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第28話:Longing and Regret

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インターハイ全国大会、男子棒高跳び予選。

伍代のいるBピットでは4m70cmの3回目の試技が行われていた。

伍代を含む3人の選手が残る中、伍代は3人の内1番最後に跳躍を迎える。

前を行く選手が跳躍を失敗した為、補助員によってバーの掛け直しが行われていた。


(…初めてだ。試合でこんなにも応援の声がうるさいと思ったのは…。)


トラックでは、男子800mの予選が行われていた。

スタジアムには、全国各地から選ばれた上位の記録を保持する各種目の選手たちと、彼らを応援するために駆けつけたチームメイトや観客の歓声に包まれていた。



体内で感じる左腿の痛みと歓声が、時折共鳴したように伍代の内で響いていた。

伍代は珍しく怪訝そうな顔をしながら、助走路で跳躍の時を待っている。

少しでも気を抜けば真っ暗闇に吸い込まれてしまいそうな、そんな感覚が伍代を蝕み続ける。


「…4m70、3回目。」


審判員の声が微かに聞こえた。

伍代は審判員に視線を向け、白旗が振られたことを確認して漸く合図が出されたことを認識した。

トラックレースが激化しているのか、大きくなる歓声にその集中力は邪魔されている。



「…行きまぁぁぁぁぁぁぁっす!!!」



次々と体に纏わりつくような周囲からの影響を振り払うように、伍代はそう大声で叫んだ。


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~ここで終わりたくない。

まだまだ、先へ進める。

この暗闇の先に、追い求めていた光がある。~


手を伸ばして、暗闇の先に小さく光る部分に触れようと必死に藻掻く。

しかし、光は小さく、より小さく離れていく。


~ダメだ、離れないでくれ。行かないでくれ…。~


願えば願う程に、現実は理想とかけ離れていく…。


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精一杯の力を振り絞り、伍代の助走が一歩一歩進んでいく。

ポールの先をボックスに振り下ろし、伍代はその両腕を高く上に伸ばして踏み切った。


(…足りない…っ!!)


踏み切ったと言うよりは、地面を蹴り返したと言うべきか。

幸いにも助走の勢いがあったため、その不十分な踏み切りでも伍代は跳躍に進むことが出来た。


そこから下半身を上部に振り上げてバーの上を狙っていく一連のクリアランス動作は、いつもの伍代そのものであった。とは言え、足りない部分を無理矢理力で押し切っていると言われれば、そうとも言えた…。


伍代の体は、バーの上ギリギリを掠めるように越えていった。

しかし遠くから見ていても分かる程に、そのバーに触れていく胴体。

ポールを離した右手を大きく反らして足掻いてみるものの、胴体と完全に接触していたバーは、激しく撓りながら上に跳ね上がった。




~目の前に広がる青空。ほんの僅かに触れただけで、その景色は崩れ去っていった。

色彩を帯びたその風景も、伍代の目にはモノクロに映っている。


空中からマットへの距離は、4m70cmよりも短いはずだ。

しかし、中々着地しない。スローモーションのようにゆっくり動く景色と落下感。


(…終わったんだ。)


ただ一言、伍代は心のなかでそう呟いた。~



強い衝撃が伍代の背中を襲う。

それと同時に柔らかい感覚が背中を包みこんだ。


足元では軽い何かが落ちる音がする。

ふと音のする方向を見てみると、審判員は赤い旗を上に掲げていた。



インターハイ全国大会予選、伍代は4m60cmの記録での予選敗退という結果を強いられた…。



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インターハイ全国大会、男子棒高跳び予選の全ての試技が終わると、すぐに明日の決勝のスタートリストが公開された。

