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第9話 モブの住処

 両親を失ったのは十年前。

 家族三人で山間のキャンプ場で楽しく過ごした帰り道だった。

 居眠り運転の大型トラックが反対車線から突っ込んで来たのは、崖上のカーブでの事。

 小さなファミリーカーは呆気なくガードレールから押し出され、崖下へと転落した。


 一瞬の出来事に、恐怖心すら追い付けないまま転落しながら、幹は自分の体を黒い繭が被うのを見た。

 それが、クラフトの発露だった。


 大きな衝撃は繭に守られたが、大破した車から外に投げ出された。そこで気を失った。


 目が覚めたのは病院のベッドの上だった。


 お母さんは?

 お父さんは?


 訊いても誰も答えてくれない。

 母方の伯母さんが、枕元でただ泣いていた。


 泉森幹、七歳の時だった。




 ひとりぼっちになった幹を不憫に思い、伯母が引き取ってくれたが--

 なぜか疎まれるようになり、別の親戚の家へやられた。

 しかし、そこでもすぐに気味悪そうに扱われるようになり、別の家へ--

 父方と母方の親戚という親戚を、転々とたらい回しにされる事となった。


 おじさんやおばさんは、どこか怯えている様子だった。

 その恐怖心が異能への偏見から来るものであり、自分は異能力を周りに気付かれないよう用心すべきだったのだと悟った時には、幹は児童養護施設に居た。


 目立ってはならない。

 自分は普通ではないから。


 モブでいる事は、幼い幹にとって生きる術だったのだ。




 なぜ自分ひとり生き残ってしまったのか。

 なぜあの時、この異能の力は両親を守る事が出来なかったのか。


 どうしようも出来ない悲しみと後悔を、奥底の箱に閉じ込めるようにしながら年月は流れた。




 高校生になった幹は、小さなアパートを借りて一人暮らしをするようになった。

 事故相手の運送会社から保証を受けていたし、両親の遺した保険金もあったので、元々やっていけないわけではなかった。

 そこへ更に、政府異能管理部に目をつけられファイターとなり、自分で稼ぐようにもなった。

 息を潜めるように窮屈な思いをしながら誰かの保護を受けなくても、一人でちゃんと生きていける。

 静かに慎ましく--地味で寡黙なモブらしい快適な日々を、幹はやっと手に入れたのだ。






 近所のコインランドリーで洗濯が終わるのを待ちながら、幹はそっとため息をついた。

 見慣れた制服の女子が、最近この辺りによく出没するようになっていた。

 今日も先程から視線を感じている。向かいのコンビニに数名、張り込み隊が居るようだ。


 モブの住処など、一体誰が知っていたのか。

 いつの間にかアパート周辺に人が集まるようになってしまっていた。


 静かで慎ましい幹の快適な日々が、失われるのも時間の問題だった。




「まあ。お家の周りに?」

 美百合が眉根を寄せて言った。

「君の方は大丈夫?……って、花京院のお屋敷はセキュリティ完璧だよね」

 アホな事訊いた……と頭を搔く。


 美百合の場合、登下校は送り迎えの車だし、何となく世話を焼く幹が、車を降りた正門前から教室まで付き添っていた。

 美百合が誰かに守られないと心配なただの「深窓の令嬢」でない事は皆の知るところとなったし、下手な手出しをするような命知らずが校内に居るはずもない。つまり、ナイトが必要という訳ではないのだけれど。


 今朝もこうして連れ立って歩きながら教室を目指している。


 と--

 美百合が何かを思い出したように、手で「待って」という動作をした。数歩離れてスマホで通話を始める。




 美百合の電話の内容が、自分に関係する事だと幹が知ったのは、その日の放課後だった。


 いつものように花京院家の車の前で別れようとしたら、美百合に引き止められた。

「乗って」

「え……?」

「いいから。どうぞ」

 シートの隣をトントンしてみせる。


 よく分からないが、何か思う事があるのだろう。

 とりあえず話を聞いてみようと、幹は車に乗り込んだ。


「先に謝っておきます」

 車が走り出すと、美百合が言った。

 ちっとも申し訳なさそうには見えなかったが。

「なに……?」

 気味悪くなって幹が身構える。


「勝手にあなたのアパートを引き払ってしまいました」

「はぁ?!」

「ああ、ご心配なさらないで。荷物は全て、新しい住まいに搬入済です」


 いや、そういう事じゃなくて……!


「な、何が起こってんの……?」

 怖い怖い……と、幹は身震いする。

 新しい住まいって、ナンデスカ?


「だって……」

 美百合がちょっと膨れてみせる。

 この非常事態に不謹慎だが、クソ可愛い。


「幹のお家の周りを女の子がたくさん取り囲んでいるだなんて……そんなの心配になるでしょう?」


 ナンデスカソレ……?

 美百合さん。いくらなんでも。


 幹は片手で顔を覆った。


 今朝の会話の時の、あの電話で指示をして手配させたらしい。

 仕事の早い、優秀なスタッフを取り揃えておいでのようで。


「で。どこ……?」

「なんでしょう?」

「俺の、最小限の家財道具……どこ行ったの?」




 花京院家の広大な敷地内に何軒もある離れのゲストハウス。

 そのひとつ、「紫陽花館」の前で、幹はバカみたいにポカンと建物を見ていた。


「あなたも仰ったように、花京院の敷地内はセキュリティ完璧ですから、ご安心下さいね」


 そうですね、ここなら易々と家財一式持ち出されるようなユルさは決して無いでしょうね。


 幹は盛大にため息を吐き出して--

 得意気ににっこり笑っている美百合に、いやいや、そうじゃなくて……と首を振って見せたのだった。


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