静かな雪国の夜、月が高く昇る頃、慎一はふと目を覚ました。
夢の中で誰かに囁かれたような気がして、体を起こすと窓の外がいつもより明るく輝いていることに気づく。月明かりが村全体を照らし、雪面に反射して幻想的な風景を作り出していた。
「綺麗だな……。」
思わず呟くと、慎一は窓辺に立ち、外の景色を眺めた。その視線の先に、一人の女性の姿があった。銀髪が月光を受けて輝き、白いコートを纏ったその姿は、まるで夜の中に溶け込むような美しさだった。
「沙耶さん……?」
彼女が村を散策しているのだと思い、慎一は軽く挨拶をするつもりで窓を開けた。しかし、その瞬間、冷たい風が部屋の中に吹き込み、慎一は身震いした。
---
翌日、沙耶が慎一の家を訪ねてきた。
慎一は驚きながらも彼女を招き入れる。彼女は手に温かそうな湯気の立つ瓶を持っていた。
「おはようございます、桜庭さん。お茶を淹れてきたんです。よろしければ、一緒にいかがですか?」
「ありがとうございます。ちょうど少し休憩しようと思っていたところです。」
二人はテーブルに向かい合って座った。沙耶は上品な仕草でカップにお茶を注ぎながら、穏やかな笑顔を見せる。
「この村、とても静かで美しいですね。」
「ええ、都会とは全然違います。こっちに来てから、心が落ち着いた気がします。」
慎一の言葉に沙耶は頷き、少し意味深な笑みを浮かべた。
「そういう場所だからこそ、いろいろなものが見えてくるのかもしれませんね。例えば、普段は気づかない誰かの秘密とか。」
慎一はその言葉に少し引っかかりを覚えた。
「秘密……ですか?」
「ええ。雪国には不思議な話がたくさんありますからね。人間のようでいて、人間ではない存在がそばにいるなんて話も……。」
慎一は軽く笑った。
「そんなこと、本当にあるんですかね?」
「誰にもわからないことです。でも、もしそんな存在がいたら、あなたはどうしますか?」
沙耶の視線が慎一に向けられる。その瞳には、どこか試すような光が宿っていた。
「どうするか……? 特にどうもしないかもしれません。その人が僕に害を与えない限り、普通に接するだけです。」
慎一の言葉に、沙耶は微笑みながらカップを口に運んだ。
「ふふ、桜庭さんらしい答えですね。」
---
その日の夕方、ユキは森の中で沙耶と対峙していた。
沙耶の姿を見るなり、ユキの中にはっきりとした警戒心が湧いていた。彼女が慎一に近づいている理由がわからない。ただの人間であれば、あそこまで慎一を引き寄せるような雰囲気を醸し出すことはない。
「あなた、何が目的なの?」
冷たい声で問いかけるユキに対し、沙耶は余裕のある微笑みを浮かべた。
「目的だなんて大げさね。ただ、慎一さんに興味があるだけよ。」
「嘘をつかないで。あなたが普通の人間でないことくらい、私にはわかる。」
ユキの言葉に、沙耶は肩をすくめて笑った。
「さすが雪女。隠しても無駄ね。」
その一言にユキの表情が硬くなる。沙耶は一歩近づき、ユキの耳元で囁くように言った。
「あなた、自分の力で彼を守れるの? 雪女の力は、人を凍らせるだけでしょ? 彼にとって、あなたは危険な存在よ。」
「……そんなこと、ない。」
「本当に? 彼がもしあなたの力で傷ついたら、あなたはどうするの?」
ユキは反論できなかった。その恐れは、彼女自身が一番よく知っているものだったからだ。沙耶の言葉は容赦なく、ユキの心に突き刺さる。
「あなたに何がわかるの……!」
感情が昂った瞬間、ユキの手から冷気が漏れ出す。雪が一瞬で凍りつき、木々が白く覆われた。沙耶は少し驚いたような表情を見せたが、すぐに冷笑に変わった。
「ほら、これがあなたの本性よ。彼がこんな光景を見たら、どう思うかしら?」
ユキは何も言い返せなかった。ただ、手を握りしめ、自分の力を必死で抑え込んだ。
---
沙耶は優雅に歩み去りながら、振り返ることなく言った。
「彼を守りたいなら、もっと自分をコントロールすることね。さもないと、彼を奪うのは簡単よ。」
その言葉を聞きながら、ユキは雪の中でじっと立ち尽くしていた。彼女の心には、沙耶の言葉が深い傷となって刻まれていた。
「……慎一さんを守らなきゃ。」
しかしその言葉には、自信が欠けていた。