不意に、辺りが静かになった。
絶好調にさえずっていた女子生徒も声をひそめる。
「ねえ……誰?」
「すごい美人……」
「わかんないけど、こっち来るよ」
コソコソ言う声が、明らかに煌めいている。
流石に幹も、何か寝てる場合じゃない感じ?……と頭を過ぎった時--ベンチの隣に誰かが座った。
「うそ……なんで?」
「あれ、モブ妖怪イズモンだよね……?」
悪口聞こえてるぞ……と思いながら目を開けると--
「幹……」
囁くように呼ばれた。
隣に、ちょっとそこいらでは見かけないレベルの美少女が座っていた。
「美百合……?」
幹が美少女の名前を呼んだ。
辺りは驚愕のざわめきに包まれる。
「何? モブ妖怪の分際であの美人を呼び捨てた?」
「知り合い? イズモンのクセに」
そんな様々な悪口のミックスベジタブルざわざわだった。
そしてギャラリーはまた固唾を飲んでこちらの様子を窺う。
花京院美百合(かきょういんみゆり)は旧華族のお家柄で、華道家元の娘である。このような下々の一般庶民が通う学校の中庭に、その存在は不釣合いどころか不自然ですらあった。
美百合の傍らには、彼女に日傘を差し掛ける執事が付き添っている。
「ここで何してんの?」
間が抜けているようだが、正直な疑問だった。ナカツカサさんまで連れてさ……と、幹は目をキョロキョロさせる。
「今日は転校手続きに来ました。中務は父の代理で保護者として付き添ってもらいましたの」
「転校? 桃花女子からうちへ?」
「桃花女子だって……!」
「超お嬢様じゃんか」
「ますます何でイズモンと知り合い?」
ざわめいて、また潮が引くように静かになる。
「俺、何かやらかした? 監視強化されるような覚えないんだけど……」
幹が頭をクシャっと掻き混ぜると、美百合は微笑んで首を横に振った。
「会いに来ました」
「は……?」
「幹の側に居たくて……いけませんか?」
「は……?」
「「「はぁぁぁぁ〜?!!」」」
ギャラリーかどよめいた。
混乱する幹とギャラリーを置き去りに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
モブ妖怪イズモンの側に居たくて、麗しのお嬢様が転校して来たというウワサ……いや実話は、たちまちのうちに学校中に広まった。
しかもどんな手を使ったのか、美百合は幹と同じ二年A組のクラスメイトになった。
転校して来た美百合だけじゃない、幹もまた、これまでのモブ生活がひっくり返る「新生活」を迎える羽目になり、落ち着かない数日を過ごしていた。
「幹……」
と優しげに呼ぶ美百合の様子に憧れてか、最近女子生徒は幹を「イズモン」ではなく「ミッキー」と呼んだり呼ばなかったり。立ち居振る舞いも何だか皆お上品ぶっていて、彼女の影響力の大きさはなかなかのものである。
「ん……?」
半歩遅れて付いてくる美百合を振り返ると、彼女はちょっと困った顔をしていた。
放課後。ふたりは連れ立って教室を出て、校舎出口へ向かっていた。
幹が問うように見つめると、美百合は小さく首を傾げた。
「私がこちらへ転校した事、あなたは迷惑だと思っていて……?」
あ……
素っ気ない自分の態度が、美百合を傷付けているらしいと幹にも分かった。
「あ、いや……そういう事じゃないんだ……」
美百合は悲しげな表情で続きを待っている。
幹はポリポリと頭を掻いた。
「俺、ずっと目立たないようにって、そればっかり意識して生きてきたからさ」
幹は、そこに居ても気付かれない、まるで空気のように生きてきた。
地味に寡黙に--実はそこそこ整った顔立ちも、平々凡々とした髪型や暗い表情で隠していた。
上でも下でも目立つのだ。中の中、モブ中のモブでいる事を自分に課した。
目立ってしまったら、厄介事に巻き込まれる。
自分は、人とは違うから。
「そんな俺が、美百合みたいな女の子と関わりがあるとか……そりゃ周りは驚くし、意図せず注目されてしまって、戸惑ってるというか……」
「私みたいな、とは?」
「めちゃくちゃ目立つだろ?」
美百合は両手で口元を押さえて目を見開く。
「まあ……! 私、皆さんの目にはそんな出しゃばりやさんに見えていますの?」
「いや、だからそうじゃなくて……」
綺麗だから……なんて言えねーし!
「は、華やか? ……とか、品があって? ……とか……」
シドロモドロ。
「だから、みんな君に目が行っちゃう。ついでに俺も見られる」
「やっぱり、ご迷惑なのね」
「いや、戸惑ってるだけ……」
何だよこのバカップルの痴話喧嘩みたいなやり取りは!
幹は大きくひとつ咳払いをした。
とにかく、自分の態度で彼女を傷付けてしまったようなので、そこはきちんと誤解を解いておきたい。
「まさか転校してくるなんて思いもしなかったから、驚いたのは間違いない。けど迷惑とか思ってる訳じゃないから。ただ自分の立ち振る舞い方を見失ってるだけだから……」
向かい合って、正面から美百合と目を合わせる。
「変な心配させてごめん」
美百合は思考を整理するように黙ってこちらを見つめ返し、そして、花が咲いたようにふわりと笑った。
「良かった……桃花女子に戻れと言われたらどうしようかと思っていました」
こんな綺麗な笑顔を、まさかの自分に向ける女子が現れるとは……と、幹は少々面食らう。
この人……
クールビューティかと勝手に思ってたけど、ツンデレだったんか?
しかも、今デレ期なの何で?
急に好かれた理由が分からない幹は、複雑な気持ちで不自然な笑みを返す。
こうしている今も、たくさんの視線がこちらを窺っている。
いたたまれなくて歩き出す。
「急ごう……きっと迎えの運転手さん心配してる」
「はい」
転校生の美百合より、自分の方が新しい環境を受け入れるのに時間を要しそうだ、と幹は思っていた。