月曜日。
幹と美百合が揃って花京院家の車から降り立った事で、朝の学校は騒然となった。
教室の自分の席に着いた幹の所へ、平岡がそっと寄ってきた。
「なんかよ、同棲してるらしいとか、婿養子に入るんじゃないかとか、いろんな説が出回ってるけど?」
はぁぁぁ〜?!
幹の複雑極まりないビックリ顔に、平岡は、あ〜はいはい……と頷いた。
「外野の勝手な考察ってヤツね?」
幹がコクコクと頷くと、平岡は気の毒そうに幹の肩をポンポンと叩いて去って行った。
ああもう、お家帰りたい。
幹はモブなのだ。注目なんかされた事のない、プロのモブなのだ。
勝手に騒がないで欲しい。静けさを返してくれマジで。
登校と同時に萎えまくっていたら、ポケットでスマホが震えた。
メッセージにはただ座標のみが記されていた。
幹が立ち上がると同じタイミングで美百合も立ち上がり、バチリと目が合った。
小さく頷き合い、同時に踵を返す。
ふたつの流れ星が、校舎の屋上から飛び立った。
座標地点へ急ぐと、巨大な赤いドーム状の結界があった。
《赤丸(あかまる)、ゼブラとリリが入る》
移動途中から案内するように加わって並走していたドローンが、結界内のファイターに呼びかける。
《ゼブリリだぁ? 要らねえよ!》
赤丸の面倒そうな返事。
俺らゼブリリとか呼ばれてんの?
てか、そこ圧されてんじゃないの?
《赤丸〜だめですぅ! 援軍来てくれたのにぃ》
バディ折姫(おりひめ)の泣きそうな声が赤丸を嗜める。
ほらやっぱり。
「子供じみた意地はおやめなさい。結界、外から破壊しても良くて?」
リリが冷たく言い放つ。
現在、結界師としてリリの能力を上回るファイターはいない。とはいえ、目の前で、あまりに呆気なく自分の結界が壊されては立ち直れないだろう。
赤丸、意地と自尊心のせめぎ合い。
《クソっ》
声と同時に結界の一部が揺らいだ。
「侵入」
ゼブラの合図で二人は結界内へ飛び込んだ。
「これは……」
結界内は音で溢れていた。
空間上に五線譜が波打つように張り巡らされ、その音符を追うようにピアノの音が鳴っている。
巨大なグランドピアノの鍵盤の上で、手首から先しかない両手が、高速でそれを演奏している。
ホラー映画にでも出てきそうなエネミーポウであった。
「攻撃を仕掛けても音が止まないんですぅ。どんどん楽譜が伸びて、埋め尽くされそうです〜」
和柄の折鶴に乗った小柄な少女「折姫」が寄ってきて、泣きそうな様子で言う。
彼女は折り紙型のクラフト使いだ。
自身の好みなのだろう、見た目は千代紙のような可愛らしい和柄が主だ。しかしながら、紙ではなくクラフトである。攻防共に強度は十分だった。
ビー玉ほどの赤い弾丸を撃ち込みながら赤丸が移動して来る。
「だぁっ! クソっ!」
ピアノを弾く手が、弾丸をいとも容易く払い除けた。
血の気の多いファイター「赤丸」は、その名の通り「赤くて」「丸い」クラフトを生成する。それは米粒サイズからドームまで大きさも様々、ペラペラの平面の円から球体まで、とにかく「赤くて丸い」専門なのだ。
移動手段である空飛ぶ絨毯みたいなペラペラ系クラフトも、もちろん赤い円形だ。
「どっから攻めれば良いんか分からんっ!」
イライラした様子で言う。
「そもそも何が目的のモンスターなのかも不明だな……」
ゼブラが言うと赤丸は首を横に振った。
「ずっと聴いてると気が狂うぜ。音の洪水だ」
「この曲なら、知っています……」
機械のように正確に弾く事のみを目指している演奏家--
そんな弾き手のイメージを感じ取りながら、じっと耳をすませていたリリが、ピクリと反応した。
「ミスタッチ……」
呟いた途端、黒い音符のひとつが色を失った。
すかさずゼブラが、その白い音符をクラフト弾で撃ち落とす。直感だった。
音符がひとつ抜けた影響か、まるで雪崩を起こすかのように楽譜の一段が崩れて消えた。
攻略法を見出したファイター達が、勢いよく空間に散った。
リリはクリスタルの花びらをホバリングさせたまま、目を閉じた。
攻撃は三人に任せ、聴覚を研ぎ澄ませる。
「ミスタッチ」
赤丸の赤いパチンコ弾が音符を弾き飛ばす。
「ミス、ふたつ!」
ゼブラの白クラフトと、折姫の紙飛行機が隣合った音符を撃ち抜いた。
楽譜が次々と雪崩を起こす。
ピアニストモドキのエネミーポウは焦ったかのようにコントロール力を失い始め、ミスタッチが多くなって行く。
動揺してテンポも一定ではなくなる。
赤丸の言う「気が狂いそう」な要素が増して、耳を塞ぎたくなる。
それでも、聴く事のみに集中したリリに取りこぼしなくミスを指摘され、結界内の五線譜は次第に形を成さなくなってきた。
鍵盤の上で忙しなく踊っている両手が、ブルブルと震えている。
やがて、ミスタッチを繰り返す音の鍵盤が抜け落ち始めた。
ひとつ、ふたつ……と、盤上が歯抜けになって行く。
手が動いても鍵盤が無い。
ミスを指摘される。
音符が撃ち落とされる。
楽譜が崩壊して行く。
ワナワナと震えた両手が、弾く力を失ったかのように薄れ、消えて行く。
ピアニストモドキの咆哮と共に。
弾く手が無くなれば、楽譜をこなす音も無くなり、全ての音符が色を失って行く。
ファイターたちのクラフトが、白い音符を残さず撃ち落とす。
巨大なグランドピアノが鍵盤をバラバラと散らしながら薄れて、ゆっくりと消滅して行った。