「はーいどうも! ユーユーの温泉チャンネルこと、ユーユーでーす!」
夜の温泉街。
「今回は、岐阜県の名湯・
彼女は入浴剤メーカーに勤め、プライベートでも温泉マニア向けのレビュー動画を配信している、無類のお風呂好きだった。
「イェーイ」
「始まったな」
「今日は
チャンネルに集まった視聴者たちが、次々とコメントを打ち込んだ。
「温泉と言えば、温泉グルメ! 下呂温泉なら、これっ!」
柚菜は、下呂大橋のベンチに銘菓「下呂の香り」の箱と、ビン入りの「下呂牛乳」を並べる。
「wwwww」
「ゲロの香りって」
「絶対酸っぱい」
視聴者たちの茶化しに、柚菜は即座に突っ込んだ。
「こらこら、風評被害禁止! 下呂の香りは、ムチっとした皮の中に粒あんがぎっしり詰まった、超おいしいスイーツなんだからね!」
パクパクと和菓子を頬張り、牛乳を飲み干す柚菜。
「ご覧下さい! 橋の下に、無料の温泉があります!」
河原の露天風呂「
「おっ、脱ぐのか?」
「まさかの公開入浴配信来る?」
柚菜はニヤリと笑い、浴衣の裾をめくった。
スラリと伸びた美脚を、そっと湯に浸ける。
「脱ぐわけあるかーい! ここは足湯専用です!」
昼間に温泉街の射的場でゲットしたカエルのぬいぐるみを抱きかかえ、柚菜は配信を締めくくる。
「下呂温泉は、アルカリ単純温泉。湯あたりは刺激が少なく、まろやかです。お肌スベスベ、美人の湯ですよっ! これからも、いろいろな温泉・銭湯・お風呂の良さを、お伝えしますね! ではでは、またねー!」
◆◇◆◇
王国暦一六一六年、四月二十六日。
「ぐおー……ぐおー……」
「お嬢様! お嬢様!」
「……ぐお?」
十六歳の男爵令嬢、ユーナ・ユトリノは、メイドのリンに揺り起こされ、馬車の中で目を覚ました。 馬車はちょうど、王宮前広場に着いていた。
(なんだろう……今、とても懐かしくて、大切な思い出を夢で見てた気がする……でも、詳しく思い出せない……)
急に起こされたせいか、体と頭がどこかズレたような、ぼんやりとした気分のまま、ユーナは起き上がった。彼女の琥珀色の瞳が、夕陽にキラキラと映えていた。
純白のドレスに身を包んだユーナは、馬車を降りながら、
「ライアン、ありがとう。帰りもお願いね」
「は、はいっ! お嬢様!」
気さくに挨拶してくる同世代の令嬢に、ライアンは耳まで真っ赤にしながら返事した。
今夜、ユーナは社交界デビューを果たす。 王宮で開かれる、第一王子の誕生日パーティーに出席するのだ。
第一王子のユート殿下、
多くの令嬢が、お妃候補の座を狙って集まるだろう。
だが――
ユーナは、全く乗り気ではなかった。
(私は本当は、剣の腕を磨いて、お父様みたいな騎士になりたいのに……)
長髪の護衛騎士ヴァン・ダイノン・トッドが、スッと腕を差し出す。
「急ぎましょう、お嬢様」
「う、うん……ヴァン、頼むね」
ユーナは、ヴァン・ダイノンの力強い腕にエスコートされながら、王宮の門をくぐった。
大広間には、千人規模の人々が一堂に会していた。
(お父様たちは、どこだろう……)
ユーナは大広間全体を見回して、先に王宮入りしているはずの男爵夫妻を探したが、人が多すぎて見つからない。
人波に圧倒され、ユーナは少し気分が悪くなった。
その時だった。
キーンと耳が鳴り、視界がグニャリと歪んだ。
(な、何これ……?)
目の前に白い湯気がモクモクと立ちのぼり、ハイテンションでしゃべる女性の姿が見えてきた。
「……いろいろな温泉・銭湯・お風呂の良さを、お伝えしますね!」
(さっきの夢と同じだ……!)
ユーナが驚くうちに、耳鳴りと視界の歪みは治った。そして、湯気と女性の幻も、スーッと波が引くように消えた。
ユーナの目に、再び大広間のパーティー風景が映る。
その瞬間――
「うっ……臭い! 臭すぎる!」
鼻をつく猛烈な異臭に、ユーナはドレスの袖で口元を覆った。
(えっ……ここ、王宮だよね?)
まるでゲロを拭いた雑巾のような、人々の体臭。それと混ざり合いながら、異臭をかえって悪化させている、強い香水の毒々しい匂い。
パーティー会場は、豪華絢爛どころか、ユーナの目には阿鼻叫喚の不潔地獄絵図と映った。
(どうなってるのよ……この人たち、「オフロ」に全然入ってないんじゃないの? 貴族なのに……って、あれ? そう言えば……)
ユーナは、それまでの十六年間の人生をふと振り返って、
(この世界って、もしかして「オフロ」が……そう、お風呂が、ないんじゃない⁉)
馬車で見た夢、あの女性の姿。あれはきっと、かつて自分が生きた別の世界の記憶だ、とユーナは直感した。
お風呂を愛し、お風呂がないと生きていけなかった、そんな前世の自分。
しかしこの世界には、お風呂文化が存在しない。彼女自身、この世界に生まれ、前世の記憶を忘れたまま育った。
異世界の常識を何ら疑問に思わず、昨日も今日もお風呂を知らず、お風呂に入らないまま過ごして……
真実に気づいた今、ユーナの中で、何かが変わった。
「放して! 私は、こんな所、もう無理っ!」
ユーナはヴァン・ダイノンの腕を必死で振りほどくと、人混みをかき分け、中庭へと駆け出して行った――!