉様は、この国の王妃になるの?」
月は慌てて花の肩に手を置き、苦笑いしながら答える。
「気が早いわよ。雪姉様は、まるでわかってないし。」
花は不思議そうに首を傾げながら、さらに突っ込む。
「雪姉様、鈍感?」
月は慌てて花の口元に指を置き、周囲を見回してから小声で言った。
「こらこら、そういうことは言わないの。」
花はきょとんとした表情をしながら、首を傾げるだけだったが、隣で忍が小声で呟いた。
「でも、的確すぎるわね……。」
弥生が隣で小さく頷きながら、さらに付け加える。
「雪乃様らしいというか……まあ、確かにわかってないですよね。」
月は二人に向かってジト目を向けながら、ため息をついた。
「もう、黙って仕事しなさい!」
しかし、その様子を見ていた花が無邪気に笑い出し、店内の雰囲気を和ませたのだった。