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3.

 ネーナが受付業務をしていると、馴染みの冒険者である戦士のアレリオがやってきた。このアレリオ、どうもネーナに惚れているように見える。やたらとネーナの仕事を手伝いたがるし、私が受付にいた頃から、対応しているはずの私そっちのけでネーナにばかり話しかけることが多かった。不逞野郎め。


 しかし、ネーナ本人はというと、そういう気配にはめっぽう鈍い。アレリオの思いは、まるで届いていない様子だった。いや、むしろ仲の良い友人ですらないのではないだろうか。ネーナは無邪気なほどに人懐っこいが、それが特定の誰かに向けられることはまだない。


 そんなアレリオが、ネーナのいるカウンターへとやってきた。何やら話しかけているようだが、よく聞こえない。いや、おそらくネーナも聞こえていないのだろう。


 なぜなら、ネーナは依頼書を前に、あーでもないこーでもないと独り言を繰り返しながら、忙しそうに書き続けているからだ。


「ネーナ? おーい、ネーナ? ネーナってば!」


 アレリオが堪えられなくなったようで、ついにネーナを軽く突きながら声をかけ始めた。


「んもう! うるさい! なんですかアレリオさん!」


 邪険そうにアレリオを手で振り払うネーナ。


「ようやく気付いたか。ネーナ、そこ字違う」

「え?」


 アレリオは依頼書の一部を指差した。横からそっと覗き込む。

確かに間違えている。


「あ、ああああ! もしかして全部間違えてる? うそーーーーー。貼ってあるの全部確かめないと!」


 慌ててネーナが立ち上がり、依頼書の掲示板へと急ぐ。その後ろから、アレリオが呆れたように息をついた。


「手伝おうか?」

「大丈夫! 私一人でも。私がちゃんとやるから!」


 アレリオの好意を断り、ネーナがひとりですべての依頼書を確認していく。


 私は思わず目を細めた。こんなに、人に頼るのが苦手な娘だっただろうか?いつも私の後ろから涙目で「手伝ってください」とお願いしていた気がするのだが……。


 もしかして、私が死んだことにより、早く一人前になろうと気負っているのではないだろうか。


 そんなことしなくても、ゆっくりでいいのに……。


 それに、誰かの手を借りることは、決して悪いことではない。


 ただ、ネーナはきっと、甘えたくても甘えられないのだ。誰かに頼ることを、今はまだ『弱さ』だと思っているのだろう。私が生きていたなら、こんな時は肩を叩いて、励ましてあげられたのに。死んでしまったことが悔やまれる。


「そうか? 何かあったら俺に言えよ?」


 アレリオは少し困惑しながらも、その場を立ち去った。


 そして私は、ネーナの背中を静かに見つめた。



   ◇



 その日の夜。


 ネーナはひとり遅くまで残業をしていた。昼間の仕事の後始末が、まだ終わっていなかったのだ。


 私が手伝ってあげられればよかったのに……。けれど、今の私にはどうすることもできない。


 夜中のギルドは、不気味なほど静まり返っていた。灯りはネーナの手元を照らす小さな蝋燭だけ。まるで幽霊でも出てきそうなほどの真っ暗闇……いや、幽霊は私だった。


 ネーナは、眠気と戦うように眼をこすりながら仕事を続けていた。


 ごめんね、ネーナ。私が死んだばかりに、あなたに負担を強いることになって……。


 そんな風に思っていた矢先。ふと、ギルドの表が騒がしくなった。


 酔っ払いだろうか?


 しかし、その考えが頭をよぎった直後、ギルドの入り口が勢いよく開かれた。


 ネーナはその音に飛び上がり、ぎょっとした顔で扉を見つめる。そこにいたのは、覆面を被った四人組だった。影の中からゆっくりと歩み出る彼らは、手に斧や剣を持っている。


 なんだこいつらは? もしかして、盗賊か……?


 まずい、ネーナ! 逃げて!


