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XXI. 大切な人

 開け放たれた黒い扉。


 図書館の看板とも言うべき大扉を眺めてみると、様々な感情が押し寄せてくる。


 思い返せばキリがない、まさに苦悩の連続だった。迷った挙句にパティナさんを見つけてしまい、いるかどうかも分からない人探しをさせられて、極めつけにはあのリベラさんに自分の唾液まで飲ませてしまう。


 やりたくないことはやりつくし、逃げ出すことすら叶わない、悪夢のような一日だった。


 途中授業に連行されたりもしたが飲ませた唾液がようやくここで実を結び、兼ねてより詰んでいた人探しに解決の糸口が現れる。


 あとはパティナさんが持つ拒否不可能の命令でもって強制捜査をすればいい。


 ようやく終わる。

 もうすぐ終わる。


 何度も自分に言い聞かせ、重たい足を動かした。




「(あの、パティナさん)」


 大扉からまだ二、三歩も進まぬうちに言い知れぬ不安に駆られてしまい、つい口から漏らしてしまう。声に出してしまったのはいいとして、鞄からは肝心な返事が来なかった。


「(パティナさん?)」


『……ぁ? ああ、どぅした』


 欲しかった声がようやく届く。しかし当の本人はと言えば、つい先程まで微睡まどろみの中にいたかのように言葉の端々がやけにぼやけていた。


「(大丈夫ですか?)」


『……知らぬ間に眠てぃたようだ。心配ない』


 呂律の鈍さに不安がさらに加速する。


 仮にこのままリベラさんに会ったとしても、パティナさんが本当に命令をしてくれるのだろうか。今のように寝過ごされてしまったら、それこそ全てが無駄になる。


「(パティナさん、私が合図をしたらすぐ“命令”をしてほしいんですけど……)」


『なぜ』


「(なぜって……)」


『あやつの声がすれば、言われなくともしてやる』


「(それならありがたいんですけど……)」


『我輩を信用してないのか?』


「(……肝心な時に寝られたら困るんです。さっきも『気づいたら寝てました』って言ってましたし、それに、パティナさん。凄く疲れてませんか?)」


 二言三言ことばを交わしてみて分かったことある。それはパティナさんの疲労度だ。本の姿のままなのに何故かどっと疲れているようだった。先ほどから口を開くにも一呼吸を入れ、言葉を発するにも息が切れてしまっている。


『……疲れてない』


「(疲れてますって)」


『疲れてなどな――』


 ――激しい咳を繰り返す。

 それから息を整えるのも絶え絶えだった。


『……わ゛かった』


 病床にしている病人と話しているようだった。なんとも不安要素は残るものの、これで失敗する可能性を少しでも無くすことが出来た。


 作戦は奇襲。

 有無を言わせぬ速攻だ。


 恐らくリベラさんは受付にいる。悠々と椅子にもたげる彼女に対して、私は奇襲を掛ける。そうやって彼女の反撃も受けることもなく、隠された部屋まで案内してもらう。


 よし、これだ!


 計画が具体的になればなるほど不思議と自信が湧いてくる。


 一の足、

 二の足、

 三の足、


 次々に歩みを進めていき、ついに目的の受付の前まで辿り着く。


 あとはここから勢いよく飛び出して、合図を送り、パティナさんの命令を実行させるだけ。


 呼吸を整え、覚悟を決める。


 そして勢いよく飛び出し――


「――はい!」


『動くな!』


 よかった、パティナさん起きてた。


 これであとはリベラさんから、秘密の場所を案内してもらって……


 ……あれ?


