つい現実逃避で、マーガレットにもお土産を買おう、なんて呑気なことを考えてしまったが、今はそんな場合ではない。
『死よりの者』から逃げて、ミゲルと束の間の休憩をしている最中だ。
ふとミゲルを見ると、ミゲルはここではないどこか遠くを見ていた。
「もしおれが金持ちだったら、孤児にも優しくするのに」
「なれるかもしれないわ。治療魔法を使えるミゲルは将来有望だもの」
子どもの夢を後押しする感覚でそう言うと、ミゲルは私のことをじろりと睨んだ。
「孤児の将来が有望? やっぱさっきのナシ。貴族のお嬢様っぽいわ、あんた」
「どうしてよ」
「現実が見えないにもほどがあるからだよ」
私は何かおかしなことを言っただろうか。
ただ、金持ちになるというミゲルの夢を応援しただけのつもりだったのに。
「治療魔法が使えるなら、今すぐにでも成功するわ。怪我人の治療を行なう仕事をすれば……」
「お嬢様は世間ってものを知らねえんだな」
またしてもミゲルは私の意見をバッサリと切り捨てた。
「なによ。私、おかしなことを言った?」
理由も分からないまま何度も世間知らず扱いをされて、思わずムッとしてしまう。
子ども相手にムキになるのは大人げないが、理由くらいは説明してほしい。
「治療魔法が使える孤児がいるなんて噂になってみろ。すぐに誘拐されて、死ぬまで誘拐犯の金儲け道具だ」
世間知らずと言われた理由を察することも出来ない私に、ミゲルが教えてくれたのは、あまりにも悲しい現実だった。
「そ、それなら、きちんとした家門に自分を売り込みに行くとか……」
「ある日いきなり訪ねて来た孤児を、貴族が屋敷に通すとでも?」
難しいだろう。
通すか通さないかの判断すらしない気がする。
きっと貴族に話が行く前に、使用人が悪戯だと思って帰してしまう。
「じゃあ、私が紹介しようか? うちではそういった事業は行なっていないけれど、学園内にあれだけ生徒がいるんだもの。医療に携わっていて治療魔法を必要としている貴族だっているはずよ」
苦し紛れに提案した。
紹介できるほど仲の良い生徒はまだいないが、まだ、いないだけだ。
それに最後の手段としてエドアルド王子の力を借りれば、貴族の紹介程度はどうとでもなるはず。
……利用するみたいで、エドアルド王子には申し訳ないが。
「ありがたい話だけど、初対面のあんたを信用は出来ねえよ。偽名を使ってたわけだし」
ミゲルは私の提案を断った。
当然だ。
初対面の人間が提案する甘い話に飛びついてはいけないと、孤児生活の長いミゲルは知っているのだろう。
「疑うのは当然よね。あと偽名の件は、ごめんね」
「気にすんなよ。騙し騙されるのはおれの日常だ。お互い様ってやつだよ」
騙されるのが日常だなんて悲しい話だが、それが孤児であるミゲルの暮らしなのだろう。
「じゃあ、もし私のことが信用できるくらい親しくなったら……今の話、考えてくれる?」
「……悪いけど、おれには仲間がいるんだ。治療魔法の使えない仲間が。おれがいなくなったら、あいつらが怪我をしたときに治療する人間がいなくなっちまう。それに怪我を恐れてたら、金を得るのも難しくなる」
仲間というのは、ミゲルが一緒に暮らしている孤児たちのことだろう。
原作ゲームでも、彼らはミゲルにとって家族のような存在だった。
見捨てられるはずがない。
「そう……分かったわ。変なことを言ってごめんね」
「無知なのは仕方ねえよ。お嬢様には縁遠い世界の話だ。お嬢様とおれは、住む世界が違うんだ」
ミゲルに線引きをされた気がして悲しくなっていると、声が聞こえてきた。
人間のものではない、しかしはっきりと聞こえる声。
≪ やっと見つけた。“扉”、会いたかった。会ってみたかった。 ≫
声のする方を見ると、空き家の中に『死よりの者』が入ってきていた。
ミゲルも私も急いで立ち上がり、『死よりの者』から距離を取る。
私たちはすぐに空き家の壁に追い込まれた。
ミゲルは小さいながらも私を自分の後ろに隠そうとしてくれている。
そのことが、『死よりの者』は気に食わないようだった。
≪ “扉”と話がしたいのに、お前は邪魔ばかりする。お前はいらない。殺す。 ≫
あまりにもシンプルで、あまりにも分かりやすい、殺害予告だ。
『死よりの者』がミゲルとの距離を縮めていく。
「ミゲル、私の後ろに下がって」
「それじゃあ金が貰えないだろ」
「お金はちゃんとあげるから、下がって!」
私がミゲルと言い争いをしていた、そのとき。
≪ お前を殺して…………ああ、駄目だ。お前も“こちら側”なのか。可哀想なやつ。 ≫
『死よりの者』がおかしなことを言い出した。
「……こちら側? どういうこと?」
≪ “扉”と一緒にいる人間は、“こちら側”だ。我と同じだ。 ≫
こちら側って、ミゲルが?
どういう意味?
当のミゲルは、身体を震えさせながら『死よりの者』を睨み続けている。
≪ “こちら側”なら、せめて今の人生は楽しむべきだ。死んだら、永遠とも呼べる暗い日々が待っているのだから。 ≫
「ねえ、詳しく教えて! こちら側って何なの!?」
私は何度も尋ねたが、『死よりの者』はこれ以上、何も教えてはくれなかった。
ミゲルのことは眼中にない様子で、私に向かって話し続けている。
≪ その話はもういい。それより“扉”、我と握手して。 ≫
「握手って、え……?」
その後も『死よりの者』は私に対して、推しているアイドルに会ったかのような態度を取り続けた。
しかし私は、それどころではなかった。
だって。
さっきの言い方は、まるで『死よりの者』が――――――もとは人間みたいじゃない。
――――――ガチャリ。