朝起きたつもりが、時計を見るともうお昼に近かった。私は大きく伸びをして一階に下り、洗面所で顔を洗う。鏡を見ると寝ぼけた顔の自分が映っている。今日はすることもないし、パチンコにでもいこうか。悠里を誘いたいところだが、まだ奈々のところへ通っている可能性もあるのでやめておいた。悠里のおかげで奈々が元気になったのだし、今は二人をそっとしておこう。私が朝食を作ろうとキッチンに向かったとき、玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けてみると、智哉がにこやかに笑っている。パジャマのままの私はちょっと恥ずかしかった。
「あかり、もしよかったら温泉でもいかないかな。明日は仕事だから日帰りになっちゃうんだけど」
「明日仕事なら無理しなくてもいいのに」
「無理してるわけじゃないよ。あかりとどこかいきたいと思っていたし、ちょうどいいかなと思って」
「温泉かあ、いいね。日帰り温泉ってどこにいくつもり、市内の温泉?」
「いや、さすがに市内の温泉じゃ芸がないかなって。ドライブがてら少し離れた『朝焼け』にいこうと思うんだけど、どうかな」
「ああ、ドライブにはちょうど良さそうな距離だね。いこうか」
「じゃあ、支度してきて。僕は車で待っているよ」
そうだ。私はまだパジャマだったんだ。慌ててドアを閉めると階段を駆け上がり着替える。Tシャツにデニムのパンツをはき、一応お風呂上がりが寒かったときのために上着を持つ。それからお風呂場に小さなかごを持って行って、シャンプーなどを詰め込んで温泉セットを用意する。これで支度は終わりだ。ふと、洗面所の鏡に映った自分を見る。肌が弱くて化粧が出来ないとはいえ、眉毛すら描いていない。その上、着ているものもメンズだし、可愛いとはいえない。女としての魅力はゼロに等しい。これが奈々なら可愛らしいワンピースでも着るんだろうけれど、私にはそれは似合わない。外に出ると、智哉が車の中から手を振っていた。
「ごめん、待たせたね。温泉の支度するの久しぶりだったから」
「気にしなくていいよ。じゃあいこうか」
私は助手席に乗り込み後部座席に温泉セットを置くと、シートベルトをした。車は静かに発進する。温泉施設『朝焼け』はここから車で一時間くらいのところにある。智哉もいうようにドライブをするにはちょうど良さそうだ。私は肌が弱いので発疹などが出て入れない温泉などもあるのだが『朝焼け』の温泉には入れる。これは嬉しい誘いだった。
「いやあ、私は温泉にいくの久しぶりなんだよね。今日は誘ってくれてありがとうね」
「あかりは温泉久しぶりだったんだ。前はよくいっていたの?」
「うん。奈々や悠里、たまにあゆみも一緒にいったよ。『朝焼け』以外の温泉もいったしね。もう少し遠い『ゆるっと』なんかもよかったよ」
「そうなんだ。今度は『ゆるっと』もいいかもしれないね。僕は最後に温泉にいったのはまだ学生の頃だったよ。就職してからは精神的な余裕が全然なかったから」
「ブラックだったんだっけ」
私の言葉に智哉は何ともいえない表情を浮かべてうなずいた。私の勤めたところでもブラックなところはあったけれど、扱いが酷いなと思ったらすぐに辞めた。智哉はブラックな企業で働き続けていたのだから、肉体的にも精神的にも疲れきっていただろう。実際、帰ってきたばかりの智哉は疲れた顔をしていた。よくもまあ、そんな状態で働き続けたものだ。
窓の外の景色が過ぎていく。私はちょっとだけ窓を開けて、たばこに火をつけた。
「ていうかさ、智哉。もう少しスピード出ないかな」
「え、これでも頑張っているんだけどな。うん、スピードは制限速度ぴったりまで出ているし」
「もしかして智哉って、制限速度ぴったりで走りたいタイプの人?」
「どちらかというとそうなるのかな。制限速度って決まっているんだから、出来るだけぴったりで走りたいと思うよ。それが周りに迷惑をかけない一番の方法だと思うし。あかりは違うの?」
「ああ、私は郊外だとちょっとオーバー気味に走るタイプ。市内では制限速度守るけど、郊外はほとんど誰もいないし、バレなきゃいいだろ精神で。あ、でも免許はちゃんとゴールドだよ」
「なるほどね。あかりらしいといえばあかりらしいけど、気をつけて運転してね。出来れば制限速度を守って」
「分かってるよ。心配ありがと」
道の途中で休憩所を見つけたので、そこの自動販売機でそれぞれ水を買った。ちょっとだけ休憩をとる。目の前は広い海だ。今日は天気がいいので波が光を反射して綺麗だった。智哉に誘われて、海を入れた二人の写真を撮る。本来、私は写真というものが苦手だ。写りが悪いのだ。どう表情を作っていいか分からないままシャッターを切られて、微妙な写真になるのがいつものパターンだ。でも、今回はわりとマシな顔をしていた。変な顔をしていたら消してくれといおうと思っていたのだけど。
私たちは車に戻り、再びまっすぐに延びた道をいく。対向車見えないし、前後にも車はいない。海の見える景色を二人で満喫していた。
「そうだ。悠里は奈々のところに通ってるのかな」
「毎日ではないけど通っているみたいだよ。おかげでうちのごはんはだいたい悠里の試作品になってるよ」
「試作品って?」
「奈々に失敗作食べさせられないからって、家で練習してるんだよ。出来た料理は全部食卓に上がるんだよ。もったいないからね」
「なんだ、練習してたんだ。ちょっとしか料理出来ないって聞いてたはずなのにおかしいなって思ってた」
「最初は焦がすわ、火の通りにムラがあるわで、僕たちは罰ゲームでもさせられている気分だったよ。でも、今はだいぶ上手くなってきたよ。悠里の真心が届けばいいなと思うよ」
「そうだね」
そんな話をしているうちに、温泉施設『朝焼け』に着いた。二人きりのドライブは少し緊張したけれど、会話も途切れなかったし、まあまあよかったんじゃないだろうか。後部座席から温泉セットを取って、車から降りる。そのとき、ふっと長い髪の女の子が視界を横切ったような気がした。駐車場は空いていて、車はぽちぽち止まっているものの、人は見あたらない。もしかしたら、智哉の守護霊がついてきているのかもしれない。智哉の守護霊は髪の長い少女だ。服までは見えなかったから、確信は持てないのだけれど。未崎と仲の悪い守護霊か。これが問題にならなきゃいいなあ。