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第5話 沙耶の策略

 雪国での生活にも少しずつ慣れ、慎一は穏やかな日々を過ごしていた。隣人のユキとは不器用ながらも親しい関係が続き、村の暮らしに癒される日々。しかし、その静けさに小さな波紋を広げたのは、沙耶だった。


その日、沙耶は慎一を「散歩に行きましょう」と誘った。月が明るく輝く夜道を歩きながら、彼女は都会では聞けないような興味深い話を慎一に披露していた。研究者としての知識は豊富で、彼女の話には不思議な魅力があった。


「慎一さん、こちらに移住してどれくらいになりますか?」

沙耶が問いかけると、慎一は少し考えてから答えた。

「そうですね、まだ2か月くらいですね。でも、ここの生活にはかなり馴染んできました。」

「それは素晴らしいことですね。でも……。」

沙耶は言葉を少し途切れさせた。月光を受けて輝く銀髪を軽く揺らしながら、彼女は慎一に優しい目を向けた。


「でも、都会にいた頃のことを思い出すことはありませんか?」

「都会……ですか?」

慎一は少しだけ驚いたようにその言葉を繰り返した。沙耶の言葉は慎一の胸の奥深くに潜んでいた感情をそっと呼び起こしたかのようだった。


「ええ。都会には都会の良さがありますよね。たとえば、利便性や刺激的な出会い。それに……将来のことを考えると、都会のほうが可能性が広がると思いませんか?」

慎一はその言葉に少しだけ引っかかりを覚えた。しかし、沙耶の穏やかな口調に気を許してしまい、深く考えることなく答えた。

「まあ、都会の便利さはたしかに恋しいこともありますけど、今はここでの生活が楽しいですからね。」

「そうですか……。」

沙耶は満足げに微笑んだが、その微笑みの裏には別の意図が隠されていることを慎一は気づかなかった。



---


散歩の帰り道、沙耶はさらに慎一の心を揺さぶる言葉を投げかけた。


「ところで、ユキさんとはずいぶん仲が良いようですね。」

「ええ、隣人ですし、とても親切な方なので。」

慎一は少し照れたように答えた。ユキの不器用な優しさや控えめな態度を思い出し、自然と顔がほころぶ。


「ふふ、そうですか。でも、彼女と将来について考えたことはありますか?」

「将来?」

慎一は急に話の方向性が変わったことに戸惑った。


「ええ。ここでの生活が続けば、彼女との関係も深まるでしょう。でも、もしあなたがここを離れることになったら、ユキさんはどうするのでしょう?」

沙耶の問いかけに、慎一は答えに詰まった。これまでユキとの関係を深く考えたことはなかった。隣人としての穏やかな関係が心地よく、そこに大きな変化を求めるつもりもなかったからだ。


「考えたことはないですね……。」

慎一がそう答えると、沙耶は少しだけ残念そうな表情を浮かべた。


「そうですか。でも、ユキさんにとってあなたは特別な存在なのかもしれませんよ。」

「特別……ですか?」

慎一はその言葉に引っかかりを覚えた。


「ええ。だからこそ、慎重に考えてあげてくださいね。彼女にとっても、あなたにとっても、未来を見据えることは大事ですから。」


沙耶の言葉は慎一の心に静かに響き、深い思考の種を植え付けた。



---


その夜、慎一は眠れなかった。

都会での生活や将来のこと、ユキとの関係――沙耶に言われたことが、次々と思い返される。何もかもが順調に進んでいると思っていたこの雪国での生活に、突然、小さな不安が芽生えた気がした。


「僕がここにいることで、ユキさんは本当に幸せなんだろうか……?」


慎一はその答えを見つけられないまま、長い夜を過ごした。





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