桐暮、森川、志木、六織、大ヶ樹、江麻寺、高薙、江國、霧島らの名前が連なる中、羽瀬高、伍代の名前はそこには無かった。


羽瀬高ベンチに伍代の姿はない。同時に、桃木の姿も見当たらなかった。

競技終了後、伍代は医務室に運ばれたようだ。


マットから自力で降りるもその後控えテントから彼が自力で動く様子はなく、仲間たちに抱えられる形で彼は医務室に向かった。



「…伍代先輩、肉離れだったみたいだな…。にしても、自分で歩けない程に悪化してたとは…。」


紀良は神妙な面持ちで、若越の様子を伺いながらそう呟いた。


「…だから言ったんだ。無理して良いこと無いって。自業自得だ。」


若越の言い方は怒っているようだ。

自分のアドバイスを聞かなかったことに対する怒りだけではない。


「…俺は絶対、あの人に負けない。確実に、正攻法で勝ってみせる。

無理して自分のチャンスを犠牲にするようなやり方、俺は絶対に認めない。」


そう言う若越の怒りの矛先は、どうやら自分自身、いや自分の父親にも向けられているようであった。


「…お前の気持ちも分からなくもない。ただ、伍代あいつは決して自分のチャンスを犠牲にしてだなんては思っていない。

限られた時間の中で、"今"を全うしたあいつを俺は否定したくないし、誰かに否定されたくもない。

あいつの気持ちは痛いほど分かるから…。」


若越を諭すようにそう言ったのは、音木であった。


「…お前もそのうち分かる筈だ。あいつの思いが。」


音木はそう言い残した。

しかし、若越は納得している様子ではなかった。



伍代の決勝進出を見越し、1泊2日のスケジュールを押さえていた羽瀬高陸上部は、新潟市内に予約したホテルに向かった。

ホテルに向かうバスにも、伍代と桃木の姿はない。

どことなくソワソワした気持ちのまま、若越は走るバスの窓の外の景色を眺めていた。


夕食の時間になっても、伍代と桃木は皆の前に姿を現すことはなかった。

各自部屋に戻り、それぞれが就寝まで自由時間を過ごすことになった。



ホテルのロビーで、若越は1人自販機で飲み物を買おうとしていると、そこへジャージ姿の巴月が現れた。


「…おう、まだ風呂入ってなかったんだ。」


若越はチラッとだけ巴月の姿を見てそう言った。


「…何?お風呂上がりの私にでも期待してた?」


巴月はわざとらしく冗談を言うも、若越の表情は依然強張っていた。


「…何か、飲む?」


若越は巴月の冗談を相手にせず、そう言った。


「…え、いいの?ありがと。」


巴月はそう言って自販機に近寄ると、夏場にも関わらず温かいお茶を選択した。

ガラゴロと言いながら出てきたペットボトルを巴月が取ろうとすると、素早く若越が取り出して巴月に手渡した。

若越と巴月の顔が急接近する。大抵の同学年男子であれば、その時点で胸が高鳴る感覚に苛まれ、頬を赤らめてしまいそうなシチュエーションだが、若越はそうではない。


「…あ、ありがと。」


逆に何故か巴月が緊張していた。巴月はそう礼を言って若越からお茶を受け取ると、若越は何事もなかったかのように硬貨を足し入れて自身の飲み物を選択した。

若越が選んだのは冷たいお茶であった。


「…貸して。」


若越はそう言うと、手渡した巴月への温かいお茶のペットボトルをもう一度要求した。

巴月が恐る恐る若越にそれを渡すと、若越はいとも簡単にクッとペットボトルの蓋を外して再び巴月に渡した。


「…あ、ありがと。」


若越の気遣いに慣れない様子の巴月は、緊張しながら若越に再び礼を言った。


「…ん?ああ、別に大したことないよ。」


若越はまたも何事もなかったかのようにそう言った。


「…跳哉くん…やっぱり怒ってるの?」


恐る恐る、巴月は確信を突いた質問をした。

それは昼間の予選が終わった時から皆が若越に感じていた事であった。

誰しもが、若越をそっとしておこうと触れずにいた事に、巴月は意を決して踏み込む。


「…別に…怒っているわけじゃ…。」


「…伍代先輩のこと?」


食い気味に巴月は攻め込んだ。

俯く若越の顔を覗き込む巴月は、心配そうな表情をしている。


若越は巴月から向けられる視線を外し、沈黙を貫いた。


「…跳哉くんが伍代先輩に感じていること、きっとただの怒りとか嫉妬とかそういうのじゃないと思うの。」


巴月はそう言うと、ゆっくりお茶を喉に通した。


「…きっと跳哉くんに負けられない事、曲げたくない意思があるから、なんじゃないかなぁって私は思ってたんだけど、違った?」


巴月は言葉を丁寧に選びながらも、核心を突く言葉を1つずつ若越に投げかけてみた。

漸く、若越は重く閉ざしていた口をゆっくり開き始める。


「…先輩が言ってたこと、理解できないわけじゃない。

今年の大会に揃うメンバーで戦えることに2度目は無い。この大会が終わったら、引退して棒高は愚か陸上を辞めてしまうかもしれない人だっていることは当然だって。

…だけど、そこに俺はいない。単なる我儘か自己中心的な意見に聞こえるかもしれないけど…。

あの人が戦ってる世界に、俺がいないのが如何しても嫌だって気持ちが表立ってたのは事実かな。」


若越はそう言うと、ペットボトルのお茶を勢いよく飲み干した。

ぷはっと言いながら飲み干した勢いで口からペットボトルを振り離すと、溢れて滴る口元の雫を左腕で拭いながら、彼は見えない何かを必死に鋭い目で睨みつけている。


「それに、無理して大きなダメージを負って、その先のチャンスを0にしてしまう可能性を、俺は身をもって知っている。

…肉体を持って、確かな意志があるからこそ、チャレンジしたり挫折したり、人生に挑むことが出来る。その可能性を狭めてしまうような選択肢が、如何しても認められなかっただけなんだ。」


若越はそう言い終わると何やら悲しそうな表情を見せた。

その視線の先に、見えない何かをぼんやりと眺めながら。

その相手が伍代なのか、桃木なのか、それとも浮地郎なのか…。

その真意は側から見てる巴月には分からなかった。


しかし巴月は、そう言う若越の姿を見て何か満足した表情を見せて、若越の左肩に右手を乗せた。


「…跳哉くんって本当、見た目だけで判断できない男の子だよねっ。」


若越は突然そう言う巴月に驚いて、彼女に視線を送った。

若越が少し見下ろす形で、2人の視線がピッタリと合った。


「…それ褒めてるの?」


若越は少し呆れた表情に変わるも、その視線がズレることはなかった。


「もちろん。…だから…って言うのも変かもしれないけど、私は跳哉くんの味方でいるよ。

もちろん、陸も光季くんも応援してるし味方だと思ってるけど、跳哉には少しプラス。特別ね。」


巴月はそう言うと、若越を鼓舞するように2回肩をトントンと叩いてその場を去ろうとした。

一度立ち止まって振り返り、巴月は若越に一言だけ言い残して何やら少し足早に部屋に戻って行ってしまった。


「…跳哉くん、伍代先輩に負けないでね。跳哉くんは跳哉くんらしく、全力でいる事を私は応援してるから。」


巴月はそう言うと笑顔で若越に手を振った。









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