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第11話 開戦

 紫の王国は、ルルーの紺の王国の東側に位置しており、紺の王国軍は東方へ向けて行軍を開始した。

 隊列の先頭を行くのは歩兵たち。その背後には、剛健な馬を駆る騎兵隊が続き、さらにその後方には魔導士隊が控えていた。軍の中で騎乗を許されているのは、騎兵や魔導士、そしてキッド、ルイセ、そして王女ルルーの三名。歩兵に関しては、隊長格こそ馬に乗っているものの、ほとんどは徒歩で進んでいた。

 兵たちの行軍に必要な食料や資材に、荷馬車に積まれ、馬に引かれて進む。その音が、軍全体の静かな熱気に混じりながら、戦場へと向かう緊張感を高めていった。


 出発して間もなく、ルイセが魔導士隊の列を抜け、馬を操りながらキッドの方へと近づいてきた。ルルーと共に進むキッドは、その動きに気づき、何か話があるのかと目を向けたが、ルイセは一定距離まで詰めたところで、それ以上は近づいてこない。微妙な間合いに、きっとルルーには聞かせたくない話があるのだとキッドはすぐに察した。


「ルルー王女、ちょっと外しますね」

「あっ、はい!」


 久しぶりの乗馬に少々てこずっていたルルーは、馬の手綱を握り直しながら、ぎこちなくうなずいた。その姿に微笑みつつ、キッドは手綱を引き寄せ、ルイセのもとへと馬を寄せる。


「ルイセ、何か気になることでも?」


 併走する彼女の横顔には、表情こそ変わらぬものの、不満の色が見えた。キッドにもようやく彼女の微細な感情の変化が多少は読み取れるようになってきた。


「王女を連れていくのは、キッド君の判断ですか?」


 静かな口調。しかし、その言葉の奥には、わずかなトゲが含まれているようにも思えた。


「まさか。ルルー王女の意思だよ」


 その答えに、ルイセは珍しく目を丸くさせる。


「……王女自らが戦場に立つ決断をした、ということですか?」

「そういうことだな。そのおかげで、兵たちの緊張は解け、士気もこの上なく高まっている。なかなかたいしたものだよ」

「……そうですか。私の中の王女の評価を、改めなければなりませんね」


 ルイセがこれまでルルーについてどのような評価を抱いていたのか、キッドは少し気になったが、さすがにそれを尋ねるのは野暮というものだった。


「……ですが、私やキッド君に、王女を護衛しながら戦う余裕があるとは思えませんが、いいんですか?」

「ルルー王女が敵に襲われる状況になっている時点で、俺たちの負けだ。まぁ、そうなりそうな時は、その前に、ルイセに王女を連れて逃げるよう頼むことにするさ」

「……そうならないよう、せいぜい私や魔導士たちを使ってください」

「そのつもりだ。……どうだ、ルイセから見て、魔導士たちはいけそうか?」


 その問いに対し、ルイセは少し口角を上げた。


「この数週間、誰が魔導士たちを鍛えていたと思っているんですか?」


 その自信に満ちた返答に、キッドは思わず笑みをこぼした。


「それは心強いな。頼りにしてるよ」


 ルイセは無言で片手を上げると、馬の手綱を引き、再び魔導士隊のもとへ戻っていった。

 彼女の背中を見送ってから、キッドはルルーの隣へと戻る。さっきよりも少し馬の扱いに慣れた様子のルルーが、彼の方に振り向いた。


「ルイセさんは大丈夫でしたか? なにか心配事があるご様子でしたが」


 その問いに、キッドは思わず驚く。

 キッドでさえようやくなんとなくルイセの感情が読み取れるようになってきたところなのに、まだ付き合いの浅いはずのルルーが、遠目からその心情を察していたとは思いもしなかった。


