慎一は、最近何かが変わり始めていると感じていた。ユキの存在が自分の日常にとってどれほど大きなものであるかを知る一方で、沙耶の言葉が頭の片隅を離れなかった。
沙耶が話す「ユキさんの秘密」という言葉。それは慎一の中に疑念の種を蒔いた。そして、その種は彼が気づかないうちに、少しずつ成長していた。
その日、慎一はユキの家を訪ねた。理由はない。ただ、彼女の顔を見て安心したかったのかもしれない。いつものようにインターホンを押すと、ドアがゆっくりと開き、ユキが現れた。
「慎一さん……どうしました?」
ユキの声はどこか沈んでいるように聞こえた。最近、ユキが元気のないことが気になっていた慎一は、彼女の様子を伺いながら答えた。
「ちょっと顔を見たくて。迷惑じゃなければ、少し話せるかな?」
「ええ……どうぞ。」
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部屋に入ると、いつもより寒さを強く感じた。ユキの家は普段から冷んやりとしているが、この日は特に空気が冷たかった。
「何かあった?」
慎一がそう尋ねると、ユキは視線を下げたまま、小さく首を振った。
「……いえ、何も。」
その言葉が嘘であることは明らかだったが、慎一はそれ以上突っ込むことができなかった。自分の中にも、言葉にしにくいモヤモヤとした感情が渦巻いていたからだ。
「ユキさん、最近元気がないように見えるんだけど、本当に大丈夫?」
「……慎一さんこそ、最近、沙耶さんとよく会っているみたいですね。」
ユキの言葉に慎一は少し驚いた。確かに沙耶と会話する機会は増えていたが、それがユキにどう影響しているか考えていなかった。
「沙耶さんは……ただの知り合いだよ。彼女がここに来た理由も分かるし、話していて興味深いことも多い。でも、それ以上のことはない。」
慎一は正直に答えたつもりだった。しかし、ユキの表情は曇ったままだった。
「そう……ですね。」
その曖昧な返答に、慎一の中に押さえ込んでいた疑問が再び顔を出した。
「ユキさん、君は……何か隠しているの?」
突然の問いに、ユキの瞳が大きく揺れた。
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部屋の空気が一層冷たくなったように感じられた。ユキは言葉を探しているようだったが、何も出てこない。ただ、うつむいたまま震えている。
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃない。ただ……沙耶さんが言っていたんだ。『ユキさんには秘密がある』って。」
慎一の言葉がユキの心を刺した。沙耶の言葉が慎一を惑わせていることが分かる。けれど、何も言い返せない。自分が雪女であるという事実を打ち明ける勇気はなかった。
「私には……何もありません。」
やっとの思いでそれだけを口にしたが、慎一の視線は冷たく感じられた。彼の疑念が消えていないことが、ユキには分かった。
「本当に? だとしたら……どうして僕には近づかないようにしてるんだ?」
慎一の声が少し強くなった。その言葉に、ユキの心の中に押さえ込んでいた感情が溢れ出しそうになる。
「私は……私は……!」
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その瞬間、ユキの体から冷気が漏れ始めた。部屋の温度が一気に下がり、慎一は思わず身震いした。ユキの周囲には白い霧のようなものが漂い始め、彼女自身も驚いた表情を見せた。
「ユキさん……?」
慎一が一歩近づこうとしたそのとき、冷気が彼の足元を覆った。靴が一瞬で凍りつき、動けなくなった慎一は驚きの声を上げた。
「何だ……これ……?」
ユキは目の前の光景に恐怖を感じ、後ずさった。自分が感情を抑えられなかったせいで、慎一を傷つけてしまうかもしれない――その思いが彼女をさらに追い詰めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
ユキは涙を流しながら叫んだが、その声は震え、慎一には届かなかった。
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そのとき、部屋の外から足音が聞こえた。続いて扉が開き、沙耶が現れた。彼女は状況を一瞥すると、冷たい笑みを浮かべた。
「やっぱりね。慎一さん、これが彼女の正体よ。」
「沙耶さん……? どういうことだ?」
沙耶は慎一の質問に答えず、ユキに向き直った。
「ほら見なさい。あなたは彼を傷つける存在なのよ。それが雪女というものなんだから。」
ユキは反論しようとしたが、何も言葉が出てこなかった。自分が慎一に危害を加えたことは事実だ。
「沙耶さん、それは――」
慎一が言葉を挟もうとしたが、沙耶はそれを遮った。
「慎一さん、彼女と一緒にいる限り、あなたの未来はないわ。彼女を守ることなんてできないし、逆に彼女があなたを傷つける。」
ユキは沙耶の言葉を聞きながら、ただ黙って涙を流していた。慎一はその姿を見て、何かを言いたかったが、どうしていいか分からず、ただ立ち尽くしていた。
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