 私は精一杯叫ぼうとした。しかし、まったく声にならない。


 ネーナを見ると、彼女は盗賊の姿を見たまま、怯えて動けなくなっていた。


「……まだ職員が居るなんて聞いてねぇぞ」

「ちょうどいい。こいつに金庫を開けさせようぜ」

「女! 痛い目にあいたくなければ金庫をさっさと開けろ!」


 盗賊たちが、ゆっくりとネーナのいるカウンターへ向かって歩み寄る。


 逃げなさい、ネーナ! なにしてるの、早く!


 このままではネーナが危険だ。何かできないかと辺りを見回す。しかし、何もできそうなものはない。


 せめて、彼女の逃げる隙を作れないか。


 私は、ネーナの手元にあった蝋燭の火を消そうと、息を吹きかけるような動作をしてみた。

 しかし、一向に消えない。


 ならばと、火を手で包み込んでみた。熱くはなかった。そして、幸いなことに蝋燭の火が静かに消えた。闇が、ギルド内を覆った。


 しかし、それでも盗賊たちは怯むことなくネーナの元へと歩み寄る。


 ネーナ! 早く奥の部屋へ逃げなさい!


 私は奥の部屋へと続く扉に手をかけ、そして、勢いよく開けた。ドアが音を立てて開く。その音に、盗賊たちは身構えた。奥にまだ人がいると勘違いしたのだろう。その一瞬の隙に、ネーナはようやく奥の部屋へと駆け込み、扉を閉じるとがっちりと鍵を掛けた。


「この、女! 逃がすか!」


 盗賊たちは扉に詰め寄り、がちゃがちゃとドアノブを弄り回す。

奥の部屋に逃げ込んだネーナは、机の下に潜り込んで頭を抱え、震えていた。


 このままでは、ネーナの命が危険にさらされる。


 私が何とかしなければ!

 私にできることは何だ? 物を倒すことか?

 しかし、それでは盗賊たちを追い払うには不十分だ。

 では、どうする?


 こうしている間にも、盗賊たちは扉を壊して中へ侵入してくるかもしれない……。


 私は、必死に考えた。考えても答えが出てこない。

 死んでいる私にできることは限られている。


 何もできない!


 いや、そんなことはない。何か、何か方法があるはずだ……。


 その時、昼間ギルドに来ていたアレリオの姿がふと頭に浮かんだ。


 そうだ! アレリオを呼ぼう! 彼ならネーナを助けてくれる!


 この時間なら、彼はいつものお気に入りの酒場で飲んでいるはずだ。


 私は、死んでいるにも関わらず、死に物狂いで壁を貫通し、急いでアレリオのいるはずの酒場へ向かった。


 表通りから逸れた横道を、迷いなく突き進む。障害物はすべて貫通し、目的の酒場まで最短距離で駆け抜ける。


 見えた!


 そこは重厚感あふれる扉の酒場だった。迷わず、私は扉へと突っ込み、すり抜ける。

 酒場の中は、小さく、静かで、雰囲気の良い場所だった。人は少なく、喧騒もなく、まるで時間がゆったりと流れているかのような空間。

 そして、そのカウンター席にアレリオがいた。


 よかった、やっぱりここにいた。


 すぐに彼の耳元へと駆け寄り、ネーナが危険だと叫ぶが、やはり声が出ない。


 しまった。どうやって伝えればいい?


 私にできるのは、たまにものに触れることぐらいしかない。


 ふと、彼の席にあるグラスが目に入った。


 そうだ、これならば……。


 私はグラスに触れようとする。しかし、指は虚しくすり抜ける。


 お願い! ネーナが大変なの! だからお願い、触れさせて!


 かたかたと、グラスが微かに揺れる。


「ん? あれ? グラスが……?」


 アレリオが気づいた! あと少し!


「おや? 地震ですかね?」

「まったく揺れてませんよ、マスター?」


 店員たちも不思議そうにこちらを見ている。


 もう少し……もう少し……!


 そして、遂にグラスが横倒れし、中の液体がカウンターへと散乱した。


「うわ、なんだなんだ?」


 アレリオが驚いて席を離れる。


「大丈夫ですか?」


 女の店員がすぐに布巾を持ってくるが、待って! 少しだけ待って!


 私は零れた液体へと指を伸ばした。


 お願い! 触れさせて!