「あれでいて、ルイセもあなたのことを気にしているんですよ」

「むっ、それって私の乗馬が下手で危なっかしいってことですか?」


 ふくれっ面のルルーに、キッドは思わず吹き出した。

 キッドもルイセも、ルルーの戦場での安全を案じていたというのに、本人は乗馬の腕前のほうが気になるらしい。

 危機感がないわけではない。この少女がそれほど愚かではないことは、キッドにもわかっている。ただ、彼女は純粋に信じているのだ。この戦に必ず勝つと。


(俺たちが負けるなんて、これっぽっちも思っていないんだな……。ならば、ますます負けるわけにはいかないな)


 キッドは改めて勝利を胸に誓った。




 野営を挟み、翌日の昼近く。国境付近の丘陵地帯で、ついに紺の王国軍の前方に紫の王国軍の軍勢が現れた。その数、およそ900。揃いの紫の軍旗が風にはためき、甲冑が鈍く光る。

 キッドは馬上から前線を見渡しながら、兵たちの空気が変わるのを肌で感じた。強張る顔、手綱を握る指の力。張り詰める緊張は隠しようがない。


「……いよいよですね」


 隣のルルーがつぶやく。その声は、かすかに震えていた。

 無理もない。

 実戦経験のある兵ですら、敵を視認してからのこの時間が最も神経をすり減らすのだ。それが戦とは縁のない王族で、しかも若い少女ならなおさらだ。

 それでもルルーは、表情を変えずに鞍上に座していた。騎乗の姿勢は少し硬いが、王族としての威厳は保っている。その姿に、キッドは内心で感嘆した。


「大丈夫です。ルルー王女は後方で悠然と構えていてください。俺は俺の仕事をしてきますね」

「はい、ご武運を」


 言葉に込められた真摯な想いが伝わってくる。王族である自分の身よりも、配下である自分のことを案じているのがわかる。

 キッドはわずかに目を細めると、軽く馬首を巡らせ、魔導士隊のいる方へと向かった。

 軍師としてただ指示を出すだけでは足りない。魔導士として自分が強力な駒となるなら、それさえ使う必要があった。

 キッドがルイセのもとへ馬を進めると、彼女はすでに戦闘モードに入っていた。目には鋭い光が宿り、口元にはわずかな緊張がある。


「キッド君、私も魔導士たちもいつでも行けます」


 その力強い言葉に、キッドは静かにうなずいた。


「魔導士隊、行くぞ! 騎兵も、それに続け!」


 号令とともに、キッドは馬腹を蹴る。馬が前脚を上げ、勢いよく駆け出した。

 それに続き、ルイセ、魔導士隊、そして騎兵たちが一斉に動き出す。

 戦いの幕が、ついに切って落とされた。




 紫の王国軍の陣形は、中央に主力となる魔導士150人を固め、その周囲を700人の重装歩兵で囲み、さらにその外に50人の騎兵を置くというものだった。

 これは、重装歩兵で魔導士を鉄壁にガードをしつつ、近づく敵を魔導士の遠距離高火力攻撃で殲滅する、紫の王国における必勝の陣。魔導士の数が勝負を分けるとされる現在のいくさにおいては、理にかなった戦略である。

 これを打ち破る方法は二つ。

 一つは、より多くの魔導士を用意し、さらなる魔法の火力で打ち倒す方法。

 もう一つは、優秀な騎兵を大量に投入し、ある程度の犠牲は覚悟の上で、重装歩兵の守りを突破し、魔導士たちを直接討つ方法。

 紫の王国軍の大将であるレオスは、斥候からの報告を聞いた時点で、すでに勝利を確信していた。

 魔導士の数は150対50――圧倒的に有利。

 騎兵の数は50対100で劣るが、100程度の騎兵が700の重装歩兵を突破するのは不可能。歩兵を加えたところで状況は変わらない。機動力のない歩兵なら、接近する前に魔導士たちの魔法で大打撃を受け、戦う力を失ってしまうだろう。