 どういうわけか体が動かない。


 目の動作を確認するように焦点を受付の奥へと向ける。するとそこにはあろうことか誰も座っていなかった。


『やったか』


「(いや、あの……ごめんなさい。私の体が動けるように、命令して頂けると助かります……)」





 困った。


 困った。


 非常に困った。


 頭の中では今頃とっくに秘密の部屋に着いているのに。


 現実ではそうもいかず、いつまでも受付から動けずにいた。


 時刻はもうすぐ夕方に差し掛かる。早め早めの夕食を取るのでなければ、リベラさんはまだ館内のどこかにいる可能性がある。


 その“どこか”が問題なのだが……。


 ここは図書館、ルパラクルが誇る大学図書館だ。蔵書の数も計り知れない、まさしく本の都市と呼ぶべき場所だ。そんな広大な施設の中でたった一人の人物を探すとなると、それこそ私達がこれまで奔走していた人探しとなんら変わらない。


 ならいっそ確実に帰ってくるこの受付で、図書館の主を待つべきか……。


 いやダメ。


 確かにそのうち待っていればそのうち会えるかもしれない。けれどそれがいつになるのか分からない。運が良ければすぐさま出会えるだろうが、運が悪ければそれこそ閉館まで待たなければならないだろう。


 故意ではないにしろ実質パティナさんを盗んでしまっているため、事件が発覚するよりも前に彼女を元に戻さなければならない。明確な刻限は無いにせよ、首に巻かれた縄は遅くとも確実に締め付けを強めていた。


 一の望みを掛けて廊下の一つに目をやる。どこまでも続く長い道。その両側にはズラリと棚が列をなしている。鬱蒼とした書架の獣道を蝋燭ろうそくにも似た淡い光が点々としている。薄気味悪い廊下には彼女の姿はおろか人の影すらなかった。


 行くべきか、このまま待つべきか。


 こうして悩む時間も惜しい。


 ……やっぱり行こう。


 背中に伸びる不安を振り払いたい一心で、とにかく足を動かした。




「よぉコルダ、また調べものか?」


「へぇ?」


 何が起こったかよく分からない。けれど気づいたらいつの間にか、目の前にあのリベラさんが立っていた。辺りを軽く確認するも、右も左も棚棚棚。廊下をある程度進んだどこか、ということだけは分かった。


 とはいえ、とりあえず、とりあえずだ。


 現状、目の前にはあのリベラさんが立っている。


 この機会、絶対に逃したくない。


 パティナさん、頼みましたよ。


「はい!」


 これまでにないくらいハッキリと、大きな合図を出した。


「そうか、頑張れよ」


 純朴な笑顔を浮かべるリベラさん。敵意の無い眼差しには全幅の信頼を寄せられるものだが、今の私には彼女の穏やかな表情に疑念しか湧かなかった。


 あれ?

 パティナさん?


 思わず後ろを振り向くも、鞄はキチンと付いてきている。


 ということはつまり……。

 パティナさん寝ちゃった。


 入口からこうなる不安が頭を過っていたため、安全策を講じるべくパティナさんにお願いをした。なのに、なのに、なのになのになのに。


 ここにきて最低最悪の状況に陥ってしまった。これではパティナさんの“命令”が出来ない。


 ど、どうしよう……。


「? どうかしたのか?」


「えっ? あっ、いぇ何でも……」


 まずい、パティナさんの“命令”だよりにしていたから、いざないとなった今手立てがない。かといってこのままリベラさんと別れるのも避けたい。


 どうしよう、

 どうしよう、

 どうしよう、


「……あぁ、分かった」


 ぎくり。


 余りにも動揺していたからか、異常性を見抜かれたのだろうか。それとも、もしかして、パティナさんの盗難がもうバレちゃったとか?


 ヤバい、

 ヤバい、

 ヤバい!


 誇らしげなリベラさんが獲物に狙いを定める猛獣にみえる。私は差し詰め小動物か大好物の肉塊か。生命としての死が間近に迫り血の気は頭の先から足に掛けて蜜のように下り始めた。


「服を新調したんだろ、よく似合ってるぞ」


 あぇ?


 何言ってるんだろうこの人は。


 いきなりのことで動揺してしまう。


 服?

 服?


