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XII. コルダ割りワイン

 リベラさんの背中を追いながら、通り沿いの回廊をしばらく歩く。


 こうして誰かの背中を追いかけていると、とても落ち着く。この安心感は今は遠くの叔父の面影と重なるからか、それとも何事も考えず、ただ誰かの後をついていくだけで良いという無責任さからなのかは分からない。


 とはいえ人波をものともせず、堂々と闊歩かっぽするリベラさんは、とても頼もしかった。


 図書館で話していたように、何かしら信念を持っていれば、少しは大人に近づけるのかな。


「着いたぞ」


 歩みを止めてこちらを振り向く。


 いくつかの回廊を経由した先、その一画は、図書館と同じように目立った看板も無かった。まるで同じ箇所を行き来しているような不思議な感覚。しかし扉の先から流れてくる肉の焼けた良い匂いが、明確に別の場所であることを教えてくれた。


 食欲を刺激されたからか、再びお腹がググゥと鳴った。


 雑踏の中だから平気だろうと思っていたら、リベラさんはニンマリと見透かした笑顔を浮かべる。


「さ、さ! 入りましょ! 早く」


 途端に恥ずかしくなり、リベラさんをしきりに店の中へと急かした。






 店内は簡素化した図書館といった具合。


 暗色の荒い木材で統一されており、歴史あるおもむきと温かみを視覚的に感じられる。そのせいか初めての私でも肩に無駄な力を入れずに済んだ。


 昼時もあってか席は程よく混んでいる。とはいえ学徒の姿はほぼ無く、代わりに上等な服を身に着けた人達が多かった。


「ここにするか」


 丁度よく空いていたテーブル席を見つけ、腰掛けるリベラさん。

 続いて私も対面の椅子に鞄を乗せ、その上に腰かけた。


『重い』


 お尻の下から不満げな声が漏れる。


「(少しの間ですから、我慢してください)」


 机に突っ伏し、リベラさんに気づかれないくらいの細い声で返事をした。


「はーい、何名様?」


 少女の声がこちらに近づいてくる。急いで顔を上げると、一人の少女が駆け寄って来た。給仕の格好をしていることから、ここの店員さんだろう。


 まだ子供のあどけなさが残る顔立ちから、年の頃は14から16あたりだろうか(とはいえ私と比べたら断然大人の部類だが……)。髪は変に脱色しており、黄色みがかった白髪を床まで垂らしている。


「よぉパッセル。二人だ」


「ぉあ、リベラさん、久しぶりで……ぉああ! 親子!?」


「あ?」


「やだなぁ冗談ですよ。それで、ですか?」


「ああ。量は……見繕みつくろってくれ」


「はーい!」


 溌剌はつらつな笑顔を見せながら、こちらに近寄ってくる。


「いっぱい食べれる?」


 子供に対して投げかけられる幼稚な質問。本来であれば侮辱として捉えるのだが、彼女の屈託のない純粋な表情からして不思議と悪い気がしなかった。


 不思議な感覚に襲われながらも、頷いて了承の意を伝える。


「ふふっ、じゃあ良い子にして待っててね」


 頭をぽんぽんと撫でた後、颯爽と踵を返して店の奥へと行ってしまった。


 一連の出来事がイマイチ呑み込めず茫然とする私は、無意識にまだパッセルさんの手の感覚が残っている頭に触れていた。


「ガキにガキ扱いされたら怒らねぇんだな」


「ガキじゃないですもう大人です」


 ふっと噴き出すリベラさんは「ああそうか」と締めくくった。




「はーい、お待たせぇ!」


 重そうな音を掻き立てながら、パッセルさんが料理を運んでくる。


 慣れた手つきでテーブルに料理と飲み物を置き終え「いっぱい食べてね!」と笑顔を振りまきながら去っていった。


 改めて視線をテーブルに戻す。


 一番目を引いたのは、中央に鎮座する肉の峰。こんがりと焼けた断層から絶えず脂が染み出しており、全体には塩の荒い粒が雪のようにキラキラと輝いている。


 辺りにはまきいぶされた香ばしい匂いが強く漂い、呼吸をするたびに食欲を刺激された。


 リベラさんはナイフを使い、肉を骨から綺麗に切り離していく。やがてお皿の上には、お肉とT字の骨とに分かれた。


 手持無沙汰だった私は、なんとなく飲み物を手に取り口を付ける。


「!? (ぅぷえぇぇ゛ぇ)」


 口中に含んだ瞬間、舌が焼けるような違和感に襲われ、思わずコップの中に吐き出してしまう。


 取る方を間違えた。


 強烈な後味を押し流すため、そそくさと別のコップと取り換えて豪快に飲んだ。


 ふぅ。

 ようやく一息つけた。


 一時はどうなる事かと危惧したが、飲み込んでしまえばどうということは無い。無事に問題を解決し終えた頃、頑張ったご褒美と言わんばかりに、切り分けられた肉が置かれた。


 わざわざ食べやすいように、薄く均等に切られている。断面図はほんのりとピンクに色づいていて、こうして眺めるだけでも柔らかさが伝わってくる。表面に振りかけられた粗塩は、肉の魅力が結晶化したかのようだった。


 先程から美味しい匂いに当てられているせいで、もう我慢の限界だった。


 さっそく一枚を摘まみ上げる。


 優しく触っているというのに、お肉からは多量の汁がしたたっていた。このままお皿に捨てるのは勿体ないので、すかさず口に頬張った。


 おぉ。


 まさに肉の果実。適度な弾力があり、噛めば噛むほど肉汁が溢れてくる。その量たるや随時飲み込まなければ口から溢れてくるほどだった。


 ンムィ、ンムィ、ンゴン。


 咀嚼そしゃくする喜びを十分に堪能し、ゴクリと呑みこむ。本来ならば食事の終わりとも言うべき出来事には、まだ続きがあった。


 おぉ!


 喉元から鼻孔に掛けて、嚥下えんげしたはずの肉の香りが昇ってくる。お酒を誤飲した時とは全く違う神秘的な体験に、心底感激した。


「どうだ」


「お、美味しいです! 凄く!」


 感動の爆発がリベラさんにも伝わったのか、彼女は満足そうな表情を浮かべた。それから照れ隠しも兼ねてなのか指先でコップの縁を何周かなぞった後、力なくコップを持ち上げ……


 ……何の気なしにゴクリと呑んだ。

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