 つまり、紺の王国軍には勝ち筋がない。

 戦場で対峙した際には、戦力差を見て、敵が戦わず降伏する可能性すらある――レオスはそう考えていた。

 だが、その考えは、次の瞬間に大きく揺らぐこととなる。


「レオス将軍、敵の魔導士が――馬に乗ってこちらに向かってきます!」


 部下の報告に、レオスは一瞬、聞き間違いかと思った。


「何……?」


 眉をひそめ、聞き返す。だが、部下の言葉に変わりはない。

 理解が追いつかず、自らの目で確かめるべく、周囲で守る重装歩兵の中へと進んでいく。そして、戦場の向こうを見て、思わず目を見張った。

 ――紺の王国の魔導士たちが、馬に乗り、互いに距離を取りながら駆けてくる。


「……馬に乗って、……魔導士が先陣を切るだと?」


 レオスの顔に、ありえないものを見たという驚愕が浮かぶ。

 魔導士は本来、遠距離から強力な魔法を放つ戦場の主役であり、最も大切に守るべき戦力だ。彼らを前線に立たせるなど、愚策にもほどがある。

 魔導士は隊を組み、集団で運用することで威力を最大限に発揮し、同時に他兵による護衛を受けやすくするのが戦場での常識であり、定石だった。

 敵の最前線で単独運用するなど、これまでの戦争では考えられない。


「……やつらはどういうつもりなんだ!? ヤケにでもなったのか!?」


 レオスは状況を理解しきれずにいたが、それでも戦略が変わることはない。


「まぁいい。魔法の射程内にまで突っ込んでくれば、我が魔導士たちの魔法でひねりつぶしてやるまでだ」


 敵の意図が読めず、戸惑いはしたが、レオスの表情にはまだ余裕があった。

 駆けてくる魔導士の数はせいぜい50、その後ろに騎兵の姿も見えるが、それをあわせてもせいぜい150。対するこちらは魔導士だけで150を擁する。自慢の魔導士たちの火力の前には、脅威にすらなり得ない――はずだった。

 しかし、その確信は次の瞬間に揺らめく。

 自軍の魔導士たちの射程に入る前に、先頭を駆ける魔導士の一人が馬上で手を掲げた。その手の先から閃光を放ち――


 轟音とともに、紫の王国軍の重装歩兵の中央で、凄まじい爆発が炸裂した。


「な、なんだ今の威力は!?」


 レオスは息を呑む。

 爆風が巻き起こり、鉄の鎧に身を包んだ兵士たちが、まるで玩具のように吹き飛ばされている。戦場に悲鳴が響き渡った。


「くっ……落ち着け! この程度で我が重装歩兵が崩れることはない! もう少しこちらに近づけば、我が魔導士たちの射程内だ! 何倍もの魔法の雨を浴びせてやる! 魔導士隊、魔法準備!」


 内心の動揺を必死に押し殺しながら、レオスは叫ぶ。

 すぐさま魔導士が臨戦態勢を取った。敵があと数十メートル接近すれば、こちらの魔法が届く。そうなれば、勝負は決するはずだった。

 だが――

 敵の魔導士は、こちらの想定通りに進んでこなかった。

 先制の魔法を放った魔導士が、進行方向を斜めに変えたのだ。それ以上こちらには接近することなく、一定の距離を保ったまま、馬を駆りながら紫の王国軍の周囲を旋回し始める。


「……何をする気だ!?」


 レオスの疑念をよそに、その魔導士から次の魔法が放たれる。

 次の瞬間――轟音。

 またも爆裂の魔法が炸裂し、今度は先ほどとは別の位置にいる重装歩兵たちが直撃を受けた。


「な、なんだこれは……」


 レオスの背筋に、これまでにない寒気が走った。

 敵は一直線に突っ込んでくるのではない。こちらの射程に入らない距離を保ったまま、駆け回り、魔法を次々と撃ち込んでくる。

 これは――これまでの戦争にはなかった戦法。

 そして、こちらの戦術が、完全に対応不可能であることを意味していた。



 戦場の大気を切り裂くように、キッドの一撃目の魔法が放たれた。閃光のごとく飛び、敵陣に着弾すると、重装歩兵の間に爆発が広がる。その衝撃を確認すると、彼は即座に馬首を右へと切り、次弾を込めるように魔力を練る。そして、わずかに後方へ振り返りながら、後続の魔導士たちへ鋭く指示を飛ばした。


