ユキは慎一と沙耶が親しげに話す姿を遠目に見ていた。
村の集会所での一幕だった。沙耶が慎一に向かって優雅に微笑みながら何かを語り、慎一がそれに応じて笑顔を見せる。その様子は自然で和やかで――それがユキの心を刺すような痛みに変えた。
「私には、あんな風に笑いかけられないのに……。」
ユキはそっと目を伏せ、集会所の外に出た。冷たい風が頬を撫でる。普段なら心地よいと感じる冷気が、このときばかりは重く感じられた。
家に戻る途中、ユキはふと立ち止まった。月明かりが雪原を淡く照らし、まるで自分がその光に縛られているような錯覚を覚えた。
「沙耶……あの人は何を考えているの?」
慎一に近づいている理由も、その笑顔の裏に隠された意図も、ユキには全くわからなかった。しかし、確かなことは一つ――沙耶が慎一にとって自分よりも親しみやすい存在に見える、ということだった。
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翌朝、ユキは慎一の家の前を掃除する姿を見かけた。彼女はふと、昨日の沙耶との会話が慎一にどんな影響を与えたのか気になったが、聞く勇気が出なかった。自分から近づくべきか、それともこのままそっとしておくべきか――ユキは迷った。
「ユキさん!」
慎一が彼女に気づいて声をかけた。ユキは反射的に顔を上げたが、その瞳はどこか落ち着かず、視線を逸らす。
「おはようございます……。」
「どうかしました? なんだか元気がないように見えますけど。」
慎一の純粋な問いかけに、ユキは一瞬、胸が詰まるような感覚を覚えた。彼が心配してくれているのだということが嬉しい反面、自分の本心を知られたくないという思いが混ざり合い、言葉が出てこない。
「……何でもないです。」
それだけを答え、ユキはその場を去ろうとした。しかし、慎一が後ろから声をかけてきた。
「ユキさん、もし困ったことがあったら言ってくださいね。僕でよければ力になりますから。」
その言葉にユキは足を止めた。振り返ることはできなかったが、彼の言葉が心に刺さるように響いた。「あなたが力になりたいと言ってくれるけど……私がどんな存在か知ったら、きっと離れていく。」
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その日の夕方、ユキは森の中を歩いていた。白く息が凍るほどの冷気の中でも、彼女の体は少しも寒さを感じない。
ふと立ち止まり、手を前にかざす。彼女の指先から冷気がじわりと漏れ出し、地面を白く覆った。
「私は、雪女……。」
呟くように言葉を漏らし、ユキは目を閉じた。慎一の優しい笑顔が思い浮かぶ。しかし、同時にその笑顔が自分によって曇る未来も見えてしまう。
「もし私が彼を傷つけたら……。」
それがユキの中にある一番の恐れだった。彼を守りたい、彼のそばにいたい――その気持ちが強くなるほど、自分の力が彼に害を与える可能性が頭を離れなかった。
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夜になり、ユキは再び慎一の家を訪れた。しかし、扉を叩くことができず、ただ家の前で立ち尽くしていた。
家の中からは、慎一と沙耶が話す声が聞こえる。沙耶の上品な笑い声と慎一の楽しげな返答。その和やかな会話に、ユキは引き返そうとした。
だが、その瞬間、沙耶の声がはっきりと聞こえた。
「慎一さん、ユキさんとはどういう関係なんですか?」
「どういう関係……ですか?」慎一が戸惑い気味に返す。
「ええ。とても仲が良いように見えますけど、ユキさんって少し謎めいていますよね。何か隠しているんじゃないかって思うんです。」
ユキは息を呑んだ。その場に立ち尽くし、心臓が早鐘のように鳴るのを感じた。
慎一は答えなかった。その沈黙がユキの心をさらに不安で覆った。
「まあ、気にしすぎかもしれませんね。でも、慎一さんがここにいる理由や将来を考えると……ユキさんがその妨げにならないといいですね。」
沙耶のその言葉が、ユキに深い焦りを植え付けた。
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ユキは家に帰ると、膝を抱えて座り込んだ。自分の中で渦巻く感情をどうすることもできず、涙が静かに頬を伝う。
「私は……慎一さんのそばにいるべきじゃないの?」
ユキは初めて、自分が彼のそばにいる資格がないのではないかと考え始めていた。
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セクション2のポイント
ユキの心情が大きく揺れ動く様子を描き、彼女の焦りと不安を強調する。
沙耶の慎一への接近がユキの孤独感を深め、彼女が慎一に想いを伝えられない理由を明確にする。
ユキの「雪女としての力」が、慎一との関係を阻む最大の壁であることを再確認させる。