志緒が現れた夜から、私の部屋は大荒れだった。棚が落ちて物が散乱したり、ハンガーが壊れて服が床に落ちたり。幸い、それは私の部屋だけで家族に影響はなかった。棚は何度直しても落ちるので、片づける気力もなくなる。仕方なく、馬のぬいぐるみたちは床に置いておくことになった。原因はどう考えても志緒である。未崎も同じことが出来るだろうが、やる理由はない。この間乗り込んできて、別れさせると宣言したのだから、このくらいはやるのだろう。正直、疲れてきていた。かといって、智哉にお宅の守護霊最悪なんだけど、ともいえずに我慢の毎日が続いている。ことが起こるのは決まって夜なので、寝不足気味だ。そこで、奈々に相談してみたら、レストランにいこうといわれた。お見合いのときにいったレストランである。あそこの店主は奈々のおじさんでそういうことに詳しいのだ。
「奈々、あかりちゃんいらっしゃい。あかりちゃんが困ってるんだって。だいたいの話は聞いているよ」
「忙しいところすみません」
「ああ、大丈夫気にしないで。見ての通り、今お客さんはいないから。飲み物はいつものでいいね。何か食べるかい?」
「食べる物はいらないわ。さっき、あかりの話を聞きながらお菓子食べちゃったから。飲み物だけ」
「じゃあ、アイスティーが二人分だね。ちょっと待ってて」
店内には静かな音楽が流れていて、落ち着いた雰囲気だ。私は奈々と向かい合って、おじさんが戻ってくるのを待つ。外は暗い。店はもうすぐ閉店の時間なのだ。奈々は困ったことになったよねと水を飲む。私はただ無言でうなずいた。志緒が智哉を守ろうとしているのは分かる。智哉の相手として私を認めたくないというのも分かる。分かるからこそどうしていいのか分からない。志緒に認められないから諦めるのかといわれると、そうはしたくないと思う。智哉のような男に出会えるのはもう最後だと思っているから。けれど、あの嫌がらせがなあ。
「お待たせ。で、智哉くんの守護霊が嫌がらせをしてくるんだって?」
「はい。智哉の守護霊は私のことを相手として相応しくないと思っているようで、別れなければ別れたくなるようにしてやるって」
「ずいぶん過激な守護霊だね。もちろん、別れる気はないんだね」
「別れ話をしないものだから、守護霊が嫌がらせ始めたんだって」
「家族は大丈夫?」
「ええ、家族は大丈夫です。私だけに嫌がらせをしているので。部屋の中はめちゃめちゃですよ。寝られないですし」
「それは困ったね」
おじさんはそういって自分用に入れてきたコーヒーを口にする。夜中は寝られないし、部屋が汚いので疲れが倍増である。毎回あゆみに部屋の片づけを手伝ってもらうわけにもいかず、部屋は荒れていく一方。未崎が申し訳なさそうに手伝ってくれるけど焼け石に水だ。まだそんなに経っていないのに、すごく疲れてしまった。
「ねえ、おじさん。その嫌がらせする守護霊って祓ったりできないのかしら」
「祓うことは出来ないね。普通の霊とは違うから。その人を守るものだからね」
「でもやってることは完全に悪霊じゃない」
「そうなんだよね。相手として認められるかどうかはこの際置いておいて、嫌がらせだけはやめてもらわないといけないね。あかりちゃんが疲れてしまう」
「いい方法がありますか」
「あかりちゃんの守護霊はどうしているんだい」
どうしているって、散らかった部屋の片づけを手伝うくらいで、他には何もしていない。そもそも、志緒のことが苦手そうなので、未崎が話を付けるとかいうことはないと思う。もしかして、こういうときに守護霊が働くものなのだろうか。だとしたら、ずいぶんと怠惰な守護霊だな、未崎は。おじさんは腕組みをしてうーんと唸った。これは本格的に困った事態になってしまったのかもしれない。私はアイスティーを飲んで、小さく息を吐く。
「それはあかりちゃんの守護霊が怠惰なんじゃないよ。明確な力の差があるんだ。智哉くんの守護霊は強いみたいだね。本来ならあかりちゃんの守護霊に説得してもらって嫌がらせをやめさせるんだけど」
「無理ですね。相手は人の話全然聞かないですから。私の守護霊なんか完全に無視されてますよ」
「でも、話を聞いてくれない相手じゃどうにもならないわよね。いくらあかりが会話出来ても説得のしようがないわよ」
「そうだねえ」
志緒を説得するのはかなり難しいと思う。会話は可能ではあるけれど、人の話を聞かないタイプだ。おじさんは私の部屋に悪さが出来ないようにする方法はないこともないけど、根本的な解決にはならないんだよねと呟く。私の部屋に対する悪さを止めるのは、悪霊と似たような対処法でいいらしい。塩を盛るとか酒をまくとか。とにかくマイナスの霊力を止めればいいのだそうだ。だが、問題は意地でも別れさせるという志緒の考えで、それを変えさせない限りはいたちごっこになるおそれがある。
「智哉くんには話してないんだっけ?」
「まだ話していないです。いきなり、守護霊が嫌がらせしてきて困ってるっていわれても、智哉も困るだろうし」
「あかりちゃんの守護霊が説得出来ない以上、智哉くんの守護霊を説得出来るのは智哉くん自身しかいないね」
「でも、智哉くんは守護霊とは話せないわよ」
「あかりちゃんがいるじゃないか。あかりちゃんが守護霊の言葉を智哉くんに伝えてあげればいいよ。見えることは見えるんだったよね」
そういう手があったか。確かに智哉は守護霊が見えるタイプで、自分の守護霊も認識している。私が上手く志緒の言葉を伝えれば会話は成立する。智哉の言葉なら志緒も聞くんじゃないだろうか。
「何とか頑張ってみて。守護霊はだいたい親族がなることが多いから、たまに異様に過保護なのもいるんだよ」
「はい。やってみます」
「よかったね、大事な人が出来て。お見合いするって話をしてきたときはどうしようかと思ったよ」
私と奈々はアイスティーを飲み終えると店を出た。あとはどうやって話を進めるかだ。志緒を挟んで会話なんて成立するんだろうか。そもそも、志緒は智哉の話を聞いてくれるのか。そこが不安でならない。もし志緒が本当に誰の話も聞かないタイプだったとしたなら、そこで終わりである。私と智哉の関係も始まったばかりで終わりとなる。嫌がらせに耐えながら付き合っていけるほど忍耐強くはないのだ。