全くついてない。あすは実質、10日ぶりの休日。早く帰宅しようと思っていたのに、地下鉄が止まって、バスで迂回して帰るはめになってしまった。当然、バスは大混雑で最寄りのバス停まで立ったまま。40分近く、くたびれたビジネスマンにもみくちゃにされて、もうヘトヘトだった。かくいう僕も、くたびれたビジネスマンなのだが。
バスを降りて4月の夜の冷たい空気を吸うとホッとした。歩き出し、もう一度、大きく息を吸う。肩を落としてわざとらしく「ふう〜」と吐き出すと、仕事で溜まりに溜まったストレスが体内から出ていくような気がした。
社会人3年目に突入していた。1年早く社会に出た大学の同期たちの話を聞いていると、本来なら仕事に慣れて、自分のやりたいこともできるようになり出して、楽しくなってくる頃合いらしい。
だが、僕の場合は全く違った。時は就職氷河期真っ盛り。マスコミ志望だった僕は大都会に出て、4社の入社試験を受けた。しかし、いずれも不合格。一般企業から内定をもらっていたものの、どうしてもマスコミへの夢を諦めきれず、就職浪人を決意した。
同期より1年、社会に出るのが遅くなったのは、そういう理由。だけど、これが失敗だった。2年目、行く先々で「どうして1年、ダブっているの?」と聞かれた。正直に「どうしてもマスコミで働きたいからです」と言うと「君はうまくいかなかったら、またこうやって逃げ出すのかい?」と聞かれた。
そんなふうに見られることになるとは、思いもよらなかった。むしろ「1年間、我慢してでもマスコミに行きたかったなんてすごいね」とプラスに捉えてもらえると思っていた。滑り止めに受けた一般企業でも同じように突っ込まれて、大苦戦。地元の樺山新報で、なんとか契約社員という形で働けることが決まったのは11月になってからだった。
地方紙とはいえマスコミだ。贅沢はいえない。そう言い聞かせて飛び込んだ業界は、とんでもないブラックだった。編集職で採用されたにもかかわらず、営業も販売も全て兼務。下調べが甘かったといえばそれまでなのだが、地方紙はものすごい零細企業で、やらなければならない仕事の範囲は広すぎた。
忙しいだけならまだいい。それでもやり甲斐があればいいのだから。だけど、いざ記者になってみると、僕はたまらないモヤモヤ感を抱き続けることになった。
記者は、どこまで行っても当事者ではないのだ。
どんなに取材先と仲良くなっても、記者は所詮、当事者ではない。楽しいこと、悲しいこと、腹が立つことの傍観者であって、当事者ではない。働き出して間もなく、僕は自分が取材先をとてもうらやましいと思っていることに気がついた。
自分も当事者になりたい。何かの物語の登場人物として、生きてみたい。
そんな思いを抱えながら3年が過ぎた。良識のある先輩たちは会社のブラックさに気がついてどんどん辞めていく。それに伴って仕事の割り振りは多くなり、当事者ではないことのジレンマも大きくなっていった。
僕もそろそろ、潮時かもしれない。
25歳。十分にやり直せる年齢だ。ただ、いくら転職するのが不思議ではない時代とはいえ、そう次々に仕事は変えたくない。次は長く働ける仕事に就きたい。帰ったら転職情報サイトを見よう。そんなことを考えながら、アパートに続く坂を登っていた時だった。
路肩に誰か倒れていた。
坂の左手は住宅地で、右手は崖になっている。崖の向こうに駅前の灯りが見えて、夜景がきれいだった。今、住んでいるアパートは社宅なのだが、街の中心部からは非常に遠く、そして交通の便は悪く、いいことといえば、この夜景がきれいという一点だけだった。その住宅側の電柱の下、よく見ると倒れているのではなく、誰か小柄な人が膝を折って丸くなってうずくまっていた。
不審者かもしれない。このあたりは静かな住宅地なので、滅多にそんな連中は出ないのだけど、最近、地下鉄で衝撃的な大量殺人事件があっただけに、用心して近寄った。