 服って言ったの? なんでこんな時に限って……あ。


 ふいに目線を下げてみる。いつもはれている服もキッチリと姿勢を正している。


「え? ああ。これはその……訳あって汚してしまったので、綺麗にして……もらいました」


「あぁ、そうだったのか。災難が続くな」


「え?」


「ぶつけちまったんだよ、考え事してたら棚にガツンってな」


 わざとらしく額をさする。目を凝らしてみると確かに少し腫れていた。


 良かった、パティナさんが無くなっているのはまだ発覚してないみたい。


「ほっ……」


「安心する要素があったか?」


「いっ、いえいえ違うんです、その……大事にならなくて良かったなって」


「なら許す。ところでよ、面白ぇ本を見つけたんだが……興味はあるか? なんでも魔法で精神を治しちまおうって内容なんだけ――」


「――えっ! ぜ、是非!」


「まずその悪癖を治さねぇとな」


「うっ……」


 つい反射的に答えてしまった。


 しかしそれだけ私にとって嬉しい知らせだったのだ。そもそも今日のような事件に巻き込まれたのも、この忌々しい方向音痴によるものなのだから、治せる手段があるのであれば是非とも知っておきたい知識に変わりない。


「……でもどうやって治すんです? アエス先生は否定的でしたし、そもそも形が無いんですから」


「形がなけりゃ与えればいい。仮初かりそめの形をな。穏やかな時は丸々しく、怒りの時は刺々しく……」


 リベラさんの言葉に従い、頭の中で想像してみる。


 穏やかな時はマルマルで……

 怒りの時はトゲトゲで……


 雲から粘土へ、粘土から石へ、妄想が形になりつつある中、何故か額には汗がにじむ。


 恐ろしいまでの既視感。

 私はこの図形を知っている。


 それだけではない。渦巻き状のものや、煙のようなものまで。奇抜な形が次々と、刹那せつな的に押し寄せてくる。


 その光景はまさしく、ページをめくる動作に酷似していた。


 私はこの本を知っている。


「あっ……あっ……」


 口は乾き、喉は言葉を忘れてしまう。体は脂汗で隅々まで濡れ、背中には氷にも似た死神の手が触れる。今まで味わったことのない終末感。


 血の気はとうに引いていた。


「なんだよ知ってる顔付きじゃねえか」


 口元はいつも以上にニンマリと、しかし目だけは決して歪めない。


「……ぅあぁあ!」


 眼前の破滅から逃げ出そうと必死に足を動かす。しかし恐怖がすっかり浸透してしまった足はすぐさま膝から崩れ落ちる。


 いつくばりながら進んだ先には、私の鞄が浮いていた。手を差し伸べるかのように垂れている肩掛け紐を、強張る両手でしがみ付く。


 お願い。


 お願いです。


 パティナさん。


 どうか、早く起きてください。


 必死に揺れ動かしているのに鞄の主は目覚めない。それなのにすぐ後方にはカツリコツリと硬質な足音が迫っていた。


「だったら答えられるよなぁ。『奈落へのいざない』をどこへやった!」


「ヒァ、助けて――」


『――動くな!』


 鋭い声が空間を断つ。


 突如と現れた静寂は、しばらくこの場を支配した。息をしているのかすら危うくなる完全な無音。


 助かっ……た?


 試しに指先に力を入れる。すると鈍くはあるがしっかりと動くことが確認できた。どうやら体は動かせるようだ。


 安全を確かめるべく身をひねる。


 するとリベラさんは身を屈め、今にも手を伸ばそうとしていた。しかし私に触れる直前で彼女の時間は止まったらしい。


 余りにも突然で、余りにも不自然な体勢に、あたかも彼女を動かす人形遣いが離席したかのようだった。


『どうだ? やったか』


「と……思いたいです」


 恐る恐る顔を窺う。普段は活発に開いていたまぶたも寝起きのように半開きとなり、いつもは輝いていた瑠璃るり色の瞳は粗悪なガラス玉のように曇っている。


 目の前の人物は紛れもなく彫刻と化していた。


『よし、では早速はじめるとするか。おい、隠してある部屋を教えろ』


「……ここだ」


「え?」


 突飛な質問に思わず首を回す。冷静さを取り戻せた今だからこそなのか、ここがようやく内的魔法を取り扱う区画であると気付く。それに私が『奈落への誘い』を見つけ、パティナさんと出会った場所と丁度同じ列にいた。