 指先に熱と痛みが走る。それは耐え難いほどの苦痛だった。今まで感じたことのない痛み。まるで何かが私に拒絶されているような。しかし、今はそんなことに構っている暇はない。今すぐしなければ、ネーナが危険なのだ! 私は耐えながら、指先をゆっくりと動かす。動かすたびに、鋭い痛みが走る。それでも……それでも……。


「……ん? 待ってくれ! なんか零れた酒が……」


 アレリオが、店員が拭くのを制止した。


 今のうちだ!


「……何か文字のように見えますね?」


 男の店員が首を傾げた。


 そうだ! 文字だ!


「ギルド……ネーナ……危険? え、ネーナが!」


 アレリオの目が大きく見開かれる。

 次の瞬間、彼はすぐに装備を掴み、カウンターから立ち上がった。


「マスター、すまない! 勘定は明日払う!」


 そう言い残し、重い扉を勢いよく抜けて出て行った。


 私はその背を見送りながら、震える指をそっと握りしめた。痛みがまだ、じんじんと残っている。


 私も行かなければ……。しかし、なぜか身体が重い。浮くことはできるが、さっきのような軽やかさはない。それどころか、動くたびに身体の奥から鈍い痛みが広がる。


 一体、どうしたのだろうか……?


 それでも、私は動く。ゆっくりと、それでもなるべく早く。ネーナのことが心配でたまらない。


 私は力を振り絞り、ギルドへと辿り着いた。


 静まり返った暗い室内へと入る。ネーナは無事だろうか……? アレリオは間に合ったのだろうか……? 不安が心を締め付ける。


 私は奥へと進んだ。


 カウンターの奥の扉は無残に壊され、砕けた木片が散らばっている。


 嫌な予感が背中を掠める。


 ……まさか、間に合わなかったのか?


 恐る恐る、奥の部屋を覗き込む。


 そこには気絶している盗賊たち。そして、傷を負いながらもネーナを抱きしめるアレリオの姿があった。その腕の中で、ネーナはしゃくりあげながら泣いている。


 ネーナ……。

 よかった……無事だった……。

 傷ひとつ負っていないように見える。本当に……安心した……。


「アレリオさん……ぐず……傷、大丈夫ですか?」

「へっ……これぐらいわけないぜ! 言ったろ、何かあったら俺に言えって」

「……はい。でも、どうしてここへ?」

「ああ、それが不思議なことにな。酒場で酒を飲んでたら、酒が零れて。零れた酒が、文字になったんだよ。『ギルド、ネーナ、危険』ってな」

「それって……もしかして……」


 ネーナは立ち上がり、私の方を見た……ような気がした。


 いや、違う。私の姿は誰にも見えていない。なのに、彼女の瞳はまるで何かを捉えようとしているようだった。


「アリッサ……さん? そこにいるんですか?」


!!!!!!!!


 ネーナ……。


「あの……ありがとうございます……私のこと、見守っててくれたんですね……。でも、もう大丈夫です! 私……アリッサさんから学んだこと、教えてもらったこと忘れてません。これからも精一杯頑張ります。まだまだみんなには迷惑をかけちゃうかもしれないけど……。アリッサさんが安心できるように……私、頑張りますから!」


 ああ、ネーナ……。

 貴女は、私が思っていた以上に強い娘だったんだね……。

 これならば私も、安心できるよ……。


「私、アリッサさんみたいな受付嬢にきっとなります! みんなから頼られるような、立派な受付嬢に……だから……だから……」


 ネーナの涙は止まらず、顔はぐしゃぐしゃになっていた。


「アリッサさん……ありがとうございました……私、私、一生忘れません!」


 ああ……肩の荷が降りた……。

 こちらこそ、ありがとう、ネーナ……。


 私はそっと、ネーナの耳元で囁く。


「もう大丈夫だね。アレリオと幸せにね、ネーナ……」

「えっ?」


 ネーナは驚いたような顔をした。


 私の声が聞こえていたのだろうか。


 聞こえていたら嬉しいな……。


 徐々に、意識に霧がかかっていく……。


 どうやら、私の役目も終わりらしい……。


 最後に見たのは……


 涙を流しながら、それでも最高の笑顔で微笑むネーナの姿だった。


 そして、私は静かに……


 消えていった。



 完


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