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死神子爵は七度死ぬ
死神子爵は七度死ぬ
りりぱ
ミステリー推理・本格
2025年05月13日
公開日
3.2万字
連載中
 死にたがりの青年子爵の死の謎に、時間を巻き戻す能力を持った死神が挑む。  時は1922年、大正時代。ある冬の朝、軽井沢の別荘に滞在中の銀行家・東條善麿の元に死神が訪れ、お前を明日殺すと宣言する。しかし東條は怯えるどころか大笑いし、ぜひともお願いいたしますと嘯く。  訝しむ死神だが、なんとその夜に死神が手を下していないにも関わらず東條が死ぬ。死神が驚いていると時間が巻き戻り、二人だけが記憶を有したままその日の朝に戻っている。  東條はもうこんなことがずっと続いている、どうかわたしを殺してこの繰り返しから救ってくれと死神にせがむ。死神は否応なく、予期せぬ東條の死の謎を追う。 大正時代、雪密室、タイムループ、叙述と属性は多いですがれっきとした本格ミステリです。謹んで読者諸賢の推理を歓迎いたします。 登場人物一覧 - 東條善麿 財閥華族である東條家の子爵。両親が早くに死去したため若くして爵位を継いでいる。一見物腰柔和な優男だが彼の運営する銀行は苛烈な取り立てで知られており、陰で「死神」と綽名されている。 - 東條小夜子 東條善麿の妻 - 藤原珠名 小夜子の友人 - 久世漣十郎 東條家に先代から仕える執事 - パウロ天堂 全盲の神父 - 三笠伊織 東條家の顧問弁護士 - 雨宮玲 小夜子の主治医 - 黒岩辰巳 小夜子の叔父 - 黒岩相模 小夜子の従兄 - 内藤密 珠名の婚約者 - 死神 東條を殺すために訪れた死神

第一日

第1話

 しらじらとした淡い朝の光の中、おれはゆっくりと目を開けた。冬の冷気の満ちる、薄ぼんやりとした部屋の真ん中におれは立っている。外は分厚く雪が積もり、今もしんしんと天から無数の銀片が舞い降り続けている。この館にひたひたと迫る死の静寂。それに抗うように、室内はほんのりと温い空気をとどめていた。


 隙間から銀色の朝陽を漏らす絹の窓帷カーテン。柔らかな象牙色の壁紙。精緻な飾り彫りの施された南洋材の重たい家具類、白大理石のマントルピース。そっと足裏を受け止める、分厚い青藍せいらんの絨毯。抑えられた色彩だが、調度の豪奢さは容易に見て取れる。おれはかなりの分限者の家に遣わされたようだ。


 おれは傍らの、豪華な金枠にふちどられた姿見を見た。その長鏡は窓から漏れる朝の光を受け、おれの容姿を映した。左眼に大きな傷のある、剣呑な面構えの若い男が映っている。おれは存外に上背があって骨が太く、筋肉の乗った胸が厚い。


 おれは鏡に映る自らの傷に触れた。鏡は固く冷たく、指に死の温度を伝える。頬まで続く無残な傷だ、おれの目はすっかり潰れている。おそらく、これがおれの死因なのだ。してみるとおれは、なんらかの争いの中で命を落としたのだろうか。

 おれの黒い髪はいやに豊かで艶々つやつやとしていて、野生のけだものの上質な毛並みを思わせた。その髪が数房、無残な致命傷に落ちかかっているさまはなんとも不気味だ。おれの姿は多くの人間には認識できないはずだが、おれを見た人間は恐ろしさに震え上がるだろう。


 それでいい、おれは恐ろしくなくてはならない。おれは死神なのだから。


 俺はサイドテーブルの上に置かれている懐中時計に触れた。一見地味だが、磨き抜かれた白銀が全面にあしらわれた、上質な品だ。蓋を開けると針は七時を指している。


 おれの目当ての人間は、白い寝台の中で未だ穏やかな寝息を立てていた。柔らかな枕に少しうねりのある黒髪が広がり、かれはその上で横を向いて眠っていた。

 労苦の倦みを知らぬままぬくぬくと育まれた、白く肌理きめの細かい肌をしている。細く形のよい、よく手入れされている眉、薄い瞼から伸びる長い睫毛、薄く端正な唇、整った鼻筋はきれいな線でおとがいと首筋を滑らかに描いている。寝間着の襟からわずかに鎖骨が覗き、その下でかれの胸は規則正しく上下していた。


 なかなかの美男だ、かわいそうに。お前は明日、おれが黄泉に連れていく。


東條善麿トウジョウヨシマロ――」


 おれは寝台に腰を下ろすとかれの頬に触れ、かれの名前を囁いた。かれのことは何も知らないが、この名前だけははっきりと脳裏に響いている。


 かれの瞼がふるえ、ゆっくりと開いた。睫毛の間で黒い瞳が動き、おれの方を見る。

 かれは跳ね起きた。わずかに後ずさり、己の胸に布団を押し当て、目を見開いて俺をじっと見ている。やがてかれは枕もとを探り、眼鏡を取り出して掛けた。自分の見ているものが信じられないようだ。おれは思わず愉悦の笑みを浮かべる。


「おれは死神だ。明日、お前の命をもらう」


 できる限り低い声でそう伝える。せいぜい怯えるがいい。東條は声も出せず、ただ唇を震わせて浅い呼吸を繰り返している。


「ふ、ふふふふ……」


 唐突に東條が笑い出した。目を見開いたまま、薄く開いた唇から笑い声が漏れる。その声は次第に大きく響き、哄笑へと変わっていく。東條は両の目尻に涙をにじませ、げらげらと笑い始めた。恐怖でおかしくなったのだろうか、実に結構なことだ。おれはいささか憐みを籠めた目で東條をにらむ。


 不意に東條が動いた。大声で笑いながら両腕を伸ばし、おれの首を固く抱きしめる。意外なほど強い力だ。


「やっと、やっと会えましたね」

 東條は喉を鳴らしておれに頬ずりする。かれの体温が熱い。おれの身体は驚きのあまり固まった。

「死神ですか、死神なんですか君は」

 東條は息を吸う間も惜しいとばかりに俺の耳にせがむ。

「では殺してください、今すぐにでも」


 東條は両腕をほどいた。おれの両手を握り、いかにも嬉しそうに振る。

「ねぇ、私はどうやって死ぬのですか?早く殺してください、君を待っていたんですよ」


 東條は頬を紅潮させ、期待に満ちた目でおれを見た。まるで旧い親友に会ったかのような歓待ぶりに、おれは狼狽した。死神に殺してくれとせがむ人間がどこにいる?死の恐怖で狂ったのだろうか。それともおれが来る前から、この男は狂っていたのだろうか。


 わからない。おれが困惑していると、背後から扉を叩く控えめな音がした。

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