 しかしそれでも、いやだからこそ、最大の疑問が生まれる。


『コルダ、あの人の痕跡はあるか?』


「あるっていうか。ここ、いつもの図書館です。部屋なんてどこにも無いですよ」


『? むぅ……では、我輩たちを案内しろ』


 不自然に屈めていた身をようやく起こす。リベラさんが退いたお蔭で私もようやく体を起こせた。それから彼女はぎこちない手つきで以て自身の胸元から何かを取り出す。


 鍵だ。


 男性の指ほどある頑丈な鉄鍵は、経年劣化の激しさも相まって玄関の大扉を彷彿とさせる。けれどここには図書館内。それも棚が立ち並ぶ廊下の一角だ。鍵穴に差す動作をしているようだが生憎ここには扉はおろか錠前さえ――


 ――ガチャリ


 あぇ?


 鍵をひねるのと同時に、視界が、世界がぐるりと回る。


 頭を揺さぶられた不快感を取り払おうとしたところ、館内の空気がガラリと変わった。


 埃とカビの湿気しけた臭い。嫌な臭いに誘われて悪夢が瞬時にやってくる。


 ここだ。

 ここだ。

 私が迷い込んだのは。


 棚の配置も廊下の幅も、照明の位置まで全て同じ。でもここにしかない物と言ったら……。


 少しずつ視線を真横に移す。


 棚との間にソレはあった。埃にまみれた床の上で、静かに棚へと寄り掛かる大型本。脱色しきった分厚い表紙は忘れようとも忘れられない。直近で受けた詰問の原因でもある『奈落への誘い』だった。


 存在しないと思われていた幻の部屋に、とうとう踏み込んでしまった。妄想と現実との狭間にいた私を、忌々しい巨白の本はその実体で以て醒ましてくれた。


 じゃああの本の先にあるのは……。


 何かに導かれるように、書架の間を抜ける。


 埃が雪のように舞い散る中、件の机がそこにあった。閲覧用の大机。ここでは訪れる人も居ないのか、降り積もった埃が層を形成するほどだった。一度目にしているとはいえ、改めて見ても身の毛がよだつ。


 ここまで来たからには、手ぶらで帰る訳にはいかない。尋ね人に繋がる痕跡はたとえ僅かでも欲しかったのだが、ここにきて大きな懸念が生まれる。


『どうだ。手がかりは見つかったか?』


 背後から弱弱しい声がする。鞄に運ばれながらリベラさんも引き連れていた。


「いえ、それが……想像以上に汚くて、掃除しようにも痕跡を消してしまいそうで迷ってるんです」


『何か手は……そうだ。なぁ、ここに出入りできる奴は誰がいる』


「……大学またはこの街の、最高責任者に限ら、れる」


『ではこの場所に訪れた者はいるか?』


「……学長しかいない」


『コルダ! その学長とやらに会わせてくれないか!』


「えっ? あっ、はい……」


 とうとう見つけた大切な人。


 方々《ほうぼう》手を尽くした対価として、それなりの達成感が押し寄せると思われていた。しかし実際にはそんなことはなく、むしろ心の奥底で不安の種が芽吹いた感覚があった。


 私は毎日のように先生の部屋に通っている。


 授業が始まる少し前。先生の入れてくれる美味しいお茶を飲みながら、昨日の愚痴に今日の夢を語っては鐘の鳴る前に退出する。


 他愛のない毎日の繰り返し。


 この何の変哲もない、ささやかな幸せの周期を、本当に手放して良いのだろうか。


『しかし改めて聞いても怪しい場所だ。何の目的あって作られたのか気にならんか?』


「えっ? まぁ、確かにありますけど……」


「……ここ、は封印区。いわくつきの危険物を、外に出ないよう、保管する場所」


 一人でに語り始めるリベラさん。


 焦って顔を窺うも彼女の瞳は未だに濁ったままだった。とはいえ早くも自我を取り戻しつつある。


『では……もし……外に出したら、どうなる』


「……盗めば大罪。除籍に加え、二度と、この地で学ばせない」


 一瞬で頭が真っ白になる。


 大学除籍。

 永久追放。


 理解力を無くした頭の内側で、この二つの言葉が絶えず反響していた。


 思えばこの罪の意識は、パティナさんを持ち出してしまったあの時から存在していた。けれど時間が経つごとに危機感は少しずつ薄れていき、やがては共に連れ歩いていることに慣れてさえいた。


