その夜、パチンコから帰ってみると奈々からメッセージが届いていた。すぐに来てとのことだったが、もう三時間も前のことだ。奈々が挨拶の言葉もなしに、突然来てくれということは珍しかったので、私は智哉を誘っていくことにした。何かあったなら私一人よりいいだろうし、何もないならそれでいい。とにかく心配だ。私たちがしばらくして奈々の家に着くと、部屋の明かりは消えており誰もいないように見えた。呼んだからにはいるだろうと玄関チャイムを鳴らした。すると、しばらく間があってからドアが開く。
「ごめん、呼び出しちゃって」
暗くて表情が分からないのだが、奈々はこの世の絶望を一身に背負ったような声でそれだけいうと、私たちを招き入れた。明らかに様子がおかしい。奈々はベッドの方へ歩いていく。私はリビングの明かりをつけた。すると、部屋の中は普段の私の部屋くらい散らかっていた。こんなことはまずないことである。
「奈々、どうしたの」
「うん。それがね、別れちゃった」
「婚約者と別れたの、何でまた。いや、それは話したくなってからでいいや。まずはこの部屋なんとかしよう。部屋が汚いと余計にへこむでしょ」
「俺が片づけるから、あかりは奈々のそばにいてあげて」
「智哉くんも来てたんだ」
「奈々の様子がおかしいから、心配で二人で来たんだよ。私一人じゃ不安だったし。いやだった?」
「ううん。来てくれてありがとう」
奈々は眠れていないのか、目の下にくっきりと隈を作っている。私はベッドに座る奈々を抱きしめて頭を撫でた。奈々はふにゃっと抱きついてきたが涙を流すことはなくて、もう涙も枯れてしまったのかもしれない。この部屋の様子を見る限り、もう何日も前に別れたのだと思われる。智哉を見ると、無言でてきぱきと部屋を片づけていた。
「奈々、ちゃんと食べてる?」
「ううん。ごはん作るのが面倒で何も食べてない。仕事はぎりぎりいけてるけど、こんなだから休んでいいよっていわれたよ」
「うん、すごい顔色悪いからね。そりゃ、仕事場の人も心配するよ。ごはん、食べられそうもない?」
「それがね、こんなときなのにお腹が空いてるの。何でお腹空くんだろうね」
「お腹が空くのは元気になりたいっていう自分の体からの知らせだよ。キッチン使ってもいいなら、僕が何か作るよ」
奈々がうなずいたので、智哉はキッチンへ向かった。部屋の方は大体片づいている。こういうとき、私が料理出来るといいんだろうけど、変なものを食べさせるわけにもいかないし、智哉を頼ることにした。私に出来ることはただ奈々を抱きしめて背中を撫でることだけだ。本当に智哉を連れてきてよかった。ごはんはぎりぎりなんとかなるとして、片づけは出来る気がしない。何も出来ないって、こういうときに困るんだなあ。
「あのね、あかり。あの人浮気してたんだよ。で、浮気相手と別れてっていったら、私と別れるって。正式に結婚が決まったらあかりにも紹介するつもりだったのに」
「何、浮気されたの。こんなに可愛くて家庭的な彼女がいて、何で浮気するんだろう。男ってほんと分からん」
「料理の味が合わないとか、部屋がいやとかいってたけど、一番はお酒飲みすぎだって。浮気相手はお酒飲めないらしいよ。だったら、最初から結婚なんて言葉出して欲しくなかった」
「ごめん。ムカつきすぎて言葉が出てこないわ」
「あかりが怒ってくれて、何だか落ち着いてきた。前、向かなきゃだよね」
そう、そんな浮気男にいつまでもこだわっていてはいけないのだ。奈々みたいに魅力的な女性ならいくらでも男は見つかる。奈々の瞳に光が戻りつつあった。このまま前を向いてくれることを祈る。私も浮気をされたことはあるけれど、婚約するほどの相手ではなかったため、あっさりとさよならして次の男を探したものだ。奈々の場合は大事な人に裏切られたのだから、すぐにとはいわないけれど次にいけるといいなあと思う。そこへ、智哉がトレイを手に戻ってきた。
「勝手に冷蔵庫開けて、簡単なもの作ってきたよ。何も食べてないっていってたから、おかゆとちょっとのおかずにしたけど、食べられるかい?」
「うん、ありがとう。もう、めちゃくちゃお腹空いてて足りないくらい」
「おかわりもあるから、たくさん食べて」
奈々の目からぽろりと涙がこぼれる。
「私、幸せね。こんなに心配してもらえて。ショックでバカなことするところだった」
「奈々、ゆっくり食べて」
「うん。すごく美味しい。生きる気力がわいてくる。ごはんって大事なんだね」
奈々は思ったよりもがつがつと食べて、あっという間に盛られた分を平らげた。それでも満足していない様子だったので、智哉がおかわりを持ってくる。私は智哉の顔を見た。智哉は安心したように微笑んでいた。しかし、私ってば本当に何も出来ない。何でも出来るようになっているにこしたことはないのだろうな。私はちょっとだけ料理を習ってみようかなと思った。先生役ならあゆみに頼めばいいんだし。
「奈々、今日は泊まっていこうか?」
「ううん、もう大丈夫。お腹も一杯になって、冷静に考えられるようになったから」
「それじゃあ帰るけど、不安になったりおかしいなって思ったらいつでも連絡してよ。急いでくるから」
「ありがとう、あかり、智哉くんも。どん底まで落ち込んだから、あとは元気になるだけよ。これからお弁当でも作りながら色々考えてみる」
「今から?」
「そ、今から。料理しながらだと、色々プラスに考えられるような気がするの。今日は本当にありがとう」
奈々がそういうならと、私と智哉は奈々の家をあとにした。とりあえず、奈々の身に何もなくてよかった。ごはんもしっかり食べたし、あとはゆっくり眠れればいいなと思う。奈々が元気になったら、またみんなで遊ぼうか。そんなことを考えた。運転をする智哉の顔をふと見ると、わずかに眉間にしわが寄っている。もしかしたら、智哉は怒っているのかもしれない。あんまり顔に出ないから分からないだけで。
「智哉、今日はありがとう」
「いや、いいんだよ。役に立てたみたいでよかった」
智哉はさっきの表情はどこへやら、にっこり笑って手を振った。よく表情に出さずにいられるなと思う。私は思ったことはすぐに顔に出てしまうタイプなので、表情を変えずにいられるのが羨ましい。そういえば、奈々も顔には出さないタイプだな。限界まで人に助けを求めないのだけはどうにかして欲しいのだが。人に助けを求められるのも、強さの一部なのだろう。奈々には困ったらいつでも助けを求められる人になって欲しいと願う。