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第16話 温泉からの帰り道。

 温泉から上がった私は、着替えて髪を乾かしていた。ゆっくり入ったつもりだけれど、もともとがカラスの行水タイプなので、そんなに時間は経っていないように思う。支度を済ませて女湯を出るが、智哉はまだ上がってきていないようだった。仕方がないので、自動販売機で瓶入りの牛乳を買って飲むことにした。瓶の牛乳は何故だか美味しく感じる。飲み終えても智哉が上がってくる気配がないので、マッサージチェアに座ってみた。たいして疲れているわけでもないのに、マッサージは気持ちいい。あまりにも気持ちよくて眠りそうになったときに声をかけられた。


「あかり、先に上がっていたんだね」

「ああ、私はカラスの行水だから早いんだよ。もうすぐマッサージ終わるから、ちょっと待ってて」

「うん、わかったよ。というか、あかり。髪の毛はちゃんと乾かさないと風邪引くよ」

「大丈夫大丈夫。最近暖かくなってるし、寒かったときのために上着も持ってきているから。心配性だなあ、智哉は」


 マッサージが終わって、施設内にある食堂でカツ丼とラーメンを食べてから帰路につく。外に出ると、陽は暖かいが海風は少し冷たくて、頭の中がすーすーした。智哉のいうとおり、髪の毛はちゃんと乾かした方がよかったのかもしれない。今思ったところで戻れるわけでなし、車に乗ってしまえば気にならなくなるだろうから放っておこう。売店で帰り道で飲む用の水を買って車に乗り込む。智哉の運転はゆっくりだが丁寧なので安心感がある。私の雑な運転とは違うのだ。私はとりあえずたばこに火をつけた。


「智哉ってさ、休みの日とか何してるの?」

「んー、何ってことはないかな。本読んだり音楽聴いたり、テレビも見るしぼーっとしたりくらいかな。割合としてはぼーっとしてることが一番多いと思う」

「本読んだり音楽聴いたりなら、結構多趣味なほう?」

「いや、逆だと思う。本っていっても、特に好きな本があるとか読書が好きってわけでもないし、音楽も同じだよ。無趣味なんだよね。あかりは趣味あるんでしょ?」

「いやあ、パチンコと競馬くらいかな。今日は家に帰ったらダービーの動画見なきゃいけない。趣味ってほどの趣味でもないよ」

「でも好きなんでしょ」


 うなずくと、智哉は悠里と話が合うわけだと笑った。ちょっと寂しそうな笑いに見えるが、気のせいだろうか。しかし、智哉って昔から無趣味だっただろうか。確かに、自分からあれして遊ぼう、これして遊ぼうという子どもではなかった。けれど、遊びには必ず加わっていたし、楽しそうにもしていた。無趣味とは思えなかったんだけど。それとも、ブラック企業で働いて疲れるうちに、自分の趣味も見失ってしまったとかそういうことなのか。


「子どものときは普通に遊んでいたし、無趣味ではなかったよね」

「それが、無趣味だったんだよ。周りに合わせて遊ぶことは出来たし楽しかったけど、自分からしたいことがなかったんだ。好きなこととか。みんなみたいにゲームが好きとか、歌手が好きとかそういうことがない子どもだったんだ」

「そりゃ、可愛げのない子どもだなあ。おじさんとおばさんは苦労しただろうね。プレゼントに何をあげていいか分からない」

「本当にそうだよ。だから、僕がもらうものってだいたい他の子が好きそうなものだったなあ。ゲーム機とか。だからみんなと交ざって遊べたんだけど。その点では感謝しかないよね。でなきゃ、仲間外れにされていたよ」

「なるほどね。今からでも、何か趣味が持てるといいよね。何か一つあれば結構人生潤うよ」


 私は短くなったたばこをもみ消して、次のたばこに火をつける。智哉はまっすぐ前を見て運転していた。趣味がないのってどうだろう。私のだって趣味といえるのかというとどうかと思うし。パチンコと競馬以外のものはそれなりには興味があるけど、それなり以上のものはない。今のところは競馬が一番かもしれないな。競走馬のぬいぐるみを買ったり、写真集を買ったりしているし。ここまでくれば流石に趣味といえるのか。他人からはあまり分かってもらえない趣味ではあるが。


「僕はパチンコは分からないけれど、競馬の方は興味あるかも。走ってる馬って格好いいんだよね」

「走る馬は格好いいよ。走るために生まれてきたって感じがして。だけど、そんなことに興味持っていいの?」

「ギャンブルをするつもりはないよ。僕はそういうのには向かなさそうだから。けど、あかりを虜にする馬に興味があるんだ。おすすめの馬とかいるの?」

「んー、いっぱいいすぎてどの馬をおすすめするべきかが分からないな。中継とか見てみて、好みにあった馬を探すのが一番いいと思うけど。最初はこの毛色が好きとかでもいいし、走り方に癖のある馬を探してもいいだろうし、単純に強い馬を応援するのもいいだろうし」


 智哉はそうだねといって、一口水を飲む。私はたばこを再びもみ消して水を飲んだ。智哉は前を見たまま真剣な表情になる。


「ねえ、あかり。今いった通り僕は無趣味だし何の面白味のない人間だけど、よかったら付き合わない?」

「は、いきなり何を」

「前からいおうと思っていたんだよ。それに、あかりも僕の気持ちは分かっていたでしょ」

「そりゃ、恋愛経験のない子どもじゃないからね。分かってはいたけど」

「奈々のことも落ち着いたし、いうなら今かなって思ったんだ。僕と付き合ってくれないかな」

「んー、私でいいのかな。智哉が無趣味なら、私は女としての魅力はゼロだよ。化粧もしなければスカートもはかない、髪の毛も後ろで束ねるだけ。その上趣味はギャンブルだからね」

「僕はそれでいいと思う。それがあかりの魅力だから。僕はあかりのいいところいっぱい知ってるよ」

「んー。後悔しないっていうなら、付き合おうか」


 私がそう答えると、智哉は満面の笑みを浮かべて、ありがとうといった。ありがとうというならこっちの方なんだけどな。前の男がロクでもなくて、半分男性不信に陥っていたんだから。男を信じて付き合える気がしなかった。こうして付き合う決断が出来たのは、智哉だったからなのだ。

 智哉はいった。


「今度一緒に競馬中継見ようよ」


 肯定された気がした。今まで付き合ってきた男って、そういうところを否定する男が多かったから、肯定されると安心する。何だか、十代くらいの恋のときめきが蘇るようだ。しかし、そんな幸せをかみしめる私の視界の隅に映る長い髪の少女。果たして、この守護霊は私と智哉が付き合うということをどう思っているのか。

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