 久しく忘れていた罪の重さが、わざわざ他人の口を借りてまで私に忠告をしに来たのだ。


 逃げられはしない、と。


「あの、パティナさん……」


 強張る唇をやっとのことで動かし出てきたのは、哀願あいがんだった。


『……ああ、分かってる。コルダよ我輩を戻せ』


 え?


 ありえもしない人からの、ありえもしない言葉だった。


 立て続けの出来事で完全に思考が止まってしまっている中、私の体は黙々と鞄からパティナさんを取り出している。


『どうやら我輩は居てはならない存在らしい。我輩が居れば、お前は二度と学べない。そうであろう? あれだけ学びとやらに希望を見出していたお前が、我輩のせいで……我輩のせいで夢を破らなければならないなどと……知るよしもなかった』


「……でも」


『いいんだ。置け。置いてくれ。これでお前は自由になる。我輩はまた眠るとしよう。なに、気長に待つさ。こうしていればまたいつか、あの人も来てくれるだろう』


 今まで聞いたことのないくらい、希望を持った明るい声だった。


 埃の上にパタリと置く。


 これで終わり。

 全て終わり。


 あとはここを離れれば、私はようやく悪夢から解放されるのだ。


 されるがまま、言われるがまま、静かに足を動かし始める。


 一歩ずつ、着実に、淀んだ暗い世界から抜け出す。


 早朝に迷い込んだことから始まった一連の大事件もこれでおしまい。パティナさんは何事も無く安置され、『奈落への誘い』も目が覚めたリベラさんによって発見されるだろう。


 まぁそのあと私は彼女から死ぬほど怒られるのだろうが、除籍に比べれば断然安い方だ。


 また再びの朗らかな学びの日が戻ってくる。足音も碌にならない靴で、そっと現場から立ち去ろうとした。


 ?


 僅かに聞こえる物音に、ピクリと耳が跳ねる。


 砂が少量ずつ落ちていくような、今にも消えそうな淡い音。それもすぐ近くで鳴っているようだ。


 踵を返し、ゆっくりと音の鳴る方に戻っていく。


 だんだんと明瞭になる音。


 それは他でもない、あの大机から発せられていた。


 パティナさん。

 パティナさんだ。


 砂が零れていた音は、やがてすすり泣くものへと変わっていた。それも気づかれぬようにと、必死にこらえて流す嗚咽おえつだった。


 朗らかに別れを告げた彼女の虚像と、別れた後でみせる実像。


 矛盾とも思える大きな隔たりに、私は酷く困惑する。


 気長に待つって?

 埃がこんなに溜まっても現れないのに?


 それもこんなに薄暗くて、寒くて、気味が悪い。こんな、こんな、こんなこんなこんな……


 ……こんな墓場のような場所で。


 逃げ出したくても出来なくて、やりたくないことも全部して、ようやく見つけた大切な人。


 どこにいるかも分かってる。

 私なら、すぐにでも会わせてあげられる。


『なっ、何をしてる! お前、自分が何をしてるのか分かってるのか!』


「分かってます。分かってますよそんなこと、私が、絶対に、会わせてあげますから」


 大丈夫、

 大丈夫、

 絶対に大丈夫。


 だって、会わせるだけなんだから。

 それにもし問われたところで、状況を知った先生はきっと理解してくれるはずだ。


 鞄に急いで突っ込んで、勢いよく駆け出した。


『……ありがとう、ありがとう……』


 鞄に入れてもなお彼女の嗚咽は聞こえてくる。しかし今度は決して悲しみに沈んだものではないと、心の底からそう思える。


 私はこの時、初めて自分の意志で、


 パティナさんを盗んだ。

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