「各自、この距離を維持しつつ、敵の重装歩兵を削れ!」


 その言葉を合図に、ルイセが魔力を声に乗せ、キッドと同じように爆裂魔法を放つ。燃え盛る火球が敵陣へと吸い込まれ、次の瞬間、轟音とともに爆発した。高熱と衝撃波が範囲に及び、重装歩兵たちの隊列が揺らぐ。

 二人に続いて、ほかの魔導士たちも馬上から魔法を繰り出した。炎の矢、氷の槍、風の刃――それぞれが得意とする魔法を解き放ち、敵陣に降り注がせる。しかし、キッドやルイセのように、撃った後に性質が変化する高度な魔法を操れる者は少ない。爆裂魔法のような複雑な魔法は、強力な反面、深い魔法の理解と高度なイメージ力が必要だ。そのため、ほとんどの魔導士は、扱いやすい単純な魔法で応戦していた。威力も範囲も劣るが、馬上で扱いやすく、連続して撃ち込むには適している。


「いいぞ、そのまま動きを止めるな! 互いに距離を開けて、常に移動しながら打ち続けろ! 狙わなくても当たるぞ!」


 キッドの檄に、紺の王国の魔導士たちは、隊列を固めることなく、集団となった敵の周囲を駆け回りながら魔法を撃ち続けた。彼らの攻撃は、敵陣の中央に布陣する魔導士には届かないものの、周囲を囲む重装歩兵には的確に命中している。

 紫の王国軍の魔導士から、苦し紛れの魔法が飛んでくるが、適正距離外からの攻撃は威力が弱まり、狙いも大きく逸れる。馬を駆って動き続ける紺の王国の魔導士たちに当たるはずがなかった。

 一方、紺の王国軍の魔導士たちも、動き続けながらの攻撃で精度は下がっていた。だが、敵は魔導士を守るために密集陣形を取っている。キッドの言うとおり、狙わずとも誰かしらには命中するという状況が生まれていた。


「ははっ! どこに撃っても当たるぞ!」


 魔導士たちは興奮を抑えきれず、歓声を上げる。初めての戦場、初めての戦術にもかかわらず、彼らには恐れも焦りもなかった。自らの魔法で敵を倒すという経験が、確かな自信となり、彼らを戦う者として成長させていく。


 戦場を支配し始めた紺の王国軍。しかし、一方的に攻撃を受け続けていた紫の王国軍も、ようやく反撃に出た。

 紺の王国の魔導士を討つべく、騎兵を前線へと送り出してきたのだ。

 しかし、それはキッドの想定の範囲内だった。


「判断が遅いな」


 馬上でキッドは不敵に笑う。

 彼はすでに味方の騎兵を前進させ、魔導士たちの護衛に就かせていた。敵騎兵が突撃してくれば、味方の騎兵が迎え撃つ。騎兵の数は紺の王国が優位に立っており、戦力比は100対50。圧倒的に有利な状況だった。

 さらに、万一敵騎兵が味方騎兵を突破したとしても、魔導士たちは互いにカバーし合い、攻撃対象を重装歩兵から騎兵へと切り替えることで対処できる。魔法の集中砲火を受ければ、重装歩兵に比べて装備の薄い騎兵などひとたまりもない。


 実際、紫の王国軍の騎兵は、紺の王国の魔導士たちの容赦ない魔法攻撃と、騎兵の迎撃によって、次々とその数を減らしていった。

 騎兵を失った紫の王国軍は、もはや何もできなかった。ただ外側からの一方的な魔法攻撃に晒され続け、戦える重装歩兵の数を着実に削られていく。


 これこそキッドが計画し、兵たちに訓練させてきた機動魔導士戦術だった。そして、この戦いこそ、歴史上初めて、機動魔導士戦術が用いられた戦いとなった。



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