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第4話 智哉が帰って来た理由。

 今日は朝から天気がいい。パチンコ屋にでもいこうかとも思ったけれど、観葉植物にやる水をぶちまけたり、家具の角に足の指をぶつけたりとにかく運が悪い。こういうときはいかないに限る。だからといって特にすることもなく、ベッドの上でひっくり返っていた。あとで、奈々の家に置いてきた車を取ってこなければ。奈々の家までは歩いていけばいいだろう。この間は具合が悪いからタクシーで帰ってきたけど、歩いていけない距離ではないのだ。のんびり歩いていってこようかと思ったとき、玄関のチャイムが鳴った。階段を駆け下りて出る。


「はいはい、どちら様?」

「あ、智哉だけど」


 え、智哉?

 私がドアを開けると、すっかり大人の男性になった智哉が立っていた。最後に会ったのはまだお互いに少年少女だった頃のことである。私たちの間には一瞬微妙な空気が流れた。手には大きめのタッパー。ああ、おばさんに頼まれておかずのお裾分けを持ってきたのだ。隣の智哉の家とは昔から家族ぐるみのつきあいで、おかずのやりとりなんかは普通にあった。


「これ、母さんから。煮物を作ったんでよかったら食べて欲しいって」

「ありがとう。智哉のとこのおばさんの煮物美味しいから大好きなんだよね。せっかくだから上がってお茶でも飲んでいく?」

「えっと。じゃあ、そうしようかな」

「うんうん、上がって上がって。今私一人だから大したものは出せないけど」


 私は智哉をリビングに招き入れ、キッチンに向かった。いただいた煮物はまだ温かいので、キッチンの涼しい場所に置いて、普段は自分で入れないお茶を入れる。家事はまるっきりだめだけど、一応お茶くらいは入れられるのだ。お茶菓子にあゆみの作ったお菓子を添えて、リビングにいく。智哉はそろえた膝に両手を乗せて、お行儀よく待っていたようだ。


「楽にしてよ、私しかいないんだし」

「いいのかな、女の子が一人のところに上がり込んで」

「大丈夫だよ。もう女の子って年でもないし、知らない仲でもないでしょ。はい、お茶。お茶菓子はあゆみの焼いたお菓子だよ」

「あゆみちゃんの焼いたお菓子か。器用なんだね」

「私はお菓子作りとか全く出来ないけどね。姉妹って似ないもんだよね」

「そういうもんじゃないかな。僕と悠里も似てないし」


 智哉は美味しそうにあゆみの作ったお菓子を食べる。やっぱり、男というものはお菓子作りが出来るような可愛げのある女がいいのだろう。そこは智哉も他の男と変わらないんだな。私のように家事が出来ない上にかわいげのない女が好みという男がいないことはよく知ってる。そういう女が好みの男がいるなら、私も結婚出来ていただろう。一応、料理もお菓子作りもチャレンジしたけど諦めた。根本的に向かないんだよなあ。私はたばこに火をつけた。


「あかり、たばこ吸うんだ」

「うん、昔の彼氏が吸っててね。それから吸うようになったんだけど、やめられなくなったよ。あ、智哉がいやなら消すよ」

「いや、消さなくてもいいよ。うちも父さんと悠里が吸うから、気にはならないよ。彼女でたばこを吸う子もいたしね」

「なるほど、それじゃあ心おきなく一服させてもらうわ」


 ふうん。彼女でたばこを吸う子もいたんだ。智哉は真面目な優等生って感じで、そういうタイプの女と付き合うようなイメージがなかった。でも、考えてみればお互い三十も半ばなわけで色々な経験をしてきていて当たり前なのだと思い直す。私の中で智哉は少年のままだったから、恋愛の話に違和感が生じるだけなのだ。目の前でのんびりお茶を楽しむ智哉は、立派な男ではないか。いつまでも少年のように思っていては失礼というものだ。


「智哉って大学いってから全然帰ってこなかったよね」

「忙しかったんだよ。大学時代は勉強とバイトで帰ってくる余裕なかったし、就職したら尚更。あかりは大学時代は帰ってきたいたのかい?」

「いやあ。大学は入ってすぐに辞めちゃったからね。それからずっとこっちにいるよ」

「すぐ辞めたんだ」

「うん。周りが大学受けるっていうから受けただけで、やりたいことがあったわけじゃなかったからね。好きでもない勉強するのがいやになって、半年で辞めたよ」

「確かに、好きなことじゃないと勉強も辛いよね」


 私はたばこの火を消し、お茶を飲む。相変わらず、あゆみの作るお菓子は美味しい。智哉は何度も褒めている。お茶が冷めてきたので入れ直しにいく。お茶を入れながらふとリビングの方を見ると、高校生くらいの少女がこちらを見ていた。この女の子は智哉の守護霊である。智哉の環境が変わったので心配でそばにいるのだろう。声をかけようかとも思ったが、不審者になりそうなのでやめておく。智哉は私が霊と会話出来るのを知っているが、再会していきなり霊との会話では驚くだろう。私は知らない振りをしてお茶を運ぶ。


「智哉は何でまたこっちに帰ってきたの。都会の方が色々と便利だし、出来ることもたくさんあるだろうに」

「そうだね、都会の方が便利なこともあるよね。実は勤めてた会社が結構ブラックだったんだよ。我慢はしたんだけど、もうキツくなってね。この間辞めたんだ」

「ブラックだったんだ」

「そうそう。で、新しく仕事探すってなったときに、地元でのんびりするのもいいかもなと思ったんだ。心身ともにだいぶ辛かったから、誰かを頼りたい気持ちがあったのかもしれない」

「仕事はもう決まったの?」

「ああ、取り敢えず当面は親戚の仕事を手伝うつもりだよ。今人手が足りないっていうから」


 ブラックな会社というのはどこにでもあるものなのだなあ。私が前に勤めていた会社も結構ブラックだったし。智哉はブラックな会社で我慢して働き続けていたのか。それは心身ともに疲れていることだろう。少しの間ゆっくり休んで欲しい。そんな私は今は充電中である。


「週末はみんなで飲むんだよね」

「智哉、お酒は飲めないんでしょ。何か、無理矢理誘ったみたいでごめん」

「いや、いいんだよ。素面で飲み会参加するの慣れてるし、そういう場が嫌いってわけじゃないから。奈々も元気なんだよね?」

「元気元気。飲もうっていい出したの奈々だから。悠里に頼まれたから、料理も作ってきてくれると思うよ」

「それは楽しみだね」


 智哉はにっこりと笑い、お茶を口にした。智哉も楽しみにしていてくれるみたいだし、奈々に気合い入れて料理を作るようにいっておこう。あと、ごはんも用意しておいた方がいいかな。お酒飲まないならごはんだろう。何だか飲み会について色々考えていると楽しくなってきた。

 それから、私は智哉と昼まで話し込んだ。

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