そして次は、役者本人に協力を仰ぐ、段である。
というか、何よりまず問題の礼央に説明しなければならない。
公演前、事務所に呼び出された礼央は、案の定不機嫌だった。本番前、いつものルーティンを崩されることを嫌うらしい。
――颯太くんは特にルーティンを決めないと言っていたけど。
そう自然に考えてしまって、凛は慌てて脳内に浮かんだ颯太の面影を打ち消した。
颯太のことを考えていて同じ顔面で乱暴な言葉を浴びせられると、普通に礼央と応対したとき以上に疲労を感じることに気づいたからだ。
二人は違う人間。何度もそう言い聞かせているのに、顔が同じというのは恐ろしい。
礼央に応接セットの上座に座ってもらい、その反対側に遠慮がちに凛は腰掛けた。
忍は近くで見守っている。藤吉は残念ながら不在だ。
「お、お疲れさまです。実は一点お願いがございまして」
凛が話し始めると、礼央の目がぴくりと跳ねた。
「この度、番手上位のかたに、それぞれ劇団内での担当の色を決めさせていただくことになりました。礼央さんの場合は紫です。今後、その色を使った商品を販売していく予定ですので、礼央さんにもぜひ、積極的に紫を使っていただきたく……」
「は、うぜえ」
吐き捨てられた言葉に凛の肩が大きく震える。しかし負けるものかと凛は真っ直ぐに礼央を見据えた。悔しいかな、相変わらず顔が良い。
――不遜な王を演じた時の颯太くんだと思うのよ、私!
そう言い聞かせて、凛はいっそう大きな声でハキハキと説明した。
「ですが、今回からインセンティヴ……臨時褒賞が出ることになりました。この色を使ったグッズが売れるたび、礼央さんの元に臨時収入が入ります」
「……へえ」
藤吉の言った通り、報奨の話題を出した瞬間、礼央の空気が和らいだ。
金銭には困っていないようだけど、貰えるものは嬉しいのだろうか。思わず疑問を抱いて、慌てて打ち消す。
事情は知ったこっちゃない、とにかく協力してもらわなければ。
「紫で、何の商品を出すわけ?」
「まずはイラストです。人気の絵師さんに皆さんの立ち姿を描いていただいて、それぞれの色で単色刷りします。葉書を予定しておりますが、今後便箋やノートも出していければと」
「ふうん。後は?」
「あとはハンカチと膝掛けを考えています。劇場でも使いやすいですし」
「なるほどな」
礼央が小さく頷く。二人のやりとりを見守っている忍も、緊張を察して息を詰めていることが伝わってきた。
「ま、いいんじゃねえの。どれだけ売れるか知らねえけど」
礼央はそういうと、部屋の棚に立てかけてあった白紙の色紙に手を伸ばした。
凛が不思議に思いながらその姿を眺めていると、
「おい、紫のインキ寄越せ」
「えっ、あ、はいっ!」
慌てて紫のサインペンを渡すと、礼央はスラスラとサインを書き始めた。書き上げた色紙を満足げに見下ろすと、そのまま差し出される。
訳もわからず、凛はその色紙を受け取った。
「ロビーに飾っといたら少しは色の印象がつくだろ。他の奴らにも書かせろよ」
「なるほど……。わかりました! ありがとうございます!」
思いもよらぬ協力に、凛は驚きを隠せない。そんな凛を見下ろして満足そうに笑うと、礼央は颯爽と事務所を出ていった。
「良かったですね……」
その背を見送りながら近寄ってきた忍が、心底安堵したように息を吐いた。
「はい。しかもサインまで書いていただいて。助かりました」
「本来は面倒見のいい人なんですよ、彼は」
「え……」
意外な言葉に、思わず声が漏れていた。
これまでの態度を見ている限り、面倒見が良いとはとても思えなかったからだ。
忍の横顔を見上げる。しかしその表情は穏やかで、わざわざ嘘を言うとは思えない。
忍と礼央は十歳ほど年齢が離れているけれど、劇団で一緒に過ごしてきた時間の密度は、凛が思っているより長いのかもしれない。
それを訊ねようとした時、楽屋事務所の扉がノックされ、穏やかな笑みを浮かべた愁が現れた。
「お疲れさまです。なんだか機嫌の良い礼央とすれ違ったんだけど、どんな魔法?」
くすくすと笑いながら首を傾げる愁にソファをすすめ、凛はまた同じ説明を繰り返したのだった。
愁以下の四人は、礼央と真逆の反応で「面白い試みだね」と喜んで引き受けてくれた。
春は「ピンクか〜。なんか持ってたかなあ」と不安そうだったので、凛は持っていたものの、なかなか使いこなせなかった中折れ帽をあげた。
甘さを湛えた少年のような顔立ちの春によく似合っていて、本人も気に入ったのか毎日被って劇場入りしてくれた。
そうこうしているうちに、絵師が描いた五人のイラストを使ったポストカード、便箋、それに紙袋が完成した。
一ヶ月の公演期間は後半に差し掛かっていたけれど、早い方が良い、ということで早速新作として売り出す。
五人がメンカラを浸透させるべく、それぞれの色を意識した私服を着てくれた甲斐もあって、観客はなんの疑いもなく受け入れて、グッズを購入してくれた。
そして気づけば、それぞれの推しカラーを服や小物にさりげなく取り入れた客が増えていった。まさに、凛の狙い通りである。
本来なら、メンカラを意識したグッズをもっと販売したいところだが、大量生産するには時間がかかるものばかりなので、さらなる新商品は次回公演にまわすことになった。
こうして凛のグッズ作戦が次々と当たっていたある日、それは起きた。